17話「名残の形」
世界は、何事もなかったように続いていた。
朝の電車は混み合い、駅前のコンビニはいつも通りで、
祐介の足取りも、昨日までと変わらない。
――変わらない、はずだった。
ポケットに手を入れた瞬間、指先に小さな硬さが触れる。
取り出したそれは、花の形をしたキーホルダーだった。
薄い色合い。
プラスチックにも、金属にも見えない不思議な質感。
冷たくはないのに、どこか“温度が残っている”。
「……これ」
いつ手に入れたのか、思い出せない。
落とした記憶もない。
誰かから貰った覚えもない。
それなのに、無くしたらいけない気がして、ずっと持っていた気がする。
祐介は眉をひそめた。
(……何だよ、これ)
胸の奥に、小さな引っかかりがある。
痛みではない。
懐かしさとも、違う。
ただ――
欠けている感覚。
駅のホームで、アナウンスが流れる。
聞き慣れた声、聞き慣れた文言。
その途中で、ふと視界の端が揺れた。
――誰か、いた。
金色に近い淡い色。
軽い足取り。
人混みの中に紛れて、けれど明らかに浮いている存在。
「……?」
視線を向けた瞬間、そこには誰もいなかった。
祐介は首を振る。
(気のせい、か)
そう思おうとした時、
キーホルダーがわずかに揺れた。
風は吹いていない。
祐介の手も動いていない。
それでも、花の縁が小さく震える。
――理由のない確信が、胸に落ちた。
(……俺、何かを選んだ)
内容は分からない。
理由も思い出せない。
ただ、「戻れない選択」をした感覚だけが、はっきり残っている。
電車が到着し、人の流れが動き出す。
祐介はその流れに乗りながら、
もう一度、花のキーホルダーを見た。
「……名前、あった気がするんだけどな」
口にした瞬間、
胸の奥が、きゅっと締まる。
涙は出ない。
苦しくもない。
けれど――
大切だった、という事実だけが残る。
祐介はキーホルダーをポケットに戻し、
何もなかったように電車に乗った。
世界は、今日も正しく回っている。
その正しさの中に、
ひとつだけ、説明できない空白を抱えたまま。




