14話「花は、まだ名を持たない」
扉は、前と同じ音で開いた。
重いとか、軋むとか、そういう演出は何もない。
ただ、そこに「次の場所がある」みたいに、あっさりと。
祐介は一歩踏み込んで、わずかに肩をすくめた。
室内は変わらない。
白くて、冷たくて、静かで。
棚に並ぶ無数の氷だけが、時間を忘れたみたいに佇んでいる。
「……また来たんだ」
独り言に近い声。
「お、やっほー。二回目だね」
返事は、すぐ上から降ってきた。
黒い翼を畳んで、棚の縁に腰掛けている少女。
白銀の髪が揺れて、赤い瞳が楽しそうに細められる。
ルシェルは、にっと笑った。
「来ると思ってたよ。顔がさ、完全に“途中”だったし」
祐介は苦笑する。
「そんな顔、してた?」
「してたしてた。氷もね」
その言葉に、祐介はポケットに手を入れた。
指先に触れる冷たさは、前よりも落ち着いている。
重さも、震えも、どこか“待っている”感触だった。
カウンターの奥から、静かな声がした。
「……お久しぶりです」
青い髪の魔女――ヴェルネシア。
前回と同じ位置、同じ距離感で、こちらを見ている。
「今回は、目的がはっきりしていますね」
祐介は頷いた。
「……多分」
氷を取り出す。
透明な塊は、光を反射しながらも、以前よりも像を主張しない。
「氷が“ほどこう”としています」
ヴェルネシアの声は淡々としている。
「それは、終わりに向かう兆しでもあり、選択を伴う段階でもあります」
「選択……」
ルシェルがひょいっと床に降りて、祐介の前に立った。
「ここからはね、サービスじゃないよ。ちゃんと“決めるやつ”」
冗談めかした口調だけど、視線は真剣だった。
「この氷、葵ちゃんの“終わり”じゃない。
途中で止められた記憶と、可能性の塊」
祐介は黙って聞いている。
「で、選択肢は二つ」
ルシェルは指を立てた。
「ひとつ目。
この氷を使って、あんたが全部思い出す。
事故のことも、その前後も。
世界は変わらないけど、あんたの中の欠けは埋まる」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
「ふたつ目」
今度は、声のトーンがわずかに落ちる。
「この氷と、あんた自身の“葵の記憶”を使って、
歪んだ部分を修復する」
ヴェルネシアが補足する。
「その場合、周囲の世界における“葵の存在”は保たれます。
しかし――」
「祐介、あんたは忘れる」
ルシェルが、まっすぐ言った。
「ほとんど全部。
氷の本質も消えて、力も終わり。
残るのは、形を変えた“抜け殻”だけ」
沈黙が落ちた。
氷は、何も語らない。
ただ、静かに光を宿している。
祐介は、それを見つめた。
事故現場。
夕焼けの帰り道。
葵の横顔。
思い出したい気持ちは、確かにある。
でも――
「……残ってほしいんだ」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「俺じゃなくてもいい。
周りの人たちの中に、ちゃんと」
ルシェルは一瞬、目を見開いてから、ふっと笑った。
「そっか。やっぱそうだよね」
ヴェルネシアは何も言わず、ただ静かに頷いた。
「……二つ目で」
祐介は、迷わなかった。
氷が、微かに震えた。
「契約、成立」
ルシェルが軽く指を鳴らす。
次の瞬間、氷は熱を持ったように光り、形を崩し始めた。
溶けるのではない。
混ざる。
祐介の手のひらで、透明だった塊が縮み、輪郭を得ていく。
小さな、花の形。
幼い頃、葵が大事にしていたキーホルダーと、よく似た――
いや、同じ形だった。
「……これ」
「うん。あんたに必要な形」
ルシェルは少しだけ、優しい声で言った。
花のキーホルダーは、もう冷たくない。
ただの、軽い重さ。
「行って」
ルシェルが背中を押す。
「ここから先は、あんたの世界」
視界が白く滲み――
気づけば、祐介は元の場所に立っていた。
ポケットの中で、花のキーホルダーが静かに揺れている。
何かを失った気がする。
けれど、何を失ったのかは、もう分からない。
ただ一つ。
胸の奥に、理由の分からない温もりだけが残っていた。
読んでいただきありがとうございます。
度重なる内容再編集本当にごめんなさい!
勢いで書いている為、まだ出したくない情報等を置いちゃってたりで突然急遽内容が変化させたため、振り回す形になってしまいました....
今後も頑張りますので引き続き読んでいただけると嬉しいです。




