13話「名残がほどける音」
氷が、少しだけ重くなった。
祐介はそれを、歩きながら感じていた。
ポケットの中で揺れるはずの感覚が、今日はほとんど動かない。
「……またか」
足を止める。
場所は、あの交差点から一本外れた細い道だった。
人通りは少ない。
けれど、完全に静かというわけでもない。
遠くで車が走り、どこかの家からテレビの音が漏れている。
――現実だ。
間違いなく。
それなのに。
氷に触れた指先に、これまでとは違う感触が返ってきた。
冷たい。
だが、今までのような“澄んだ冷たさ”ではない。
内側で、何かが引っかかっている。
(……変だ)
祐介はポケットから氷を取り出した。
夕暮れの光を受けて、内部の像がかすかに歪む。
それは、見覚えのある輪郭だった。
横断歩道の白線。
濡れたアスファルト。
夜の信号機。
――事故現場。
けれど、決定的な瞬間だけが、やはり見えない。
像は、途中で削り取られたように欠けている。
まるで、そこに“触れてはいけない線”が引かれているみたいに。
「……やっぱり、消されてる」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、確信だった。
そのとき。
氷が、はっきりと震えた。
今までの微かな脈動とは違う。
内部の光が一瞬、乱れ――
次の瞬間、像が変わった。
事故現場ではない。
病室でもない。
葬儀の光景でもない。
そこにあったのは、
もっと前の記憶。
学校の帰り道。
夕焼けの中で、隣を歩く葵の横顔。
「兄ちゃんさ」
声が、聞こえた気がした。
氷が語ったわけじゃない。
祐介自身の記憶が、勝手に音を持っただけだ。
「私、ちゃんと前見てるから」
その言葉と同時に、像が歪む。
夕焼けが、割れる。
光の向こうに、見知らぬ“ズレ”が滲む。
――あの時点で、もう。
(……世界、壊れかけてたのか)
胸の奥が、きしりと鳴った。
氷が、急激に冷たくなる。
表面の光が弱まり、内部の像が揺らぐ。
停滞の兆し。
けれど――完全な停滞ではない。
氷は、拒んでいない。
むしろ、何かを“ほどこう”としている。
「……なあ」
祐介は、氷に語りかけた。
「お前が覚えてるのは、葵の“終わり”じゃないんだろ」
返事はない。
けれど、震えが、ほんの一瞬だけ強くなった。
「途中で、止められた記憶だ」
言葉にした瞬間。
氷の内部で、像が一つ、はっきりと崩れた。
夕焼けの風景が砕け、
その奥から、まだ形にならない何かが滲み出す。
それは、まだ“答え”ではない。
けれど。
――名残だ。
消された過程が残した、
歪みの痕跡。
氷は、それを抱えたまま、静かになった。
祐介は深く息を吐く。
「……先に進むしかない、か」
氷は光らない。
ただ、確かに“離れなかった”。
選択は、まだ終わっていない




