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ムネモスアトリエ  作者: あむ。
1:青年と氷の結晶

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11/23

9話「観測者たちは、まだ語らない」

扉が閉じた――

いや、正確には「最初から、閉じてなどいなかった」。


祐介が世界へ戻ったあと、

ムネモスアトリエには、何の変化も起きていない。


氷は棚に並び、

光は静かに脈打ち、

外層の空間は、相変わらず“余白”のままだ。


その中心で。


ヴェルネシアは、氷の板のような平面を前に立っていた。


透明で、薄く、

内部に淡い光の層を持つそれは――

観測盤。


映し出されているのは、祐介の世界。


横断歩道。

白線。

人の流れ。


そして、

“事故だった”という言葉だけが、何度も上書きされる認識の流れ。


「……欠落が、進行している」


ヴェルネシアの声は低い。


感情ではなく、事実としての宣告。


梁の上から、ぶら下がるようにそれを覗き込んでいたルシェルが、ふうん、と息を漏らす。


「進行、って言い方するってことはさ」


軽い調子のまま。


「最初から自然発生じゃない、って確定?」


ヴェルネシアは、しばらく答えない。


観測盤の表面に、細かな亀裂のような光が走る。


事故の“直前”。

事故の“直後”。


その間だけが、

ごっそりと、削ぎ落とされている。


「世界側の劣化ではない」


静かな断定。


「認識層を対象にした、意図的な編集」


ルシェルは、梁の上で仰向けになった。


銀白の髪が、重力を無視して広がる。


「やっぱり嫌いだなあ、こういうの」


赤い瞳を細める。


「結果だけ残して、過程を消す。

 “納得しろ”って圧を、世界そのものにかけるやつ」


ヴェルネシアは、氷の棚へ視線を移す。


その中の一つ。


――祐介が持ち帰った氷。


「氷は、まだ応えを出していない」


「だね」


ルシェルは起き上がり、梁に腰掛けた。


「縁導しただけ。

 縁契は、まだ」


それは、介入しないという選択。


助けない、という意味ではない。


「彼は、気づき始めている」


ヴェルネシアの指が、観測盤をなぞる。


「自分だけが、違和感を持っていることに」


「血縁と、現場目撃」


ルシェルが続ける。


「しかも、氷と相性アリ。

 ……条件、揃いすぎでしょ」


「だからこそ」


ヴェルネシアは言った。


「こちらから答えを与えるべきではない」


一拍。


「選ぶのは、彼自身」


ルシェルは、少しだけ真面目な顔になる。


「選ばなかったら?」


「その時は、その時」


冷たい判断ではない。


観測者としての、誠実な距離。


しばらく、沈黙。


やがてルシェルは、いつもの調子に戻る。


「ま、しばらくは様子見だね」


梁から、軽く飛び降りる。


「世界がどこまで誤魔化し続けるか。

 氷が、どこで夢を見るか」


赤い瞳が、氷の棚を映す。


「――物語が、ちゃんと動くかどうか」


ヴェルネシアは、観測盤を閉じた。


氷の板は、光を失い、

ただの透明な結晶へ戻る。


「まだ、始まったばかり」


その言葉だけが、

アトリエの静けさに、確かに残った

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