8話「氷が選ぶ場所」
扉の向こうは、思っていたよりも広かった。
祐介は一歩、足を踏み入れる。
床は石でも木でもない。質感の判別できない、滑らかな平面。
冷たいはずなのに、足裏には違和感がなかった。
背後を振り返る。
――そこにあったはずの扉は、もう見当たらない。
「……閉じ込められた、ってわけでもなさそうだな」
声は、不思議と反響しなかった。
音が吸い取られるわけでもない。ただ、最初から“響く前提”がない。
視線を前に戻す。
店――と呼ぶには、少し曖昧な空間。
棚のような構造物が点在し、その上や内部に、大小さまざまな“氷”が鎮座している。
どれも静かだ。
動かない。
喋らない。
けれど、確かに“在る”。
祐介の手の中の氷が、かすかに熱を帯びた。
「……ここ、か」
言葉にした瞬間、空間の奥から声がした。
「正解」
軽い調子。
けれど、どこから聞こえたのか分からない。
祐介が見上げると、天井近くの梁の上に、少女が座っていた。
白に近い銀色の長い髪。
ラフな服装なのに、場違いなほど存在感がある。
赤い瞳が、こちらを楽しそうに覗き込んでいた。
「ようこそ。……って言うと、ちょっと堅いかな」
少女は梁から、ひらりと音もなく降りてくる。
着地は静かで、重さを感じさせない。
「まあ、とりあえず――迷わず来れたのはえらいえらい」
「……誰だよ」
警戒はしている。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
「んー? 名前?」
少女は少し考える仕草をしてから、笑う。
「ルシェル。ここで働いてる側」
“店主”とは言わない。
あくまで、そこにいる者の言い方だった。
祐介は氷を見下ろし、また少女を見る。
「……ここ、何なんだ」
「“答え”をくれる場所じゃないよ」
即答だった。
「ただ、選ばれた人が、選ばれたものと向き合う場所」
どこかで線を引くような言い方。
祐介は、その違和感を飲み込む。
「選ばれた、って……」
「氷がね」
ルシェルは、祐介の手元をちらりと見る。
「君を連れてきた。
それだけ」
その言い方には、説明する気が最初からない。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、もう一人の声だった。
「……そこまで」
奥の影から、ゆっくりと人影が現れる。
淡い青の髪。
静かな目。
歩くたび、空間そのものが少しだけ引き締まる。
「おっ、きたきたー」
ルシェルが軽く手を振る。
「店主」
祐介は、その一言で理解する。
この場所の“中心”は、こちらだ。
「……あなたが?」
ヴェルネシアは、短く頷いた。
「ここは、あなたが長居する場所ではない」
否定でも拒絶でもない。
事実だけを述べる声。
「今日は、ここまで」
「え、もう?」
「まだ“縁”は浅い」
ルシェルの軽口を、ヴェルネシアは無視する。
「選ぶかどうかは、あなたが決める」
祐介の視線が、自然と氷へ落ちる。
光が、微かに脈を打った。
――言葉はない。
――でも、拒絶もない。
「……考える時間は?」
「ある」
即答。
「世界に戻ってから」
その言葉だけが、やけに現実的だった。
次の瞬間、足元の感覚が揺らぐ。
光が反転し、視界が白に滲む。
「またね」
ルシェルの声が、少し遠くなる。
「ちゃんと、物語が動いたら」
そして、祐介の意識は、元の世界へと引き戻された。
氷だけを、手に残して。
ストック切れです!読んでいただきありがとうございます!まだまだ頑張ります!




