Chapter 3 ― トリックを見破る者
観客の中に、ひとりだけメモ帳を膝に載せた男がいた。
名を、ジャック・アッシュベル。
業界でも知られた“トリック暴き”専門のジャーナリストである。
何百という奇術師の演目に潜入し、仕掛けを暴き、
裏側を記事にし、喝采か嘲笑かを撒いてきた。
彼のペンは、舞台に立つ者たちからは「黒い刃」と呼ばれていた。
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「“世界一安全な切断マジック”? 笑わせる」
演目の前、彼は記録用の小型カメラを靴のつま先に隠し、
舞台装置の構造を読み取るための振動計測アプリまで準備していた。
「切断というからには、可動式の分割ギミックが存在する。
物理的に不可能な錯視は存在しない。
どこかに、“分かる瞬間”があるはずだ」
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ジャックは呼吸を整え、誰よりも集中してステージを見つめていた。
黄金の箱、選ばれる観客、開く扉、流れる光、聴こえる切断音――
そして、“見えた”。
「中央が透けて見える時、外壁の裏側に投影装置が仕込まれてる」
脳内でメモが走る。
「心臓の立体映像は、観客の鼓動と連動したAIシミュレーションだ」
「音響誘導で錯覚を誘ってる、知覚の干渉型マジック……」
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だが、箱が完全に“元に戻った”とき――
ジャックはある違和感にぶつかった。
“自分が見ていたはずの”物理の手応えが、どこにもない。
彼の靴につけた振動センサーには、何の可動反応も記録されていなかった。
それはつまり――構造が動いていないということ。
彼は焦る。
「映像か? いや、映像だけでは騙せない。
そもそも、私はいま何を“信じている”?」
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彼は急いで舞台裏に向かった。
だが、そこにブリリアンの姿はなかった。
ただ、スタッフが一枚のカードを彼に手渡した。
♠ “You tried to see through it. But instead, it saw through you.” ♠
– Brillian Shatt
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その夜、ジャック・アッシュベルは記事を書かなかった。
記事にすべき“構造”が存在しなかったからだ。
だが代わりに、彼はあるマジック協会の会員申請書を書いた。
それは、暴く者ではなく――
“設計する側”に回る者の証明だった。
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ブリリアン・シャットのマジックは、見破るものではない。
“自分自身の眼”が、どう見たいかを問われる魔術なのだ。