Chapter 1 ― 選ばれた人間と、恐れの箱
「では、始めましょうか」
ブリリアン・シャットの声が響いたとき、観客席は不思議な静寂に包まれていた。
100人。その誰もが、心の中で思っていた。
“どうか、私ではありませんように”
そう。これから始まるのは、“切断”を伴う演目。
安全と聞いていても、それは所詮、**“信じる”しかないマジック”**なのだ。
誰もが少しずつ身体を引き、目を伏せる。
すると――その沈黙をすり抜けるように、軽快なトランプの音が舞台に響いた。
バサッ。
ブリリアンが宙に一組のカードを放り、扇状に広げた。
「この中に、“あなた”がいます」
彼女の目が、客席をすっとなぞる。
そして――まるで迷いなく、1枚を抜き取る。
「今夜の主人公は……あなた、です」
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名前を呼ばれたのは、ハーヴィー・リース博士。
白髪の元外科医。
偶然か、運命か、舞台に上がったのは、かつて生と死の境目を渡ってきた男だった。
「驚きましたよ……」と、彼は苦笑する。
「私、30年手術台に立ってましたが、自分が“切られる側”になるとは思いませんでした」
観客の笑いが、少しだけ場の空気を緩める。
だが、それでも緊張は消えなかった。
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黄金の箱の前に立ったハーヴィー博士を、ブリリアンが静かに迎える。
「あなたにお願いしたいのは、恐れを委ねることだけです」
博士が箱に入る。
中には不思議な光のラインがあり、肩、胸、腰の位置に沿って“見えないガイド”が引かれていた。
扉が閉まり、カチリと鍵がかかる音が劇場全体に響いた。
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照明が落ちる。
音楽が止まる。
心臓の鼓動だけが聴こえるような時間。
そして――
「切断開始」
ブリリアンの声と共に、箱の外周が静かに動き出す。
金属のスライド音。
回転する構造音。
だが、刃物はどこにもない。
にもかかわらず、観客の目には――
**「箱の中身が、三分割されている」**としか思えなかった。
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中央部分が、まるで別の空間に置き換わったかのように“透けて”見える。
胴体が、まるごと抜け落ちているような幻覚。
だがその中には、心臓の立体映像がふわりと浮かんでいた。
リアルに脈動し、観客の拍手の音に合わせてリズムを変える。
「これは、あなたの中にある“命の可視化”です」
ブリリアンの言葉に、誰もが声を失う。
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ハーヴィー博士の声が響く。
「……生きてます。
私は……何一つ切られていない。
だけど今、確かに心のどこかが切り開かれた気がします。」
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このマジックは、恐怖を切り裂く。
そして、それを見た者にも、問いを投げかける。
「あなたは、本当に“切られること”を恐れていたのか?」