第3話 巨人への転生
ゆっくり、ゆっくり巨人の拳が俺の腹部に近づいている。
なぜ、最期になって俺は伊織の姿を思い出すのだろう。ただの幼馴染でしかない彼女を、いつも無駄に俺を助けようとする彼女を、役割を逸脱して俺を庇おうとする彼女を。俺自身は、なぜ身を弁えずにそのような光景で脳裏を満たしているのだろうか。どうせ、触れることのできないあの白い手を、どうして思い描いてしまうのだろうか。
俺は心で、自分自身を嘲笑する。明確な死を控えて、何を考えているんだと自分に呆れる。
奴の腕の直撃が迫る。せめて、人間らしい最期をと俺の身体は求めたのかもしれない。死の直前に女の顔を思い浮かべる、ありがちな男を演じろと、体は勧めているのかもしれない。ただ、それだけのことだ。
さあ、最期の瞬間を楽しもう。
俺は心の底から笑っていた。自分の顔がどのようになっていたかはわからない。歪に引き攣っていただろうか。
奴の拳が、臍の辺りに振り落とされる。
体が反動に激しく揺れる。
不思議と痛みはない。
死とは痛みを伴わないと知る。俺は、痛みに慣れすぎていたのかと可笑しくもなる。
どうやら、一撃では殺せなかったらしい。奴は二度目の拳をすでに振り上げている。お前も、自分の役割に必死なんだなと俺は心に唱える。「さあ、来い」と奴の拳を凝視する。先ほどより、勢いを乗せて振り下ろされた拳は、どう見ても彼の渾身の一撃を物語っている。それが、俺の腹部を直撃する。
また、痛みはない。確かに当たっている。しかし、俺は痛みを感じない。奴は必死になって、次の拳、またその次の拳と繰り出している。しかし、そのどれもが全く痛みを伴わないのだ。そして、殴れば殴るほどに奴は疲弊し、拳が痛んでいるのがわかった。
俺はそれを見ると急に冷めるものがあり、冷静になってしまった。
重たい体を何とか起こすと、腹部に目をやる。全く怪我を負っている様子もない。それよりも、その腹部、腕、脚をみて驚愕する。服など着ていないどころから、俺の体は、奴らと同じに見えた。同じ質感、同じ肌色、同じ表皮。ごつごつとした岩のようで、丸みを帯びた体つき。顔に手を当ててみると、目の当たりが深く落ち窪んで、口角は硬直し不気味に吊り上がったままなのだ。
俺は初めて理解した。
俺は、奴らと同類なのだ。理由はよくわからないが、俺は奴らと同じ生物なのだ。
大きな巨人が、俺たちの傍に轟音を立てて倒れ込む。また別の巨人がその岩のような頭部をねじ切り口に運ぶ。血はでない。悲鳴を上げることもない。無表情の死がすぐそこにある。
よくよく周囲を見渡すと、俺と同程度か、さらに小さな巨人がまるで生まれたばかりかの様子で、眠りから醒めて起き上がると、周囲の同腹と闘いを始める。
大きいものも、小さいものも、みな同様に、戦いこそが生きる意味であり、痛みを与えることが至上命題とでも言うように、暴力の化身と化す。化け物たちの饗宴であり、本能に規定された生存競争が目の前で繰り広げられていることに気が付く。
改めて自分の体を眺める。
奴は相変わらず、明らかに疲弊し、その体をぼろぼろにしながら、今度は俺の頭部を殴りつけているが、痛みもないし、もう全く気にならなかった。
俺はあの光る魔法陣に突如包まれて、目を覚ましたら何故かここにいた。そしてこの異形の体と、俺と同時に目覚めた他の小さな巨人たち。わからないことはまだ山ほどある。しかし、俺はまた何かを理解したような気がした。現実として受け入れるのかとは別に、理解せざるを得なかった。納得はしていないが、わかってしまったのだ。
転生──俺は、あの巨人の幼体として転生したのだ。俺は硬直した化け物の仮面下で、不気味な笑いを浮かべていた。