試練の始まりと揺らぐ存在
朝日が差し込む窓辺で、僕は昨夜見た夢を思い出していた。現実の世界での記憶—バイクで走り出した夜の風景が、まるで古い写真のように少しずつ色褪せていく感覚。
「おはようございます!準備はできましたか?」
アリスが部屋のドアをノックする。その声に、昨日の彼女の告白を思い出す。
「ちょっと待ってください」
急いで服を整え、ドアを開ける。アリスはいつもの笑顔で、だが少し緊張した様子で立っていた。
「今日から始まる試練について、詳しく説明させてください」
二人で宿の食堂に降りると、アリスは真剣な表情で話し始めた。
「通常、この世界での『登録』には三つの試練があります。でも、あなたの場合は…特別なルートを通ることになります」
「特別なルート?」
「はい。あなたは通常の方法でこの世界に来たわけではありません。だから、システムはあなたを『バグ』として認識しかねない。その場合…」
アリスは言葉を選ぶように一瞬躊躇う。
「最悪の場合、強制的に『消去』される可能性があります」
「消去って…死ぬってこと?」
「いいえ、消去はもっと根本的なものです。存在そのものが、この世界から抹消されるんです」
その言葉に、背筋が凍る。死よりも恐ろしい、存在の否定—。
「でも、方法はあります」
アリスは周囲を確認してから、小声で続けた。
「この世界には『創造者』と呼ばれる存在がいます。その方に直接会って、あなたの存在を認めてもらえれば…」
「創造者?」
「はい。でも、それには危険が伴います。創造者の元に至る道のりで、あなたの存在が不安定になる可能性が高いんです」
テーブルの上のパンに手を伸ばすと、突然、指先が透明になった。
「うっ!」
「見てください。既に始まっています」
アリスの声に焦りが混じる。指先は数秒後に元に戻ったが、冷や汗が背中を伝う。
「今のうちに、準備をしましょう」
アリスは立ち上がり、僕を街の市場へと連れて行った。沢山の露店が並び、活気に満ちている。だが、時々景色が歪んで見えるのは、僕の存在が不安定になっている証なのだろうか。
「まずは、あなたの料理スキルを活かせる道具を」
アリスは市場の雑踏の中、足早に歩きながら説明を始めた。
「ところで、昨日獲得された料理スキルですが、あと16時間ほどで再抽選されてしまいます」
「え?」
「この世界のスキルガチャは24時間で更新されるんです。次に何が出るかは完全にランダム…」
僕はこの世界にきてすぐのことを思い出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『結果:【究極料理スキルLv99】を獲得!』
『※このスキルは24時間後に再抽選されます』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そういえば注意書きでそう言われていたな...
完全に忘れていた。
「じゃあ、このスキル、なくなっちゃうかもしれないってこと?」
「はい。だから今日中に創造者に会えなければ…」
アリスの表情が曇る。
「料理スキルは、あなたの『存在証明』になるかもしれないんです。プレイヤーでもNPCでもない特別な存在として、このスキルを使って創造者に認めてもらえれば…」
武器屋ではなく、調理器具の店に向かいながら、残された時間について考える。残り16時間。その間に塔を登り、創造者に会い、自分の存在を証明しなければならない。
塔を見上げながら、僕は自分の手を見つめた。時々透明になる指先。そして、あと16時間で失われるかもしれない料理スキル。
「この包丁と料理の腕だけが、今の僕の武器なんだ」
「料理で創造者を説得するのは、前例がないと思います」とアリスが不安そうに言う。
「でも、これしかない。このスキルが消える前に…」
言葉を飲み込む。次のガチャで何が出るかわからない。最悪の場合、何も出ないこともあるかもしれない。それまでに創造者に会えなければ、僕は証明手段を失ってしまう。
「焦ってはダメです」
アリスの声に、僕は深く息を吸った。
「限られた時間で、限られた力を使って…か」
かつての臆病な自分なら、きっと尻込みしていただろう。でも、今の僕には戻れる場所がない。
「行こう」
僕は、覚悟を決め朝焼けに染まる街を歩き始めた。