初めてのスキル発動
街への道のりで、僕は何度も立ち止まってしまう。
「これ、本当に道なの…?」
目の前では、石畳の道が螺旋を描いて宙に浮かび、その先では滝が逆さまに流れ落ちている。空には巨大な歯車が低速で回転し、時々、緑色の雨が降っては消えていく。
「もちろんです!ここでは、こんなのが普通なんですよ」
アリスは、まるで当たり前のことのように笑う。彼女の頭上に浮かぶ「NPC」の文字が、この状況の非現実性を更に際立たせる。
「でも…」
話しかけながら歩を進めると、突然、道が透明になった。足元に広がる景色に、思わず悲鳴を上げる。
「うわっ!」
「大丈夫ですよ。ちゃんと歩けますから」
アリスの言葉通り、確かに足は地面を捉えている。ただ、何もない空間を歩いているような感覚に、胃が痛くなる。
「あ、そうだ!さっきのスキル、試してみましょう!」
アリスは道端の屋台を指さした。看板には「異世界の味 移動食堂」と書かれている。屋台自体が時々、霧のように消えては現れる不安定な存在だった。
「え、ここで?でも僕…」
「大丈夫です!スキルがあれば、体が覚えていますから」
半信半疑のまま、屋台の中に入る。店主らしき男性の頭上にも「NPC」の文字が浮かんでいた。
「いらっしゃい!新人プレイヤーかい?」
店主は温かい笑顔で迎えてくれる。その自然な対応に、少し安心感を覚える。
「あの、料理を…させてもらえませんか?」
「おお!腕試しかい?いいとも!」
店主は快く承諾し、キッチンを案内してくれた。
「さあ、スキルを使ってみてください!」
アリスの声に促され、僕は恐る恐る包丁を手に取る。
「でも、どうやって…」
その瞬間、体が微かに光り、意識が変化した。まるで長年の経験が一気に流れ込んでくるような感覚。
「これは…」
包丁を握る手つきが、自然と変わっていく。食材を見る目つきも、まるでプロのようになっていた。
「すごい…」
驚きながらも、手は止まらない。野菜を切り、肉を焼き、調味料を計る。全ての動作が完璧な流れで進んでいく。
「へえ、なかなかやるじゃないか!」
店主が感心した様子で見ている。その横でアリスも目を輝かせていた。
完成した料理を前に、僕は少し誇らしい気持ちになる。今までこんな経験はなかったはずなのに、なぜか懐かしい感覚さえある。
「ふむふむ、これは面白い!」
店主が料理を味わいながら言う。
「腕前はプロ級だね。でも、ここで一つアドバイスを」
「はい?」
「スキルは確かにすごいけど、それだけじゃない何かを加えられると、もっと良くなるはずさ」
「それだけじゃない、何か…」
考え込む僕に、店主は優しく微笑んだ。
「あんたの『個性』さ。機械的な完璧さじゃなく、自分らしさってやつをね」
その言葉が、妙に心に響く。
(自分らしさ、か…)
ふと、母の作る料理を思い出す。技術的には完璧じゃないかもしれないけど、あの温かみのある味…。
考え込んでいると、突然、警報が鳴り響いた。
『警告:システム異常を検知。エリア再構築を開始します』
「まずい!」
アリスが慌てた様子で叫ぶ。
「店主さん、ありがとうございました!」
「ああ、また来てくれよ!」
店主は慌ただしい中でも、穏やかな笑顔を浮かべている。その姿を見送る間もなく、アリスに手を引かれて外に飛び出す。
振り返ると、屋台が光の粒子となって消えていく。その光景に、どこか切なさを覚える。
「あの店主さんは…」
「大丈夫です。この世界の住人である私たちNPCは、世界の再構築の影響を受けません」
安堵する反面、その言葉に違和感を覚える。アリスの表情や言動は、あまりにも人間らしい。それなのに、彼女は自分のことを「この世界の住人」と言い切る。
走りながら、街並みが崩壊していくのを目にする。建物が砕け、道路が歪み、空間そのものが引き裂かれていく。
「安定区画まであと少し!」
アリスの声に従って走り続けるが、頭の中では様々な疑問が渦巻いている。
(これが現実なのか?それとも夢?)
(僕は本当に死んでしまったのか?)
(それとも、意識だけがここに…?)
そんな思考の中で、不思議なことに気がついた。最初は恐怖で固まっていた体が、今は自然に動いている。異常な光景も、少しずつ「日常」として受け入れ始めている自分がいた。
(この感覚…まるで、ここが本当の世界みたいだ)
その気づきに、僕は少し戸惑う。元の世界での記憶は確かにある。でも、この世界での体験が、どんどんリアルに感じられていく。
巨大な光の壁が見えてきた。そこが安定区画—正常な法則が保たれている場所らしい。
しかし、その一歩を踏み出す前に、僕は一瞬、立ち止まった。
(これで良いのだろうか…)
この歪んだ世界を受け入れることは、元の世界を手放すことなのか—。
そんな迷いを抱えたまま、僕は光の壁へと走り込んだ。