03.辺境の街……?
一言で表すならば、私の住む街は異様である。
先ず前提として、この街はクロウディア共和国の南端、所謂辺境に位置している。最寄りの街から馬で一週間と三日かかるらしい。それも何の不都合もなかった場合で。
クロウディア共和国の南端と言ったが、此処より南に陸地が続いていない訳では無い。しかし、此処より南に他の国がある訳でも無い。というのも、南側には人外魔境が広がっていて到底人が住む事が出来る環境ではないのだ。例えば魔獣、異常気象、詳細不明の病等々、兎に角迂闊に近づいたら間違いなく死ぬ、そんな場所だ。
しかし、その人外魔境を放置する事も出来ないのが現実。魔獣は本能的に生息範囲を広げようする為、人外魔境の方からクロウディア共和国の方へと流れ込んでくる。そんなこんなで作られたのがこの街である。
この街では多くの者が"狩人"として暮らしている。彼等は魔獣狩り専門のエキスパート、人ならざるものを殺す達人だ。
クラウディア共和国が組織する軍隊とは違い、狩人の力は狩人個人の意思によって行使される。つまりは個人事業主である。毎年年末には沢山の税理士がこの街を訪れ恐ろしく喧しい日になるのだが、その話は今は置いておく。
狩人がいるからこそ、この街が防衛線となりクロウディア共和国における人間による統治が保たれていると言っても過言ではない。軍隊は人を殺す為の組織であり、軍隊には魔獣の侵攻を食い止める能はない。
要するにこの街は、国境の際にある人ならざるものを相手とした要塞のようなものであるのだ。
さて、此処で話は変わる。
冒険者は何でも屋だ。家事や洗濯、花壇の草毟り等雑用的な事から傭兵や軍の嵩増し、魔獣の間引きまで仕事の内容は多岐に渡る。
渡るのだが……この街の冒険者は若干事情が変わる。先にも説明したように此処は辺境だし、狩人がいる。先ず距離が遠いから傭兵の依頼はない、徴兵もない。魔獣の間引きは狩人がやるから必要ない。よって残るのは雑用依頼のみ。だから、私は草毟りの人なのだ。
しかし、此処で矛盾が生じる。必要はないが戦闘系の仕事は発生するのだ。だから例の最強勇者こと新人君は街の外へ出て、私に迷惑をかけた。
この矛盾に関しては正直なところ私にも分からない事が多い。冒険者の仕事は大きく二つのパターンに分かれて発行される。片方は街の住民からの依頼、もう片方は冒険者ギルド本部からの命令。この街で発生する戦闘依頼は冒険者ギルド本部から要請されたものらしく、この街のギルドにも依頼の必要性自体については何も分からないそうだ。どうにも魔獣ではなくヒトを間引いているように思えてならない。
因みに余談だが、"冒険者ギルド本部"というのはある種の概念的な存在である。何処かにそういった建物がある訳でもないが、各ギルド支部には突如として"冒険者ギルド本部"から指令が届くのだ。それは魔術だったり手紙だったりと媒体は多岐。ただそのどれもが発信元を欠片も特定出来ない。これは冒険者ギルド十四の怪の一つとして広く知られている。……怖い。
「ごめんください……っと」
街を囲う外壁の南門付近、酷く雑に立てられた木製の建物がある。それは門を警備する狩人達の詰所であり、門を開けてもらう為には狩人の許可が必要だ。
言葉をかけながら詰所の扉を軽くノックしたのだが、扉の枠がびっくりするぐらい朽ちていて、その衝撃で木の破片が飛び散った。一応、狩人は高給取りの筈である。ボロ屋で仕事をしなければならないほど貧困している訳では無い。
「はいはい! 今行きますね〜!」
時を待たず扉の向こうから応答が聞こえた。気怠げな男性の声、けれど無気力ではなく何処か芯の通った声。今日の南門は彼が警備をしているらしい。
応答の後、部屋の中から幾度か硝子が割れるような甲高い音がして、そして扉が開かれた。いや、既に扉は朽ちる段階を過ぎ完全に壊れていたようで、開かれたというよりは取り外された。ドアノブは飾りだったようだ。
「新聞とか牛乳とか臓器とかは取ってないんですけど〜……って、おお、ナディちゃんかぁ! 随分久し振りだねぇ」
「ん? ……いや、まぁ、お久しぶりです」
建物の中で硝子が割れていたり、何やら不穏な言葉が聞こえたような気もしたが、まぁそういう事もあるだろう。現代社会、あり得ないを探す方が難しくなりつつあるのだから、何があっても不思議はない。
扉を取り外して現れた男性は初老の男性。少々不気味な格好と不健康そうな顔色をしているが私の姿を見て楽しそうに笑う彼は愉快なおじさんのようにしか見えないい。彼の名は"ホルン・ロッグバード"。街に住む狩人の一人であり、一応門の警備を任されるくらいには凄腕らしい。
「会ってないのは二年くらいかなぁ。ナディちゃん、最近全然南側に行ってなかってみたいだしねぇ」
「ミミがそういう仕事を私に振らないんです。新人には振るくせして、私に振らないのはなんででしょうね」
「うーん、ナディちゃんがこっちの方に足を運ばなくなったのは悲しいけど、ミミちゃんならそうするのも当然だとは思うけどねぇ。巷では疫病神って言われてるみたいだしさぁ」
身に覚えはございません。実に便利な文言だ。しかし、あの悪魔、私の事を狩人達にまで言いふらしてやがるのか。二年も接点のなかったホルンさんにまで余計な事を吹き込みやがって。アイツ、放っておくと街の外まで要らない事リークするんじゃなかろうか。
「ところで、ナディちゃんはなんで此処に? ミミちゃんが許可しないなら魔獣を間引きに来た訳じゃないだよねぇ」
「今日は回収の仕事です。うちの新人が今日来てませんか?」
「あぁ、いたねぇ。愉快な子だったのを覚えてるよ。僕を見ては老いぼれ呼ばわり、名前を聞いたら最強勇者だのなんだの叫び始めて、ちょっとイタい事を伝えたら涙目になった、そんな愉快な子だったねぇ」
「おいメンタル弱ぇな最強勇者……」
勇ましい者が聞いて呆れる。というか、18にもなった男がちょっと否定された程度で泣くなよ。大人が泣いていいのは私のように小さな子供から軽蔑や落胆の目を向けられた時だけである。
しかし、新人君は迷わず南門まで来れていたらしい。少なくとも街の外に居るという前提が崩れずに済んだ事は僥倖だ。魔獣を恐れて街の中でメソメソと泣かれるよりは、馬鹿みたいな面をして街の外で魔獣に殺されている方が回収は容易である。
そもそも今回の依頼、私が"回収"という言葉に重きを置いているのは、前提として私に新人君を助けようという意思がないからだ。先ず新人君を全然知らないし、助ける義理はない。けど、人の事を落ちこぼれと呼んだ恨みはある。
勿論、現代において国に許可されていない殺人は罪に問われてしまう。が、此処は辺境であり、裁判をする環境が街にある訳でもないので、大抵の問題は個人間で解決される事が多い。殺人も例外ではない。死んで困る人がいないなら、殺しても問題はない。それがこの街だ。このような価値観が形成されているのは、街の住民の多くが狩人であり死に近い生活を送っているのが関係しているのかもしれない。いや、或は皆が皆何処かしら破綻しているのかも……。
「それじゃあ、私は回収してきます。ホルンさんの事ですし、門は開けたんでしょう?」
「そりゃそうさぁ。愉快な子ではあったけど、失礼な子に忠告までする義理はない、よねぇ」
そうだ。この人はこういう人だ。何でもほんわかと愉しんでいるようで、自己に対する汎ゆる勘定を決して欠かす事のない人だ。
誰も彼もが人でなし。この街に住む限り例外はない。表面上は取り繕っていても、自然と虚ろが溢れて止まない。勿論、私も含めて。
「んじゃぁ、開けようかぁ。ナディちゃんなら街壁を越えるくらい出来るとは思うんだけどねぇ」
「まぁ、出来ますよ。でもやりたくはないです。頼めば開けてもらえる門を態々力を尽くして越えていくなんて馬鹿のやる事でしょう?」
「分かってないなぁ」
ホルンさんはそう言って私の前で指を振る。何故か酷く愉しそうだった。
「無駄な事に全力で、それが浪漫ってやつさぁ」
「……へぇ」
特に私に響くことはなかった。
南門を通って街壁を抜けた先に待つのは薄暗い林だ。此処には皮膚を切り裂いてしまいそうな程に鋭い葉を持つ針葉樹が並ぶ。この林は対策無しでは無事に歩く事もままならない。
魔獣は血の匂い、というよりも血の存在自体に酷く敏感だ。無闇矢鱈に林の中を歩き回って血を一滴でも流そうものなら直様魔獣に存在を知覚される。
この林に生息する魔獣の中で、最も血に敏感なのは頭を二つ持つ狼のような魔獣だ。それが持つ牙は鋭く鋭利な刃物のようで軽く触れただけでも傷を創ってしまう程。その上、それの唾液にはヒルの持つ血液凝固を阻害する成分と非常に近しい成分が含まれていて、深く傷を受けた時点で致命傷になり得る可能性が高い。また、魔を冠するだけの特異性を持ち、両方の首が落ちない限りは再生を続ける正真正銘の化け物だ。
しかしこの林が人外魔境と呼ばれる所以は魔獣だけではない。この林にある特異性、その一つが"星の混乱"である。この林に一歩でも足を踏み入れると、空は藍色に映り、太陽や七つの月を含む汎ゆる星が法則を外れて存在するようになる。夜に林に入った筈なのに、林の中では空に太陽が照り輝いている。そんな異常現象が此処では平気で起こり得る。
そして"時の混乱"という特異性も存在する。これは林に入った生物に適用される特異性であり、林の中では時間の経過を正確に認識する事が出来なくなる。時計などの時間を示す道具は狂う事がない為、林に入る際はそれ等が必須とされている。星の混乱の影響で太陽や月の方角を利用した時間計測も出来ないのが厄介さに拍車をかけているとも言えるだろう。
さて、最強勇者こと新人君は確りと対策をしていたのだろうか。
そう無駄な期待をしながら私は例の林へと脚を踏み入れる。時刻を昼を少し過ぎた頃、林の中では藍色の空に星が疎らに輝いている。
久しぶりにこの林に足を踏み入れたが、此処は私の知る何処よりも静かな場所だ。木々が風に揺られている筈なのに全く音がしない。これも特異性の一つなのだろう。
探せば直ぐに血が見つかる筈だ。対策をしていなければ林に入って数秒もしない内に鋭い葉によって身体を傷つける。そしてその血から近い場所により大きな血溜まりと、点々と続く血の道筋。私はそれを探すだけだ。
「――隔て」
魔術を発現する。使い慣れた魔術は殆ど手足と変わらず動かせるようになる。それでも言葉を発して魔術を生み出すのは、突然そこに顕れた魔術という存在自体をこの世界に定着させる為だ。魔術基礎学の教本でもこの事は明言されている。
だというのに、魔術に詠唱という手順が何故存在しているのか知らない者は多い。実に馬鹿らしい話だ。
何事においても皆知る事を放棄しているのだと、どうして誰も気付かないのだろう。
+用語補足+
魔獣と呼ばれてはいますが、それ等は厳密には獣ではありません。普通に異形の化け物も魔獣と呼ばれます。例えばアメーバ状の液体生物でも魔獣です。
+用語蛇足+
何故異形の化け物を魔獣と呼ぶのか諸説ありますが、魔獣という言葉が生まれた時には未だ獣の化け物しかいなかったのではないか、という説が一般的です。……新たな種類の化け物ってどうやって生まれるのでしょうか。