02.追加依頼……?
カティアさんの喫茶店からギルトまで戻ると、入口であの子が左右を見渡していた。私を探しているのだろう。ショートボブで、眼鏡っ娘で、そして胸元に脂肪をたんまりと蓄えた彼女はやや遠くからでも相当に映える。不公平だ。
私だって健康的な食生活を送っていたし、適度に運動だってしていた筈だ。あの胸にはきっと虚偽と欺瞞と怨嗟と絶望が詰め込まれているのだ。許さない、あの巨乳妖怪め。
「あ、いた。疫病神、来てください」
私を見つけたあの子が大声で私を呼ぶ。人の事を疫病神だと言い触らしているのは彼女だ。最近では私を知る人皆から疫病神だと呼ばれつつある。真艫に名前を読んでくれるのはユアくらいなもの。私が一体どんな疫病を齎したというのか。少なくとも、今生きてるなら私は何も不幸を与えてないじゃない。この巨乳妖怪め。
「で、どうしたのよ」
「ミミが疫病神を呼びつける時なんて依頼の時以外ありません。だから依頼です」
「……私、朝にアンタから草毟り頼まれたばっかりなんだけど?」
「追加の依頼ですが何か?」
妖怪は平然な顔をして私に問う。彼女の一人称はミミと自らの名前を使う。明らかにぶっている。この巨乳妖怪は依頼を与える側だからって、ちょっと調子に乗ってるんじゃなかろうか。冒険者はなんでもしないと存在価値は無い。だからって、その冒険者に権利が無い訳でもない。乳がデカいくらいで人の上に立った気になってる妖怪にはそのうち痛い仕置きをしてやるわ。絶対に。
「何を思おうが勝手ですけど、実行するなら報酬減らしますよ」
「いやマジ勘弁してください。草毟りの報酬が無いと家賃払えないんですマジで。こないだ水道止められた時は死ぬかと思ったんで、ホントに報酬だけは」
「終わってますね。なんか、人として」
仕方ないじゃない。金が無いと人として生きていくのは難しいんだから。そりゃ、林の中とかで土とか生肉とか食べてれば生きていけなくはないのだけれど、そんな生活もうしたくないのよ。正直、魔獣の血を染み込ませた土は食べても悪影響がないって発見してしまった事自体、自分でも引いてるし。
「ケホッ……それで、その追加依頼とやらは何なのよ?」
「やる気になりましたか?」
「だって、やらざるを得ないんでしょ」
「そうですね。そう仕向けましたから」
「その飄々とした感じ、やっぱりアンタ、ムカつくわ」
私の言葉を軽く受け流し、妖怪は軽く歩き回りながら私に言葉を投げ続ける。会話中に歩き回るのはこの妖怪の悪癖だ。尤も、この妖怪が多動なのは会話の時だけに留まらない。書類仕事中はペン回しの音が矢鱈と五月蝿いし、花壇の水やりの間も無駄に踊りながら作業をしている。
因みにペン回しはバカに出来ない程に上手いし、踊りは小動物が舞っているようで可愛らしいと同時にあの脂肪分が誘惑するようにたぷたぷ揺れていやがるのが妙に腹立つ。
「今朝、新人が街の外に向かったのは見ていましたね」
「えぇ。あの生意気なガキね。私を見て開口一番、落ちこぼれが、と笑いやがったから覚えているわよ」
最近、このギルドに若い新人が入った。18の男で"剣術が得意"とだけ契約書の一部分にかかれていた期待できない新人だ。冒険者になる際に書かされる契約書には全くの秘匿性がない。その契約書は実のところ、新人冒険者の自己PR用紙でしかなく、ギルドの掲示板に大々的に張り出される。しかも顔写真付きで。
丁度今朝の事、私が妖怪の命令で草毟りをしているとその新人が私を見て嘲笑った。きっと妖怪からの説明を受けて私が冒険者になって9年目である事を知っていたのだろう。その新人は初対面であるのにも関わらず、私の事を落ちこぼれと罵ったのだ。当然、私は草毟りの人なので反論する事はない。というか、出来ない。
けれど、内心までは別の話だ。正直、その場で比喩なく八つ裂きにしてやろうかとも考えた。でも、ギルド前の地面を血肉や内臓で汚せば妖怪に怒られるし、その掃除をさせられるのはどうせ私だ。そういう訳で、今朝は言われるがまま、新人の事は見逃してあげた。
その新人がどうしたのだろうか。どうせ面倒を起こすなら今朝に始末しても同じだったかもしれない。ほんの少しだけ今朝の選択を後悔し始める。
「疫病神にその態度は命知らず……と言いたいところですが、端から見れば雑草取りのおばさんですから当然かもしれません」
「おばさんって年じゃないわよ!?」
妖怪の言葉に拳を握りしめる。歯を食いしばる。殴ってやりたいが私は大人だからそんな事はしない。えぇ、勿論しないとも。
自らに語りかける事で心を落ち着かせていく。そうしないと目の前の妖怪にぶら下がる無駄な脂肪分を殴り飛ばしていたかもしれない。そして揺れるそれを見て、自らの貧相な身体つきに絶望し、世を呪ったかもしれない。そんな事はあってはならないのだ。……クソが。
「馬鹿みたい」
「……今に見てろよ、この乳牛女童」
「あーコワイコワイ。で、話続けてもいいですか?」
私が無言で妖怪を睨みつけていると、彼女は意に介した様子もなく会話を続け始めた。怨嗟の籠もった殺気を受けてこの反応……冗談抜きで妖怪の類かもしれない。
「面倒は嫌いなので単刀直入に言います。仕事はあの新人の回収です」
「まぁ、そんなところよね」
妖怪の言葉を聞いても疑問や驚きは湧かなかった。凡そ、想像通りだったからだ。
冒険者というネーミングはいつ聞いてもあり得ないと思う。何よりこの名前こそが冒険者の死亡率を格段に上昇させている。
冒険者は何でも屋だ。冒険家ではない。しかし、冒険者になる若者は冒険家に憧れてやってくる。嘗ての私もそうだった。その認識のズレが己が身の破滅を招く。
若者には総じて自信家が多い。それも過剰と言える程の自信家が。話に出た新人もそうだ。18歳という若さにして冒険者になり、契約書もとい自己PR用紙には剣術が得意と書く馬鹿っぷり。白髪の老人になるくらいの年月を剣にのみ注ぎ込んだとしても、剣の道の極みになど至れないというのに。どうせ、あの新人の腕前も学園の中で多少他よりも秀でていた、というくらいなものだろう。要するに、井の中の蛙である。
そうした自信過剰の若い冒険者は大抵、最初の仕事で死亡する。冒険者ギルド本部による調査結果ではなんとビックリ、ここ数年の間登録初日の冒険者が死んでしまう割合は76%だったらしい。こんな組織が何で停止されていないのか正直私にも分からない。
そんなこんなで、妖怪の話に戻って来る。彼女が私に投げつけてきやがった仕事は"例の新人の回収"だ。もうお分かりの通り、自信過剰な新人君は不相応な仕事を引き受けて街の外へ行ってしまったのだろう。そして、その皺寄せが私にやってきた訳だ。
ギルドはそれが例え不相応な仕事でも冒険者側が望めば仕事を渡す。同時に、冒険者を見殺しにする事は許されない。そんな若干相反した規則がある。新人君の回収を私に依頼しないといけないのはその為だ。
ホントに面倒くさい。
やっぱり今朝の内に消しておくべきだったのだ。
「……一応聞くけど、断っちゃダメ?」
「構いませんよ。ただ、私の花壇の折れた花についてこの後追求する事になりま――」
「いいえ喜んで引き受けさせていただきまぁす!?」
バレてぇら。妖怪は無表情に私を見ているが、その目の奥に暗い深淵が宿っている。付き合いの長い私には分かる。コレ結構怒ってるヤツだわ。彼女が切れ散らかす前に仕事をこなさないと本気で給料が消えるかもしれない。それだけはマズイ。水道代が払えなくなっちゃう……。
「仕事は回収よね……ですね?」
「丁寧語は気持ち悪いのでやめて下さい。虫に這われている気分になります」
「アンタ私の事何だと思ってる訳……」
「質問の答えですが、その通りです。救助ではありません。ですので、登録名『最強勇者グランソラス』、本名ネロを証明出来るものを持ってくれば仕事は完了です」
「待って、あの新人の登録名が馬鹿すぎて何も入ってこない」
最強勇者グランソラス……いや、何か言うのは止めておこう。新人君の名誉の為だ。子供っぽいし気持ち悪いし本名と欠片も掠ってないけど、何も言うまい。
同じ歳に冒険者になった私でも登録名は無難に名前を使った。秘匿性など全く無いこのギルドで本名隠して活動する事は実質的に不可能だからだ。まぁ、新人君には本名を隠そうなんて考えはなくて、多分格好いいとかそんな理由でつけたんだろうけど。……格好良くはないかな。
「あぁ、それと一点。あの新人は頭の方が随分と弱いらしく持っていけと散々忠告したギルドの身分カードを此処に置いていったので、身分証明書などは持っていないと思います」
「頭がアレなのはもう伝わったわ」
「最悪耳でも持ってきてもらえれば、午後シフトのハイネに鑑定を投げるので何とかなります」
「仕事に来て早々、千切られた耳を鑑定しろと言われるハイネの気持ち、考えた事ある」
「ありません。必要ないので」
「一切の躊躇いなく言い切ったわね……」
もしかしたら妖怪ではないのかもしれない。彼女はもっと悍ましい、それこそ悪魔のような存在だ。
ハイネは彼女の同僚で鑑定魔術のエキスパート。大抵何でも正確に鑑定出来るのだが、唯一ゴア的なものが酷く苦手で血を見ただけでいつも涙を流している。そんな彼女に千切られた耳を欠片の罪悪感もなく投げつけるなんて、まさしく悪魔の所業だ。この巨乳悪魔め。
「……ところで、花壇の件ですが――」
「あーあーあーキコエナーイ」
都合が悪い事からは逃げるべきだ。私は耳を塞ぎ大声を上げながらギルドを飛び出した。新人が何処へ向かったのかは聞いていないないが、今朝は南側へ向かっているのを見た。この街より南側は碌に整備されていない人外魔境。魔獣狩りの狩人も今日は近づかない筈だ。足跡や痕跡を辿っていけばなんとかなるだろう。
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「……一応、生きてはいるみたいですけれど、無事に帰れるとは思えませんね」
ミミは開放されたままのギルドの扉を眺めながら抑揚なく呟いた。
依頼を受けた新人にミミは"何も起こらない魔術"を発現させていた。本当に何も起こす事はなく、対象となる新人が死亡すれば魔術の作用先がなくなり魔術が消失する。ただその際にミミは魔術の消失を知覚することが出来る。
今は未だ、魔術が発現したまま。それ即ち、新人は未だ生きていることの証明だ。
けれど、ミミは既に新人は死亡したものとして考え始めていた。
新人も運が悪い。今現在、動かす事の出来る冒険者が"疫病神"と"奇術師"しかいなかった事は新人にとって人生最大の悲劇とも言える。他の冒険者であれば"救助"依頼を出す事も可能だったかもしれないが、相手が疫病神であるならばその依頼は"回収"にせざるを得ない。
「……対応を間違えなければ生きて帰れるでしょうか。いえ、期待する必要もありませんね。……死亡処理を済ませておきましょうか」
ミミは胸元からボールペンを取り出しペン回しを始める。新人の事など綺麗に忘れて、彼女は書類仕事に勤しむ事にした。
この物語のダークな要素は大抵、登場人物の内面から紡がれるかもしれません。