2-4 一筆抹殺のクリスマスローズ
花梨と会話が出来るようになった翌日の昼。屋上へと続く扉の前で息を整えていると、臀部に飛んで来る。強烈な蹴り。
「オラオラ、突っ立ってると邪魔ですよ先輩」
後を引く痛みが詰まりそうな息を吐き出す。見事な蹴りを食らった臀部は、さぞ真っ赤に腫れているだろう。
「お前いま本気でやったろ後輩……」
「激励の言葉って奴ですよ」
「肉体言語とは思わなかったよ」
したり顔をしている花梨に返すと、彼女は扉の方へ視線を向けながら言った。
「あの人、あたしの誘いにすんなりOKしてくれました。この意味分かってますか?」
深刻そうに語る花梨に黙って背を向ける。
「一筋縄じゃ行きません」
振り向かないまま、親指を突き立てて返す。
「行って来る」
扉を開けて差し込む光。ひんやりとした風が背中を撫でる。
待ち人の元へ赴く。彼女はこちらを見ると静かに笑った。
「なんだかすごく久しぶりね」
揺れる髪を押さえて言うつば姉に生返事をひとつ。本題に入ろうと話し始める刹那。彼女に先手を取られる。
「ずっと考えていたの。そしたら私、分かっちゃった」
何が、と聞くより一足早く彼女は問う。
「ねえ賭、杏ちゃんに何かプレゼントした? もしくは花梨ちゃんに何かあげた?」
横に振る首。
「やっぱり」
柔らかい微笑み。彼女は靴音を鳴らしながら俺に歩み寄り、そのままデコピンを一発噛ます。
「じゃあこれで許してあげる。今日から元通りね」
額に響く痛みを右手で抑えながら、突然賜ったお許しに困惑する。
俺は確かに彼女の許しを求めてここに来た。が、問答ひとつでハイ終わりなんて、いくら何でも唐突過ぎる。
「説明してくれ」
「賭は許して欲しいんでしょう? それとも、許さない方がいいかしら?」
俺が黙ったままいると、彼女は意外そうな顔を浮かべ「言わせたいのね」と怪しげな表情を浮かべ、ようやくその思考回路を明かした。
「だって私が本命でしょう?」
嬉々とした接続詞、さも当然であるかのような、曇りなき物言い。一瞬止まる心臓。
あまりの事で言葉が出ないままいると、彼女は問いを重ねる。
「ねえ賭。あのお花、イカリソウ。覚えてる?」
「……ああ。一度だって忘れた事はない」
「だと思った。私もよ」
何とか吹き返した息。生きた心地はしない。
忘れるもんか。だってあれは、小学五年の春────。
「だってあれは小学五年の春、あなたが私にくれたもの」
最悪のタイミングで爆発する過去の置き土産。苦虫を嚙み潰す。
──────そう。そうなのだ、確かにそうだった。
「面倒くさがりなあなたは何とも思ってない女に贈り物を、ましてや花なんて可愛らしい物をプレゼントしない」
つば姉の語る通り。プレゼントは無料じゃない。手間に加えて選ぶ時間とお金だって掛かるし、そこまでした所で確実に相手が喜ぶ保証など、この世のどこにもないのだ。
「確かに他の子とデートはしたかも知れない、美味しいものとか食べてそれはもう楽しい時間を過ごしたかも知れない。ひょっとしたらキスとかしたのかもね」
でも、とつば姉の言葉は続く。
「贈り物をしたのは私だけ。それがすべての答えなの。他の子としていたのは予行練習なのよね? 賭はシャイだから練習を重ねて本番の時、必要以上にドギマギしないように。あるいは逆に私をドキドキさせる為に女の子慣れしたかったのよね? ごめんね、すぐに分かってあげられなくて。そうとは知らずカッとなって今まであなたに冷たくしてしまって」
「つ、つば姉……」
熱い抱擁、凍る首筋。胴ではなく首をきつく絞めつけられるような感覚がして、今すぐにでも白目を剥いて吐きそうな窒息感が心を包む。
「馬鹿ね。こんなまどろっこしいやり方しなくても、言ってくれたら主導権なんて握らせてあげるのに。あぁでも、それじゃあひょっとして意味ない? やっぱり実力で勝ち取りたかったのかしら。男心って奴? お姉ちゃん、そういうの疎くてごめんね? でも賭だって女心を分かってないんだから、おあいこよね」
言わなきゃならない、「そうじゃない」と。伝えなければならない、「おあいこな訳がない」と。
告げねばならない、あの日あの花を贈った真相を。
いつも軽かった口が今この瞬間だけは鉛のように重く、くっついた唇同士が簡単に離れてくれない。代わりに身体を締め付けるつば姉の両手を引き剥がそうとする。
縮まった両肩がより内側を向いた。
「ダメ。言わないで、行かないで」
言葉なんていらない、と消え入りそうな声が鼓膜を揺らす。釣られて震える身体。
彼女は気付いている。その上で、世迷言を口にしているのだ。
「……つば姉」
「私はあなたが好きなの。それで、“めでたしめでたし”でいいじゃない……ッ!」
僅かに、けれど確かに震える言葉尻。
彼女が見せた一瞬の弱音は奇しくも俺に強い力を与える。
「つば姉!」
力任せに拘束を振り解き、彼女の両肩を掴む。目を潤わせながら小さく首を振る彼女。その姿はさながら、窓ガラスを割って叱られる寸前の子供に酷似していて。俺が口を開けるのを確認するなり、慌てて叫びを上げる。
「私じゃダメなの……?」
「っ、それでも! 聞いて貰う」
揺らぐ心と悲痛な叫びをかき消すかの如く、接続詞を吠える。驚きと共に静まったつば姉の身体、一筋の涙を零した瞳に映っていたのは俺であり、きっと未練がましい恋心。
「本命なんていないんだ!」
「じゃあいなくていい! 私がなる、あなたの本命になって」
「無理だ」
「無理じゃない! 必ずあなたに『つば姉、愛してる』って言わせて」
「出来ないね。俺には愛が分からない」
「なら私が────」
「教えなくていい。押し付けるのがつば姉の愛なんだろ」
「……っ!?」
駄々をこねる小学生のよう、何度も何度も遮っては被せられる言葉の応酬。それは俺の決定的な一言により終止符が打たれた。
泣き崩れるつば姉を横目に全身を包む罪悪感。
「ごめん。今のは言い過ぎた」
返事はない。ただ、顔を伏せたまま「どうして、どうしてそんな酷い事言うの」と壊れたラジカセのように同じ言葉を繰り返しては涙ぐむ。
「ずっと謎だったけど今、ようやく分かったんだ。人間を飼いたいだけなんだよ、つば姉は」
彼女はなぜ俺と犀の世話を焼いてくれていたのか、どうして俺の勉強を見て、わざわざ二回も留年したのか。一週間前からガチガチに練ったデートプランを立てて実行してみせる女が、出席日数が足りないなどという、初歩的な理由で二回も留年する訳がない。家族ぐるみの付き合いがある俺だからこそ、強い自信を持って言える。
彼女は待っていたのだ、俺を。見ていたいのだ、この俺を。
掌の上で踊る人形の歩みを、彼女は愛している。
「…………あの男の嫌な所が似てしまった訳ね」
落ち着いた彼女は低い声で微笑んで笑う。瞳の光が僅かに濁っていた。
「あの花さ、犀に貰ったんだ。あいつが転校した日に」
彼女が今も大事にしてくれているらしいイカリソウに思いを馳せながら語る。
「つば姉に花を贈ったのは自信のなさと俺の無責任が招いた事だ。昔さ、宿題で観察日記だーとか言って1mmも興味ない植物育てさせられた経験ない?」
少しの間を置いて繰り出される不愛想な肯定。
「一番嫌いな宿題だった。無駄に時間掛かるし、気付けばどっから来たのかよく分かんねぇ黒い芋虫が付いてるし、どぉーせすぐに枯らすから。植物だって生きてるんだって考えると、後味もわりぃ。犀から花を貰った時、最初に頭を過ったのは『どう処理すっかなぁ』って事だった。俺はあんなモンいらねぇ、あいつが傍にいてくれたらそれで良かったんだよ」
「いい子とは、呼べないわね」
どうせ、という部分に強いアクセントを付けながらしみじみと語る俺に、つば姉は段々と普段の調子を取り戻していく。
「婉曲表現どうも。……転校しちまう親友からの贈り物、無下にゃあ出来ねえ。そこで俺は考えた、花なんて処理も管理も面倒くせぇモンを大事にしてくれる女の子を。従姉でしっかり者のつば姉に白羽の矢が立ったって訳。本当に、ただそれだけの話なんだ。花言葉も『旅立ち』だし、変な意味はない」
耳に掛かる風の音がやけにうるさく聞こえる、無言の間。
つば姉がこちらを指差して言う。
「どうあれ、私はあの日からあなたを意識するようになってしまった。確かにあなたの言う通り、イカリソウの花言葉は『旅立ち』。けど、もうひとつあるの」
ふと脳裏を過ったのは、転校初日の杏が一分スピーチで語っていたピーマンの花言葉。
花言葉って花ひとつにつき、ひとつだけって訳じゃないのか。
「君を離さない。年頃の女の子に意識するなと言う方が無理じゃないかしら」
君を離さない、か。
「ごめん。本当に知らなかった」
ロマンチックというより、執念深さを表した呪詛みたいだ。
…………犀は知っていたのだろうか?
「もうじきお昼休みも終わるわね。最後に聞かせて。どうして二股なんて愚かな事を?」
時計を気にしながらつば姉が問う。
俺は黙したまま彼女に背を向け、教室へと歩き出す。扉を開け、裏に花梨がいるのを確認してから、右手を上げてつば姉に言う。
「二じゃねえ、三股だ」
馬鹿みたいに飲み食いして、適当に世間話をして。雑に身体を寄せ合ってみたり、含みのある微笑みと猫なで声を投げてみたり。暖房がよく効いた部屋だと言うのに、寒さで言えば外と全く大差ない。
時折、物欲しそうにこちらを見つめる視線と上下に動く喉仏が独特の緊張感を演出する。「ご両親は今日…………?」とか「実はさ、親に『今日泊まってく』って言っちゃったんだ」みたいなお決まりの言葉は決して投げ掛けてあげない。
「何か言いたい?」
首を傾げて上目遣い。板についた初心な振り。
もちろん、彼に言いたい事などないのは、私自身よく理解している。
「それとも、何かしたい?」
今度は悪戯っぽく笑って。
彼が何を欲しがっているかなど考えるまでもなく明白だ。
「……杏ちゃん」
ただの名前、けれど含みのある呼び方。私は答えない。
必要なのは、求めているのは、言葉じゃないと知っているから。
小刻みに震える日脚くんの唇とゆらゆら泳ぐ視線が、余裕と経験の無さを悟らせる。同じような経験があるからこそ、ある程度自信を持って言えるのだ。きっと、心臓はバクバクうるさくて、頭の中は真っ白に違いない。
これからキスをされる。
日脚くんとのキスはきっとレモンの味だとか、煙草のフレーバーだとか、あるいは直前に食べたチーズとチキンステーキとかオレンジジュースやらコークの味がして。
それはもう、絶対忘れられないモノになるんだろう。間違いなく、互いの記憶に残る。残り続ける。淡くて苦い青春の一ページって奴。
クリスマスの夜。いかにも、そういう俗っぽい事をするのは打ってつけの日。
恐るおそる近づいて来る顔面。日脚くんの荒い鼻息が私の上唇を撫で、くすぐったいのに堪えながらも、頭の中は至極冷静に「あと5cm、4cm」と頼んでもいないカウントを取る。
初キスの癖して一丁前に舌とか入れて来たら、「下心漏れてんだけど」って後で盛大に文句を入れてやろう。
「──────」
ふと脳裏を過る。私を見つめる、物言わぬ人影。変わってしまった男の幻影。
その心臓に指紋を残したいと渇望したのは、いつからだったろう。
ねえ、これからキスするんだよ? キスされて、あっさり受け入れちゃうんだよ?
あなたといた時には得られなかった高揚感、あなたといた時には得られなかった多幸感で満たされて、きっともう引き返せないよ?
記憶の中の誰かへ見せつけるよう、食い気味に瞳を閉じる。瞼に映る日脚くんの残像と、すかさず割って入る影法師。
あなたの為の私が、名実ともに死に絶えるんだよ?
どうして、どうして、どうして…………!
心の底からあなたが好きなのに、どうしようもなく好きなのに、あんなにあなたが大好きだったのに!
「…………………………だった、って。なに?」
「────杏ちゃん?」
呆気に取られる日脚くんがこちらを見つめる。けれど、残念ながら意識の中に彼はいない。“それ”を悪い事だと認識した所で、唇にほんの僅かな熱気を感じ取って、それから。
それから私は、反射的に日脚くんを押し退けた。
日脚くんは何が起きたのかもロクに分かっていないという表情を浮かべてフリーズしたまま。後付けの罪悪感が思い出したかのよう加速する。
「ごめ……っ、ごめんね? ほんとごめん」
自分の行いに私自身が一番驚いていて。そのまま逃げ出すよう駆け出して、私は人混みを切り裂きながら暗闇へ消えていく。大粒の雫が視界を邪魔しては拭って。寒さのせいか、怯えのせいか、どうしようもなく震える身体を抱えて疾駆する。
無駄に明るくて騒がしいクリスマスの夜。惨めな異常者の啜り泣きに耳を傾ける輩がいない事だけが救いの、至極無益な時間。自然と行き着いた堤防で、止める足。
「────」
眼前に映って鬱陶しい労働の光。即ち、豆電球の軍勢。頼んでないのにどこもかしこもチカチカと眩しく照らす、実に下品な灯。浮かれるのは結構、でも黙って眠りたい奴だっているんだから、何人かぐらいは自重して欲しいものだ。電気代の事とか少しは脳みその中心に配置しては如何がか。
温暖化でも沸騰化でも何でもいいけど、毎年世界中でこんな事をしていたら、そりゃあ悪化もするだろうに。
怒りに満ちた心の吐露と同時。真っ暗闇に白いモヤが立ち上がる。僅かな温かさを帯びたモヤは私の鼻先を僅かに掠め、静かに虚空へ消え、天に星だけが残った。自己嫌悪が私の肩を馴れ馴れしく叩く。
ねえ、どうして? 私、嫌いになっちゃった。こんなにあっさり嫌いになっちゃったんだよ?
今までどんな思いで、何をして、ここまで。なのに。なのに。
私の“好き”はその程度だったの……? その程度で取り返しのつかない選択を……?
「ふ、ふふっ。ははは」
なんて滑稽、なんという体たらく。
渇いた笑いが零れて、身体と心がゆっくり凍えていく。凍死するのにどれぐらい必要か、なんてくだらない事は頭の片隅に一旦放っておいて。意識を別の方に向ける。即ち、私の“好き”に。
────あぁ、なるほど。ちょっと考えれば簡単に分かる事だった。
失恋という言葉はあっても、失愛なんて言葉はない。理由や経緯はどうあれ、あっさり消え失せてしまった時点で、私のそれはもはや愛ですらなかったのだ。愛と呼びたいだけの、有象無象と変わらぬ恋。
あぁ、くだらない! あぁ、馬鹿馬鹿しい! 嗚呼、吐き気がするッ!
結局のところ、世に跋扈する無様な恋愛弱者に苛立ってしまうのは。人魚姫に向かっ腹が立っていたのは。すべて同族嫌悪が原因だったという訳か。
強者が好き。見習うべき点があるから。
弱者が好き。素直に応援出来るから。
外巧内嫉、人面獣心、羊很狼貪。熟、思う。私はとても身勝手で嫌な奴だ。
「殺してくれる?」と嘯いて、「死にたくないよ」と斟酌して。本当に、本当に、どこまでも悪辣。どこまでも奸悪。
だって気付いてしまったもの。孤独と孤高が違うように。とどのつまり、私は誰かに殺して欲しい訳じゃない。私は、私はただ一人のあなたを。
殺したくて仕方ない。
銃で撃つのはナンセンス。百の想いはあなたの為、千の試行はあなたの為、万の言葉はあなたの為。
臆する事なく挑戦するの。拙い手つきと出鱈目な計画で。阻める者などいやしない、怒りの発露は序章に過ぎない。冗談なんかじゃ済まされない。
交感出来ないのは悲しいけれど、精彩に欠ける事なく、ごく自然に。ガンジス川の砂のように、数える事が出来ない感情を抱え、那由多の挫折を疾駆する。不可思議だと笑い、あるいは恐れ慄くあなた。楽しみ方は無量大数ね。
────嗚呼、だから、だから。
薔薇の枝を凶器にして、一刻も早く、あなたを殺したいの。
私の骨を筆にして、あなたの血潮をインクにして、千一本の薔薇を描かせて頂戴。ルドゥーテですら霞んで見える、息を呑むような萎んだ薔薇を。殉教者の丘に咲く華を!
あなたの光が原動力、その人間性が導となるの。闇と歪みで彩りましょう。批評家ごっこのお気持ち表明が額縁。言わずもがな、言わぬが花。きっときっと、いい絵になる。
あなたの涙で野菜を育てたい。その栄養素で生き永らえたい。あなたで作った食材が血肉となっていくその様は、消化を待つ時間でさえ酷く官能的で、それでいてどこか神聖。きっときっと、美味しいわ。
あなたの悲鳴で鼓膜を揺らしたい。その鳴き声でオルゴールを作りたい。ひとつじゃ嫌、多種多様の透き通った囀りを聞かせて欲しいの。滂沱の叫びでベートヴェンの歓喜の歌を奏でて貰うね。きっときっと、心地良いに違いない。
「湖の底を知られたくないなら、湖を濁らせればいい」
いつか、投げかけた問い。私の答え。
どれほど必死に濁らせようと、どれだけ精巧な偶像で目を眩まそうと、自分だけはちゃんと知っている。見た目よりずっと狭く小さい、湖の底を。
溜息が出る。幸せは生まれた時に尻尾を巻いて逃げ出した。妥協すらも私は拒絶したのだ。
「頑張ったんだけどなぁ」
好きになろうと頑張った、忘れようと頑張った。しかしダメだった。
あと少しの所で、余計な影がちらついて。
あとちょっとで「人って頑張って好きになるもの?」なんて、「思い出って頑張って忘れるもの?」なんて、余計な言葉がちらついて。何とも未練がましいったらありゃしない。
お洒落をしたら日脚くんは気付いてくれる、「似合ってる」って、「お洒落だ」って、認めてくれる。「すごい」って、「可愛い」って、いの一番に褒めてくれる。なのに、どうして。
良し悪しだったら日脚くんの圧勝。だと言うのに、なんで。
脳裏に蔓延るシルエットがまとわりついて離れない。心の底にこびり付いて、錆となって。
細雪が熱い身体を冷ましていく。死体と同じ温度になるまで、あと幾何だろう。
口腔に広がる血の味と肉の感触。喉と鼻までを満たして、けれど痛みはない。
考えはずっと前に纏まってて。まとまらないのは、言葉だけで。
傷の舐め合いをする相手がいない自分に酔いながら、ただ夜明けを待った。
【メモ】
一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穰、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数。