2-1 無味乾燥のアナタシア
我々が青い鳥を見つけられないのは
青空ばかり見ているからだ
ごめんなさい、僕は想ってしまった。
ごめんなさい、僕は変わってしまった。
ごめんなさい、僕は願ってしまった。
「大好きだよ、ばいばい」
走る。力の限り、陽と共に。破滅の道か、地獄の底へ。
並走するは影ひとつ。瞳に映らぬ、声は聞こえぬ。空しく儚い、予定調和。
夜の帳が下りる。悲鳴を上げ始めた脹脛を労わるのも兼ね、高架下の小汚い椅子に腰を落とす。肌寒い。
我慢と気合で履いてきた可愛い(主観)ミニスカートが汚れてしまう、なんて事は気にも留めない。見向きもされぬお洒落など、等しく無価値なのだから。
時が過ぎる。加速する切なさ。
やけにうるさい街と無駄に明るい灯に、どうしようもない見当違いな憎悪を抱え、眼前を両手で塞ぐ。足を綺麗に折り畳み、己の殻に籠る。膝を擽る琥珀のように美しい輝きを放つサラサラの髪。いつも人の視線を釘付けにする豊満な胸が押しつぶされる。少し懐かしいポージング。
やり場のない嘆き、やるせない倦怠。鼓膜を揺らす車やバイクの走る音、それに草木の微かな揺れすら鬱陶しい。横髪に触れる西風にすら殺意を覚えて。
センチメンタルな感情が脳裏で嗤う。
「透き通った純情でも、汚れ切った下心でも、良かったのに…………」
溢れ出た情けない呟きに笑みを零す余裕など、残っていなくて。身震いだか貧乏ゆすりだかを少し。
浮気であれば怒りの余地がある、遊びであったのなら呆れの余白がある。でも違う。そのどちらでもない。
常人ならば多情か戯れの二択である筈が、一累賭はどちらでもなかったのだ。
最初の彼女とは何者なのか?
二番手の女とは、二番煎じの女とは、何なのか?
彼の答えは僕の想定を余裕で上回る。とてもシンプルで、最も醜い、最低最悪の思考回路。
“一番の人間”でも“特別な誰か”でもなく、恋人A。それが一累賭の答え。
許さない、とは吐き捨てない。許せない、とも思わない。ただ。
ただ、心底ムカつく。腸が煮えくり返りそうな想いとはこういう事だろう。
誰が振るとか、誰に振られるとか。これはそういう、可愛らしい色恋沙汰の次元じゃなく。始めから。
………………そう、すべて始めから。
最初から誰も彼を射止めてなどいない。
最初から、彼は誰も見ていない。
青木杏も、鬼灯花梨も、赤井椿もすべて等しく。所詮は“恋人”にカテゴライズされただけのネームドモブ。恋をする者にとって、これほどまでに残忍な仕打ちが、残虐な侮辱が。あっていい筈ないだろう。
「────っ!」
肘が湿る。呼吸が下手くそになる。騒がしくなってきた目頭を大人しくさせようと、濡れた肘にぐりぐり押し当てる。どうにも頑固で、黙る気はないらしい。
ねえ、神様。
甘言蜜語は悪ですか? 甜言蜜語は吹っ掛けちゃいけない?
それが悪だと言うなら、なるほど僕は悪でしょう。
生まれてしまった罪、手を伸ばした咎がある。
認めましょう、受け止めましょう。計画しました、誘導しました。
簡明率直な動機です、直截簡明な感情です。誰よりも何よりも。
ええ、えぇ。紛うこと無く悪いのは僕だ。
上手くいき過ぎて勝手に舞い上がっていた、情状酌量の余地はない。
でも…………でもきっと!
神様だって悪い。
絶対性格悪いし吐き気がするほど外道で邪悪な生き物に違いない。今もどこかで両手をバンバン叩いては気色悪い顔を浮かべながら、さぞ堪らないといった歓声を挙げて泣き笑いしているのでしょう?
神様が出鼻を挫いたから、胸が苦しくなったのです。
神様が心を作ったから、死に物狂いで抗ったのです。
神様が機会をくれたから、僕は私になったのです。
誰かが言っていました、「人を呪わば穴二つ」って。
ねえ、神様を呪えばいくつですか?
感謝します。軽蔑します。崇め、称え、持ちうるすべての力で恨み続けます。
何もかも、すべては神様が悪い。神様が始めた、私が続けた。
神様と、僕だけが悪い。
人が変わるのは、仕方ない事ですから。
「…………杏ちゃん?」
誰かが名前を呼ぶ。どこか聞き覚えのある、呑気な口調と優しい声色。
私は抑えきれない心に覆いかぶさりながら、ゆっくりと顔を上げる。眼前に立っていたのは血の様に赤い髪をした男子。賭の現親友で、私の隣の席に座る、関西弁が特徴の。確か名前は…………何とか日脚くん。
「────」
何某日脚くんの顔が一瞬青ざめる。無理もない。外で丸まっている可愛い(希望的観測)同級生に声を掛けたら、酷く泣き腫らした顔をしていたのだから。
ほんの刹那。日脚くんは唇を強く噛んだかと思うと、普段通りの柔らかいはにかみを見せる。
「どしたん? 話聞こか」
すっかり聞き慣れた常套句を引っ提げた笑顔。いつもと違うのはそこに秘められた確かな暖かさで。
「触れないんだ?」
感心を含んだ沈黙。当然、日脚くんは知る筈もない。
眼前に広がっているのは、恐ろしい毒。傷心真っ最中の身にはとても良く効く、魔法のお薬。フグの毒にも勝る、甘く危険な毒だ。
指先ひとつ触れようものなら、たちまち私を死に至らせる。即効性の、強力な。
「えっ──────と」
理解しながらも、脳裏にあったのは恐怖ではなく、安堵。
意識していたのは危険ではなく、思想。
ただ、ゆっくりと。誘われるがまま、手が動く。
「────」
殺される、殺される。
殺してくれる。
「あの、さ」
健常者はどうやって殺してくれるんだろう。
虫の息の健常ならざる者をじわじわと嬲る? 「同情すれども理解出来ない」と一思いにばっさり切り捨ててくれる?
偏見と嫌悪で睨みつけ、哀れみの眼で一瞥をくれた後。満身創痍の人間の贋作を、眉一つ動かさず、何食わぬ顔で灰にかえしてくれる?
正常な人間を死ぬほど羨むことはあれ、殺したいほど妬むことはあれ、逆恨みはしない。それだけはくそったれの神様に誓ってありえない。
渇き切った心が「悪酒でいい」と喚き散らす。分かってる、「大人になれ」って言うんでしょ?
もういいじゃない。大人だって子供臭いし、お行儀良くしていい事なんて一度もなかったよ?
偶像の果てが、これなんだよ?
「…………」
無明の酒でも事無酒足り得るの。
お望み通り、酩酊して何もかもすべて吐き出したげる。
だから教えて、はやく聞かせて。どうか、実践して見せて。
薄っぺらい人生経験の知った風な口で、浅い価値観ひとつの悟ったような目で。
寄せ集めて取り繕った、拙い言の葉で。
「じゃあ────お言葉に…………甘えちゃおうかな」
どうやって、殺してみる?
旅路を語る。醜い化け物が討ち果たされる道程。最初で最後の、懺悔。
「────それだけ。それだけの、話」
「それだけやないやろ」
語り終えてすぐ返る言葉。
酷く強張った顔。日脚くんの拳が震える。
「辛かったな、とはよう言わん。分かるわ、なんて以ての外や。ただ、一個だけ」
呼吸をひとつ。怒りの滲んだ顔が視線から外れる。
「凄い、すごいなぁ…………!」
「っ!?」
抱擁。日脚くんの強い熱気を感じるけれど、それは至極どうでもいい。
どうして彼はこんな事をしているのか、理解と想像が追い付かないまま言葉が浴びせられる。
「杏ちゃん、ごっつ頑張ったんやな。かっこええ。俺こんなかっこええ子見た事ないわ」
「別に、頑張ってなんか」
「頑張っとるで。こんな壮大な話、口にするのも勇気いる筈やのに、杏ちゃんは全部やり遂げて今に至る訳やろ。あんた凄すぎるわ。ほんま、俺なんかに打ち解けてくれてありがとうな」
違う、頑張ってなどいない。ただ手を伸ばしただけ。
天に向かって両手を伸ばし、見事焼かれた。誰でも分かる当然の報い。
「…………日脚くん怖くないの? 気持ち悪くない? ちゃんと分かってる? 君たち人間と違うんだよ? 普通じゃ、ないんだよ」
僕の話を理解していない可能性を考慮して、確認する。
言葉は食い気味に、明るい声音で返された。
「いや滅茶苦茶怖いよ。ビビっとるに決まってるやん。でもそれはあんたの凄さに、や。愛と勇気と行動力の化身か」
微塵もセンスのない意味不明なツッコミ。馬鹿馬鹿しくて、堪らず零れる失笑。
「杏ちゃん、ちょっと不謹慎な事言うてエエか?」
「なに?」
「俺にせぇよ」
「………………へっ?」
想定外の申し出に間抜けな声が出る。一分か、一時間か止まる時間。
「こんな一生懸命頑張ったっちゅうのに、振り向かんどころか、蔑ろにして傷付けるだけの奴の、何がええねん」
「それ、は」
「あんたを大事にせん奴を、なんで後生大事に出来んねん」
顔を下げて、何か反論しようとして、けど言葉は出なくて。また俯いて。
何度か繰り返して、話題を逸らしを兼ねた最大の問題をぶちまける。
流石に辛辣過ぎると理性が言うけれど、青木杏の話をした以上、何も遠慮はいらない。
「でも私…………日脚くんの事、全然好きじゃないよ?」
「好きにならんでええ」
即答。
「賭くんの事、全く忘れてないよ?」
「忘れんでええ」
また即答。何だか悔しくて今度は強めの言葉で言ってみる。
「日脚くん、ぶっちゃけ眼中にないんだよ? 名ありNPCが関の山なんだよ?」
「話聞いとったら分かるわ」
動揺ひとつない、ハキハキとした物言い。恐るおそる顔を見上げる。
優しい眼が、暖かい表情が真剣なものに変わっていく。
「結婚を前提に、付き合ってください」
人生でまず聞く機会はないと思っていた言葉に、決壊していく視界。
使い道のないシックスパックに頭突きをかます。彼が欲しがっている返事は、そのまま腹の中に閉じ込めておいた。
窓から差す光は何か言いたげに顔面を照らしている。重い瞼を擦って見つめた空はうざったいほど青くて、「どうりで雲が寄り付かない訳だ」と妙な納得があった。
顔だけ洗うのが面倒でシャワーを浴びる。お湯に曝される顔と寝間着。衣服が水分を多く含んで来たタイミングでようやく服を脱ぎ、洗濯機へぶち込む。 段々とはっきりして来る、意識。
昨日食べた夕食、寝る直前までしていたゲーム、走り去った女。
「…………家に送りゃ良かったのかな」
記憶と共に口から出た疑問。
そうは言っても、そもそも彼女の家を知らない。家まで送るというのはまず不可能だ。
「────ばいばい、か」
彼女が残した最後の言葉が脳裏に過る。あの一言は「またね」の代わりに出た言葉か、あるいは俺との別れを告げる言葉だったのか。
前者であるなら、全速力で置き去りにされる理由が謎だ。追って来る前提の行動だったのか?
後者であるなら、だったと過去形にするのが正しいだろう。
出しっぱなしにしたシャワーが動かないまま、生活音が響きだす。
考えても仕方ない、か。そもそも杏の思考なんて、今まで分かった試しがない。今日会って、本人に直接聞けばいいだけの話だ。
蛇口を捻って外の空気に触れる。温まった身体に降り注ぐ、神無月の冷えた風。心地良いそれに身を任せていると床へ水分が滴っていくのを感じたので、口うるさく叱られる前に慌ててタオルで身体を拭いた。
朝食を取り、足元にあった適当な服を掴んで、いつものように学校へ。
「杏、おはよう」
「おはようさん、賭」
「日脚。おはよう」
教室に着いてまず杏に話しかける。が、杏の反応を見るより先に教室へ入ってきたばかりの日脚に声を掛けられる。
「風呂あがりか。髪ぐらい乾かして来いや」
「その時間で飯食う方が有意義だろ」
「お前なぁ」
近付きながら呆れ気味の声。こいつの事はさておき、俺は杏と話したいのだが。
「賭。飯と言えば、実は椿さん達にも言うたんやけどな」
「連絡事項か?」
「そういう訳やないけど、昼休みにちょっとした報告。飯食う前に聞いて欲しい話があるんや。時間くれへん?」
頬を指でポリポリ掻きながら話す日脚に返す、ふたつ返事。
予鈴が鳴る。杏と話せないまま授業が始まって。授業が終わって話しかけようとするも、また日脚に話しかけられて、次の授業が始まって、ループ。
結局、一度もロクに話せないまま昼休みに突入する。もやもやした気持ちを抱えたまま、屋上へ。
扉の先には一足先に待っていたつば姉と花梨。普段と何も変わらない様子のまま、みんなで集まって座ると日脚だけが立ち上がって話す。
「早速で悪いんやけど、みんなちょっと時間エエか?」
いつも通りのおちゃらけた雰囲気ではなく、何かを決めた男の瞳。
よほど大事な話があるのだというのは、誰の目に見ても明らか。
「あー、そう言えば夜中になんか言ってたわね。いいけど、改まってどうしたの」
つば姉が思い出しながら首を傾げる。
俺が聞いたのは今日の朝だが、という出掛かった余計な言葉は飲み込んだ。
「実は俺、杏ちゃんと付き合うとる」
「はぁ…………!?」
「ちょっと、日脚くん!?」
赤らめた顔で立ち上がった杏が日脚の所まで駆け寄る。面食らった表情を浮かべる俺達に日脚はたらたらと何らかの説明を続けるが、何も頭に入らない。みんなの唇が動いて。けれど、音だけが一向に聞こえないのだ。
聞いてもいない馴れ初めを語っているのか、あるいは俺の彼女は可愛い的な自慢話か。
とかく、強い眩暈がした。
「────せやから部のみんなと、特に友達の賭にちゃんと言うときたかったんや。…………けったいな顔してどうした賭、なんか言いたそうやな?」
降り注がれる三つの視線。
脳の処理が追い付かないままいきなり話を振られても、まともに返事出来る訳がないだろう。
「あ、いや、その。お、おめでとう」
酷く吃った間抜けな声。
反射的に杏の方へ視線をやる。日脚に、日脚にのみ向けられている紅潮した表情と潤んだ眼。見た事もない、逆上せた顔。
「…………アホ」
いや、顔だけじゃない。茹で上がった身体でもじもじとする態度、消え入りそうな声とその抑揚、泳ぐ視線やちょっとした仕草。そのどれもが。俺といた時には決してしない、初めて見るモノで。
杏ってこんな顔、するのか。なんて、愚かで情けない納得をひとつ。答えを得る。
昨日のアレは俺達の関係を終わらせる一言だった。
胸の奥が締め付けられるような想いに苦しめられるも、その正体が何なのかいまいち分からないまま。分かっているのは、彼女はもう俺を見ていないという事実のみ。
「という訳で、今後お昼は杏ちゃんとイチャイチャしながら教室で食べる事にしますわ。ほなまた。…………あぁ、賭!」
報告を終えて何事もなく出ていこうとする日脚たち。何か思い出したのか、日脚は俺の方へ顔を向ける。呼ばれて意識を起こし、慌てて生返事。
「あんま杏ちゃんに話し掛けんな。妬いてまうやろ」
笑って言うと、今度こそふたりは屋上から消える。呼び止めようと遅れて声を掛けるも止まる気配はなく。ただほんの一瞬、最後の一言を告げるあの瞬間。日脚にきつく睨まれた、気がした。
どことなく話しにくい空気が漂い、屋上という開けた空間であるにも関わらず、何とも言えない息苦しさで満たされる俺たち。…………否、俺。
口が重い、手汗が止まらなくて気色悪い。上唇と下唇とが汗腺から染み出た油分で接着されているみたいで、堪らない不快感だけがべっとり残る。
「こんな事言うのもアレなんですけど」
最初に沈黙を破ったのは花梨。
「あたし勝手に、杏先輩は賭先輩の事が好きなんだと思ってました」
俺もだよ、なんて馬鹿げた台詞は胸の奥にしまう。
そんな言葉を掛ける資格は、当の昔に失くしてしまったらしいから。
「…………そうね。でも彼女、様子が変じゃなかったかしら。視線が泳いでたし、動作もぎこちないというか。賭の方を一度も見てなかったわ」
「あー、確かに。賭先輩、なんか喧嘩でもしたんですか?」
ふと話を振られ、どう答えるべきか分からず戸惑いながら言葉を濁す。
「あー、いや。喧嘩っていうか、なんていうか。色々?」
「煮え切らないわね。はっきりしないと解決の糸口すら掴めないじゃない」
つば姉のツッコミに「解決なんて出来る筈がない」とは言える訳もなく。頭を回転させながら当たり障りのない回答を返すのみで。
「ちょっとした事で拗れちゃっただけで、ふたりが心配する事じゃないよ」
脳裏で誰かが「何がちょっとだ」とツッコミ混じりに笑って。
何とも言えない視線が数秒向けられた後、つば姉が花梨の方を向いて話す。
「ふぅん。ま、いいわ。この際だからちょっと花梨ちゃんに言っておきたい事があるの」
気を取り直して発せられるその言葉に、どうしようもなく悪寒が走る。
おいおい待て待て。この流れは、まずい!
「えっ、なんすか急に。実はあたしも便乗して報告したい事があるんですけど」
どこか緩んだ口角を見せるふたり。
花梨の一言で嫌な予感は最悪の確信へと変わる。自分に逃げ場がない事を悟って生唾をゴクリと飲み込む。たった一秒の間が一分にも感じられ、生きた心地がまるでしない。これから間違いなく起きる事態に俺は成す術を持たないのだ。
「あらそうなの? じゃあお先にどうぞ」
つば姉が花梨に手の平を向ける。
「ちょっ、ちょっと待とう。ただでさえ頭ん中キャパオーバーしてんだ、今日はもう普通に飯食わないか? なっ、なっ?」
見苦しさが静かに首を絞める。今にも失神しそうな吐き気。
頭が痛い。
「なんで賭が邪魔するのよ」
「そうですよ、賭先輩は大人しくしてください」
無駄に息の合ったやり取りでふたりは俺を見つめる。
なんで今日に限って意気投合すんだよお前ら。頼むからいつもみたいにバチバチにキャットファイトしててくれ。
どうにもならない泣き言を脳裏に浮かべながら、表情筋が死んでいく。
花梨はわざわざ俺の腕を強く引っ張って、慎ましい胸が当てられる。そのまま、つば姉に見せつけるよう、堂々と宣言した。
「実はあたし達、付き合ってまーす! いぇい」
「…………えっ?」
場が凍る。寒さではなく、嫌気で。
立毛筋のスタンディングオベーション。ちょうど俺の顔に掛かっている花梨のアホ毛を、思い切り引っこ抜きたいと今日ほど思ったことはない。
つば姉は目を見開いて驚くと、そのまま表情を一切変えず。ただ冷静に、空いている俺の腕を抱き寄せて言った。
「私、賭と付き合ってるの」
「………………は?」
花梨の顔から余裕と笑顔が消える。心臓の音がうるさい。
固まったまま時計の針だけが進む。昼食を一口も取っていないというのに、空腹感は既になくなっていた。
掴まれていた両腕からほぼ同時に力が抜けて。つば姉が無言のまま、背を向けて駆け出して行く。
バタンと音を立てて閉まる扉。花梨と二人きりの屋上。
無言の時間に苦しくなり、俺が「あの」と話を始めようとした、刹那。
「見損ないました、先輩」
花梨は低い声で吐き捨てると、踵を返してどこかへ走り出す。
青い空の下、ひとりぼっちになった俺はため息をひとつ零しながら、静かに弁当を食べた。