1-2 疲れ知らずの花車
前提として。初対面。それも、出会って半日も経っていないのだから、いまいち人間性が掴めないのは仕方ない。だからと言ってだ。
「…………」
人が通れば借りてきた猫、人がいなけりゃうるさい子犬。すれ違いざまに眩しい笑顔を掲げたかと思えば、次の瞬間には溜息を押し殺したような顔で「それでさ」と他愛もない話を振る。
それなりに人間を見て来た自負のある俺でも、彼女に関しては予測不能と言わざるを得ない。
どちらが本当の彼女なのか、どちらも本当の彼女なのか。
謎は深まるばかりである。
「────てな感じ。じゃあ俺はこれで」
階段まで走ろうとした俺を、青木さんが服の裾をつまんで引き留める。獲物を狩るチーターのような、とても素早い動き。額に汗を流した、やけに必死な形相で。
「待ってまってストォーーップ! 折角だしもうちょっとお話しようよ。あ、心理テストとかやる?」
「やらない。人を待たせてる」
ついでに言えば心理テストとか心底どうでもいい。
「えー、眼前にはまだ自分しか知らない湖があります。人が来るのは時間の問題。でもどういう訳か、きみは湖の底を知られたくない。さあさあ、きみはどうする?」
咳払いをひとつして勝手に心理テストを始め出す青木さん。
「どうもしねぇ。人待たせてるっつってんだろ」
刹那。青木さんの耳がピクリと動くのをはっきり確認する。
「恋人かな?」
「恋人じゃない」
無性にムカつくにやけ面と同時に繰り出す否定。少しの間を経て、「恋人だー?」、「恋人ではない」と、ニュアンスを変えただけでまったく同じのやり取りを、これまた見事にシンクロさせてみせる。
どうやったら開放してくれるんだ……。
「賭くん、ここは?」
あっ、と思い出したかのように青木さんが上へ続く階段を指差して。
「屋上」
意図的に言わなかった場所。
「いいね。入ろう」
「不良の溜まり場だ。近付かない方がいい」
言っていて悲しくなる。目を輝かせる青木さんに釘を刺すが、聞く耳持たず足並みは階段へ。放置するのも怖いので、仕方なく青木さんについて行く俺。
……たかが校内案内で目ん玉キラキラさせられる意味が分からん。
「学校好きか?」
「ここは特別だけどそんなんじゃないよ。あ、でも単純に知らない事を知れるのは好き、かな」
一瞬止まって、何ともないように言って、満面の笑み。どこまでも優等生な回答にゾッとする。
学校なんてどこも同じだろ、とうっかり口から漏れ出た呟きが、思考を過去へと引きずっていく。
そうだ、学校なんてどこも一緒だ。
未来を担う(笑)クソガキがいて、未来を育む(真顔)クソガキがいて、凄惨な日常だけがある。それだけの場所。
気の合う後輩なんかは、常日頃から人類滅べとすら言っているぐらいだ。────いや、あいつの場合は単純に人間嫌いなだけだが。
青木さんは鼻歌を交えながら、軽快な動きで階段をひとつ飛ばしにして駆け上がる。その姿、兎の如く。
「遅いよ、賭くん」
「青木さんが早いんだよ」
この先に待ち構えている奴らの事を考えると、余計に足が進まない。
「僕が早いのもあるけど、賭くんはシンプルに遅い。歩くのも走るのも、ついでに泳ぐのもね」
純度100%の偏見。歩き疲れて体力がないってのはあるけど、よくもまあ初対面の相手にそこまで言えるなこの子。
「……はいはい、さーせん」
否定はしない、体育の授業にも問題がある。スポーツ選手を志している訳でもないのに、ただ無意味に他人と競って、勝手に記録され、頼んでないのに比較して。一体何になると言うのだ。
青木さんがドアノブに手を掛け、光が差し込む。広がっている、見慣れた光景。こちらを見つめる馬鹿三人衆。
群れ一番の喧しい黄髪が飛び出す。
「こんっ、にっち、はっ! 色々でかいですね、何先輩ですか?」
石蹴りのリズムで元気よく青木さんを下から覗き込み、じろじろと品定めする一個下の後輩。
「誉め言葉として受け取っとくね? はじめまして、青木杏です。えっと……」
「鬼灯って言います。鬼の灯火で鬼灯って、かっこよくないですかぁ?」
「花言葉は『欺瞞・偽り・半信半疑』だね!」
笑顔で言ってっけどそれ褒めてんの?
鬼灯花梨。彼女とは日脚と同じく中学からの腐れ縁の────あぁ、そういえば花梨と初めて出会った時も屋上だった。
感傷に浸りかけ、慌てて止まる。今は青木さんを優先しなくては。
「見覚えあるかも知れないけど、奥に見える狼男が日脚。横にいる眠り姫は俺の従姉で三年の赤井椿」
前者は「起きてる」、「聞いてる」と言いながら実のところ、すべての会話をボイスレコーダーで記録している病的な男嫌い。後者は出席日数が足りなくて二回の留年を経験している歴戦の猛者。
長い髪を揺らしながら赤井椿、改めつば姉が日脚と共にこちらへ歩み寄ってくる。口をあんぐり開けて驚く青木さん。まるで幽霊でも見たような、目の開き具合。
「嘘……なんで椿さんが?」
「あら。初めまして、という挨拶は間違っているのかしら?」
面識があるというより、青木さんが一方的に知っているだけのような、つば姉の言い回し。
青木さんは頭を軽く振って短い言葉を紡ぐ。驚愕の一言を。
「いえ、馴れ馴れしくてすみません。実は金木くんと同じ学校にいて、少しだけお話を伺った事があるので、つい驚いてしまって」
出るはずのない名前に、反射で動く身体。気付いた時には青木さんの両肩を掴んでいた。
「あいつ今どこだ?」
つば姉に名前を呼ばれて冷静さを取り戻す。青木さんを慌てて放し、平謝りすると彼女はようやく話し始めた。
「よく知らないけど、日本にいるって話は聞いたよ?」
日本にいる。それは、つまり。
今まで海外にいた?
「そう、か。あいつ無事なんだな、良かった」
本当に。あぁ、本当に良かった。
「もしかして前に言ってた……」
胸を撫で下ろす俺に花梨が恐るおそる尋ねる。日脚も状況を察したのか、意味深に頷く。
「あぁ、金木犀。俺の親友だ」
金木犀。小学生の頃に両親の離婚で消えて以来、ずっと探していた。たったひとりの親友。あまりにも音沙汰がないから、てっきり俺は。
余計な考えを振り落とすようにボサボサの頭を掻く。みんなをジロジロと見つめる青木さん。
「それより賭くん。不良の溜まり場って聞いてたけど、別に普通じゃん」
自信満々な顔で花梨が青木さんに服を見せつける。デカデカと『反面教師』の文字が記された彼女オリジナルTシャツを。「約一名を除いてさ」と困惑気味に補足する青木さんを見て、花梨にチョップをかましながら俺は言った。
「俺たち『相縁四天王』はクラスに馴染めない。だから休み時間はこうしてあぶれ者同士、空しく連るんで過ごすってわけ」
気付け。ここは、お前の来るべき場所じゃない。
青木さんは俺を見て一瞬、僅かに口角を上げるとすぐ元に戻し、話す。
「邪険にするんだ? そうはさせない。悲しいから、みんなの輪に加えて貰えないかな?」
流れる確かな沈黙。誰も表立って彼女の提案を否定出来ない。ろくでなしの集団であったとしても、好き好んで他者を傷付けるわけではないのだ。
「あ、でも私が入ったら四天王じゃなくなるかな?」
顎に手を添えて真面目な顔で「どうしよう。語呂が悪い……」と、一人で考え込む彼女に緊張していた空気がやんわり和む。
「ちゃうねん、青木さん。三人やった時代もあるからな?」
「そうそう、ポケモンだって四天王倒したらチャンピオン戦あるんだから人数なんて誤差よ、誤差!」
その例えはどうかと思う。
なら何も問題はないと言いたげな青木さんの惚け顔。
「二回留年してる自由人、ボイスレコーダーを携帯している変態、賭け事以外は消極的な問題児。あと、反骨精神を着込んだ美少女。こんな群れの中に転校生が入ったらどうなるか、よく考えた方がいい……と先輩は言いたい訳ですよ。青木先輩」
面倒くさそうに髪を掻きながら花梨は言う。紹介の仕方に意義を唱えんとつば姉たちが騒ぐが、何ひとつとして間違った事は言っていないので、二人も強くは言い返せない。
冷静に話せてはいるが、そろそろまずいか?
「そういうこったぁ。冒険はおしまい」
時計を見ながら「昼飯食う時間なくなるぞ」と青木さんの退出を促す。そこそこの付き合いになるのだから目つきで分かる、花梨が苛々している事ぐらい。早くしないと後で彼女の愚痴を何時間も聞かされる事になるのは俺なのだから、それは避けたい。
「おっと、一大事だ。じゃあみんな、また今度遊ぼうね!」
失礼しました、と丁寧なお辞儀をして走り出す彼女の後を追う。慌ただしく食事を摂ってなんとか平穏無事に一日を終える。翌日のこと。青木杏は言葉通り、屋上にやって来た。何をするでもなく、ただ遊びに。何回、何十回、否。青木杏は毎日、屋上に来たのだ。
目的が分からないまま、無邪気に微笑む訪問者に俺たちは最初こそペースを乱されるが、次第に耐性が付いてきて。いつの間にか、普通に彼女と会話をするようになる。
俺たちの日常に、青木杏が加わった。