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Said:ライル
ドニさんを伴って、マルクさんの部屋に入った。初めてこの部屋に来た時と同じく、ベッドで静かに横たわるマルクさんを月明りが照らしている。
最初と異なる点を挙げるならば、青白かったマルクさんの肌が体内に注入された薬剤や化粧によって血色を帯び、まるで本当にただ寝ているかの様に見える事だろうか。
ドニさんは何も言わず、ゆっくりとマルクさんに近づいて行く。僕は扉のそばから動かず、ドニさんたちを見守る事にした。
「父ちゃん…」
こけた頬が元に戻り、化粧によって健康的な印象を取り戻したマルクさんを見たドニさんから、グスグスと鼻を啜る音が聞こえ始める。
そして、恐る恐るといった様子で、マルクさんに掛かっていたシーツをめくった。
「あ…あぁ!良かっ…た、なぁ!良かった、父ちゃん…」
めくったシーツをグッと握りしめ俯きながら、ドニさんがベッドサイドに崩れ落ちる。
「ドニさん、僕はダイニングに戻ってますから、気になる所があったら仰ってください」
「あり、ありがとう…、ありがとう!」
俯いたまま震える声で、ただ「ありがとう」と繰り返すドニさんの姿を、僅かに見つめたあと、僕はマルクさんの部屋を出た。
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Side:ギィ
ダイニングの椅子に座って書類の整理をしていると、ライルが一人で戻ってきました。精巧なビスクドールの様に美しく無表情で、冷たい瞳をしながら。
「お帰りなさい。ドニさんの様子はいかがでしたか?」
声を掛けた私と目が合うと、ライルの瞳に少しだけ温度が戻り、僅かに微笑み掛けてきました。
「いつも通り、かな。失敗はしてないみたい」
ライルの言う「いつも通り」とはつまり、うまく出来たエンバーミングを見て、依頼者が涙を流したか、もしくは感激していた、という事でしょう。
…いえ、言葉を飾らずに言うならば、「代り映えしない結果」という意味かもしれません。
ライルはエンバーミングに関する姿勢はとても情熱的である一方で、依頼者がエンバーミングの結果にどれだけ感激し謝辞を述べてきても、表面上は慈愛に満ちた顔で接しますが、心の内はとても冷めきっています。
ライルの生い立ちがそうさせるのか、あるいは彼の師匠の影響を受けたのか…
「そうでしたか。では、ドニさんが戻られるまでの間、情報交換をしませんか」
そう言って、私とライルはダイニングセットに向かい合って座りました。さて、初めから「何かある」感じが満載の今回の依頼ですが、その正体に迫って行きましょう。
「じゃあ、僕から。ドニさんは文字が読めないみたい」
「やはりそうでしたか。エンバーミングの内容を書面に起こす際、絵も描いてほしいと言っていたので、もしかしたらとは思いましたが…」
「うん。でも少なくとも年に数回は勉強のために教会から教師役が派遣される決まりでしょ?仮に参加する機会が無かったとしても、村の中の誰かに教わるとか方法はあるはず」
テーブルに肘をつき顎を手に乗せながら、うーん、と考え込むライル。確かにライルの言う通り、友人や周囲の大人、それこそ両親に教わる事だってできたはずです。
しかし、「全く勉強していない」と考えるのも早計です。ラベジュ村では狩猟が村全体の産業であり収入。ドニさんが仕留めた得物やその副産物について、自分の家の取り分や賃金を書面で取り決める事だってあるでしょう。
そういった場面ではご両親が対応したのかもしれませんが、いずれ独り立ちするであろう息子を思えば、いつまでも自分たちが対応するわけにはいきませんから、多少なりともドニさんに読み書きを教えたのでは?
そうであった場合、もうひとつ考えられる事としては…
「まったく文字が読めないのではなくて、スラスラと読めない事を隠したくて思わず『読めない』と言ってしまった、という可能性はどうでしょう?」
「まぁ習熟度は人によって差はあるけれど…よし、ドニさんだけなのか村全体でもそうなのか、確認してみよう」
明日にでも村を探索するのでしょうか?いずれにせよ、このまま『メリアの祈り』へは帰宅せずに、ラベジュ村にお泊りする事になりそうですね。
「分かりました。他には何かありましたか?」
「マルクさんの体の状態が、ただの病人や怪我人とは違った」
ライルの声色が少し暗くなりました。肘をついていた状態から、今度は背もたれに寄り掛かる体制に。エンバーミング中に見たものを思い出しているのか、視線はテーブルに縫い付けられたまま動きません。
「気になる箇所がいくつもあったんだ。まず…」
ライルは途中まで言いかけた言葉を止めると、チラリとマルクさんの部屋のある方向を見ます。すると、それから5秒も経たないうちに、ドニさんの足音が聞こえてきました。気配を察知した、というやつですね。
気になるところでお預けですが、続きはのちほど魔法馬車で行うとしましょう。
「ふたりとも、待たせて悪いな」
真っ赤に泣き腫らした目元をしたドニさんが戻ってきました。ですが、『メリアの祈り』に来た時や、この家に帰宅した時よりも、落ち着いた顔をしています。
「いえ、ギィと書類の確認をしていましたから、待った感じはありませんでしたよ」
ライルの表情が人好きのする柔らかい笑みにパッと一瞬で変わり、ドニさんを迎えました。意識して切り替えているのか、素で切り替わっているのか…先ほどの無表情と比べるとかなりの変わり様です。
「ありがとうな。父ちゃんの指、あんなに綺麗になるなんて思わなかった」
真っ赤な目に薄く涙を浮かべた後、ドニさんは嬉しそうな顔で目を閉じました。私はエンバーミング後のマルクさんにお会いしていませんが、ドニさんの様子を見る限り、大成功だったのでしょう。
「それでな、今回のお金なんだけども…いくらになりそうだ?」
「今回の施術費用については、この後ギィと算出しますので、明日お伝えしますね」
そうでした。今回の依頼の「裏」にある「何か」を探る事に集中していましたが、それよりもエンバーミング費用をいただかなくては。
「わかった。今夜は村に泊まるのか?」
「はい。魔法馬車があるので、そちらで一晩過ごします」
ドニさんとライルのやり取りを見ながら、ある事を思い出しました。キッチンスペースの鍋敷きに置いた、小さな鍋。そう、薬湯です。とっくに火から下ろしていますが、まだ少しだけ湯気が出ています。
「ドニさん、胸焼けや胃腸の不快感に効く薬湯を作っておきました。少しでもいいので召し上がってください」
薬湯と聞いたライルの顔が一瞬嫌そうな表情になりました。ライルは昔から、あの独特な香りが苦手でしたからね。
ありがとうとお礼を言うドニさんに断って、私とライルはドニさんの家を出ました。
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ドニさんの家を出ると、夜の気持ち良い風が体をスッと撫でていきました。心地よさに思わず目を細めたところで、ふと周りの景色が目に入ります。
真っ暗で明かりが一つもなく、唯一の光源は月明りのみ。
近くには家々があり、畑らしき土地もあります。何が育っているのかはわかりませんが、畑一面に作物が実っているようには見受けられますね。
(狩猟で肉が手に入り、畑には野菜らしきものもある。食料はありそうなのに、ドニさんもマルクさんも細かった)
暗い村を見つめながら思案していると、ライルが魔法馬車から顔を出して声を掛けてきました。
「ギィ?乗らないの?」
「すみません、考え事をしていました。今、乗ります」
魔法馬車に乗り込み、共有スペースにあるテーブルセットの椅子に座ります。ライルは先に座って準備していたようで、テーブルの上には何かが書かれたメモ用紙が数枚ありました。
「お待たせしました。では早速、先ほどの話の続きをお願いします」
「うん。マルクさんの事なんだけど、気になった点を挙げていくね。1つ目は頬のこけ方や筋肉の落ち方が、病的である事。2つめは全身に多数の痣があり、中には直近でできたであろう痣も複数ある事。3つ目は手の甲の骨がただの骨折ではなく砕かれた様な状態である事」
なるほど。どれも「ただ事故に遭った村人」で片付けるには、違和感が残る内容ですね。
ドニさんは『メリアの祈り』で、事故後マルクさんの指の状態が影響しマルクさんの仕事に支障がが出た、と言っていました。つまり、指の形状はともかくマルクさんの骨折は治り、仕事に復帰できるくらいには体調が回復した状態だったはずです。
骨が外に突き出すほどの激しい骨折をした指もあったとの事ですが、一般的にそういった骨折が治るには早くても3ヶ月ほどは掛かります。
この憶測が概ね合っているならば、少なくとも3ヶ月前には骨折した状態であった可能性が考えられます。
そして、この状態と矛盾するのが「直近でできたかもしれない痣」の状況です。
打撲による痣は概ね1~3週間ほどで完治します。仮に、マルクさんが摂取した栄養が全て骨折を治すために使われたのだとしても、3ヶ月も前にできた痣が「直近でできた」様に見えるでしょうか?
「つまり、マルクさんは骨折のあと、最近まで痣ができるような何かをした…もしくはされた可能性が高い、という事ですね」
「うん。そうなるね…それに手の甲の骨も、ただ馬車の車輪に巻き込まれた様には思えないんだ」
ライルの言葉にドニさんとの会話を思い出しました。ライルがエンバーミングを行っている間に、唯一ドニさんから引き出せた情報です。
「ライル、ドニさんは馬車の事故によって骨折をしたわけではありません」
「やっぱり…どうして骨折を?」
「いえ、そこまではドニさんから聞き出せませんでした。ですが、あの時のドニさんからは、溢れそうなほどの怒りを感じました。復讐したい、と…」
あの純朴そうな青年が「復讐したい」と、思わず口をついて出るほどに暗く激しい感情。単なる事故による骨折とは思えません。痣の話にしても、病的な理由も無く直近でできたのであれば、考えられる事は絞られます。
これらの状況から推測される、最も高い可能性は━━━━
「「故意に行われた傷害」」
私とライルの言葉が、一言一句違わずに重なりました。ただでさえ、二人きりで静かな馬車内ですが、今は耳が痛く感じるほど何の音も聞こえません。
ライルが何かを言おうと口を開いた瞬間、突然彼は馬車の窓に鋭い視線を向け、じっと聞き耳を立て始めました。数秒遅れて私もその理由に気付き、ライルに倣います。
魔法馬車の外では、何人かの人間が馬車を探る様に歩いたり立ち止まったりする気配がありました。殺気は感じないうえに、消し切れていない足音から察するに、村人でしょうか。
幸いにして、魔法馬車の窓は外から馬車内を見る事はできません。
しかし、マルクさんの怪我の原因が、事故ではなく傷害の可能性が浮上した今、犯人かもしれない村人が自分たちの馬車を探っているこの状況は、いささか緊張しますね。
私とライルが相手の出方をうかがっていると、しばらくしてその気配は村の中に消えていきました。