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魔法帝国のエンバーマー  作者: 千夜丸
1章 祈りの形
8/15

Side:ライル


再びマルクさんが安置されている部屋に戻って来た。

ドニさんからの情報収集はギィに任せるとして、僕はエンバーミングに集中しなくては。


「ではマルクさん、よろしくお願いします。まずはお体を洗いますね」


局部をなるべく見ない様に配慮しながら、マルクさんの衣服や下着を全て脱がせると、案の定、背中や太ももにも多数の痣があり、治りかけの痣もあれば、まだまだ痛そうな青黒い痣もあった。


治癒の度合いが違うという事は、日を空けて暴行を受けた、という解釈もできる。


(村の人間か?それとも賊か…いや、賊なら準伯爵家の私兵団か自警団が動いているはず)


国や領土を守る国直属の騎士団はいるが、主に皇帝や教皇がいる帝都を守るために存在しており、準伯爵領の警備にまで人員を割けるほどは居ない。そこで各領土では、領土を管理している領主が「私兵団」を編成し、自領の警備を行う。


もちろん、この私兵団も領土の隅々にまで配置する事は難しいので、そういった地域では、傭兵や民間の「腕利き」たちを集め、私兵団の指南を受けた後、「自警団」として各地の警備に就いてもらうのだ。


その私兵団や自警団の仕事内容のひとつに、領内で発見された賊への対応等も含まれる。


賊の被害に遭った町や村では団員がしばらくの間滞在し、近辺の残党処理や、夜間に不審者が出ないか等の警備を行う。また、滞在期間中は彼らも寝ずの番をしてくれるのだ。


しかし、ラベジュ村には門番が居なかった。賊が出たばかりならば、村の外を警戒するだろうから、夜間に門番を置かず自由に出入り出来る状態にするはずがない。私兵団か自警団が滞在しているならば、なおさらだ。


マルクさんの新しい青黒い痣がここ2~3日の間に出来た新しい痣だと仮定した場合、門番も団員も居ない状況から、「賊の被害には逢っていない」と判断できる。


(だとすると村の誰かに暴行された可能性が高くなるけど…しっくり来ないな)


村全体が暴行に加担したのか、特定の人物が行ったのか…何にせよ、ここまで痣だらけにするほどの理由が思いつかない。


ふぅ、とため息を吐きながら、マルクさんの枕元で発動したままの、水の魔法石に触る。

すると、ベッドだけを包んでいた水がマルクさんをも包み、水の魔石による「循環」の勢いが増した。


この勢いのある循環を利用して頭からつま先まで洗えるほか、マルクさんの鼻から水を流し込み、口の中や消化器官に残っている残存物を肛門から排出させることができる。

こうして全身を綺麗にしている間に、空間魔法を使って『メリアの祈り』の処置室から薬剤やメス、化粧道具などの必要なものを引っ張り出し、サイドテーブルに並べた。


しばらくして洗浄するものが無くなると、「循環」の勢いが自然におさまってくる。もう一度水の魔法石に降れ、マルクさんの体を包んでいる水を魔石に吸わせ、ベッドだけを覆っている状態に戻した。


「マルクさん、お体を消毒しますね」


サイドテーブル上の消毒薬の瓶を開け、柔らかい布に染み込ませた。空間内に消毒薬特有のツンとしたにおいが広がる。


消毒薬が染み込んだ布でマルクさんの全身を優しく拭き上げたら、今度は血液などの体液と防腐剤の入れ替えを行う番だ。この入れ替えを行う事により、体の腐敗を防ぐことができる。


マルクさんに断ってから左右の鎖骨近くを1か所ずつ小さく切開し、その傷口を中心にエンバーミング専用の術式を発動する魔方陣を肌に直接描いた。


2つの魔方陣のうち、マルクさんの右鎖骨の陣から人差し指ほどの太さの蔓が伸び、切開した箇所から体内に入り込んで、血管や体腔内に防腐などの役割を担う薬剤を注入し始める。


左鎖骨にある魔方陣からも同様に蔓が出たが、こちらの蔓は2本あった。片方の蔓は左鎖骨近くに切開した傷から体内に入り、右蔓の薬剤が体内に注入されることで体から溢れた全身の体液を、左の魔方陣に吸い集める。


そして、もう片方の蔓の先端は水のベッドに浸かった状態になっており、魔方陣に吸い集められた血液を排出する役割だ。


ベッドを覆う水は常に「循環」しているので、ベッドに流された血液はすぐに浄化され透明で清浄な水として戻ってくるため、ベッドやその周囲は清浄な状態が保たれる。


血液と防腐剤の入れ替えは時間が掛かるので、その間に、隈や痣が目立たない様に化粧を行う事にした。


(黄色っぽい痣には薄紫色で隠して…こっちの青黒い痣は…まず赤茶色を下地にして…)


エンバーミングで行う施術のうち、この化粧を行う時が一番悩ましい。やりすぎても化粧感が出てしまうし、かと言って遠慮すると隠したい傷跡が隠れないといった状態になり、化粧の意味がない。特に顔は遺族の目に触れる部分だから、殊更悩んでしまう。


(隈はほんの少しだけ残った方が自然かな。頬は後で詰め物するから血色よくするくらいで…)


うんうん唸りながらそれなりの時間を掛けて、顔と全身にある痣の化粧を終えた。あとは手指の怪我の痕を隠す化粧だが、こちらは指を組んだ後の方が良いだろう。指を組む時はどうしても自分の手で触って力を加える必要があるので、化粧をした後では、化粧が崩れて痕が見えてしまうかもしれない。


引き続き体液と防腐剤の入れ替えを行っている魔方陣を消さないよう、慎重にマルクさんに服を着せ、いよいよ今回の主たる依頼に取り掛かる。


「マルクさん、手指に弱体化魔法を掛けますね」


マルクさんの手に僕の手をかざし、弱体化の魔法を唱えた。彼と僕の手の間が一瞬だけ淡く光る。


「失礼します」


マルクさんに声を掛け、手指に優しく少しずつ力を加える。指を1本ずつ触ったり摘んだりしながら、ずれている骨の位置を探り、指がまっすぐになる様に整えた。

指の反りや曲がりが強い部分には、弱体化魔法を重ね掛けし、骨が折れないよう慎重に作業する。


(あれ?)


マルクさんの手の甲を修復するため骨の状態を確認しようと触った瞬間、違和感を感じた。


「これは…骨折したというよりも、()()()()…?」


単に骨が折れただけならば、折れた箇所以外は骨を触った感覚が多少なりともあるはず。

しかし、マルクさんの手の甲にはその感覚がほぼ無い。まるで、砕かれたせいで骨と呼べるものが手の甲には無い様な感覚。


これも馬車の車輪に巻き込まれたせいなのだろうか?


手全体の骨の位置を可能な限り整えた後、ドニさんの依頼通りに指を組み、指に自然な丸みが出るように指の関節部分を少しだけ手のひら側に曲げると、今度は強化魔法を掛けた。


「うん。自然に指を組んでいる様に見えるね。あとは手の怪我の化粧だ」


傷跡を丁寧に隠し、どうしても少しだけ曲がってしまっている指には、マルクさんの肌よりも敢えて暗い色と明るい色を使って化粧を施し、陰影を付ける。子供だましだが、目の錯覚を利用して少しでも指がまっすぐ綺麗に整った様に見えてくれたら嬉しい。


「マルクさん、もう少しで終わりますよ」


残るは、病的にこけている頬を詰め物で目立たなくし、髪の毛を整えた後、防腐剤の注入が完了するのを待つだけだ。


サイドテーブルにある脱脂綿をマルクさんの頬の内側に詰める。数個詰めるとこけた感じが消え、健康さがうかがえる見た目になった。先に顔に施した化粧との調和も出来ている。


櫛で髪を整えていると、左右の魔方陣から伸びていた蔦がシュルリと魔方陣の中に戻っていき、それぞれの魔方陣もふわりと消えた。血液と防腐剤の入れ替えが終わった合図である。


櫛をサイドテーブルに戻し、代わりに縫合セットを手に持った。切開した箇所の縫合に使う糸はただの糸ではない。蜘蛛型のモンスター「アラクネ」が産卵前後に吐き出し、子蜘蛛のベッド用に使うとても柔らかい糸である。


極細で柔らかな質感でありながら、とても丈夫で長持ちし、何より1本1本の糸が透明なのだ。この糸で縫合すると「傷口を縫った」感じになりにくく、縫合痕も化粧で容易に隠せる。


エンバーミング用に小切開した箇所をアラクネの糸で細かく丁寧に縫合し、その上から切開痕が見えないように化粧を行った。


最後に衣服の襟元を整え、縫合セットと水魔法・風魔法の魔石を回収しサイドテーブルに置く。マルクさんのベッドの表面を覆っていた水が全て吸収され、真っ白いシーツが月明りで輝く元のベッドに戻った。


「マルクさん、お疲れ様でした」


マルクさんにシーツを掛けてもう一度「死者への礼」を行う。僅かな黙とうの後、サイドテーブルに乗せていた道具の片付けを始めるため、手始めに魔石を持ち上げた時、窓から差し込む月明りによって、手の中の魔石がきらりと光った。


なんとなく、光のあとを追う様にふと窓の外を見ると、まん丸の月が天上で静かに輝いていた。窓からは村の様子も見えるが、篝火もランプの明かりさえも無く静まり返った村を煌々と照らすその月が、唯一異質な存在に見えるのは、なんでだろうか。


(…考える事が多すぎて疲れたのかな。月があんな位置にあるし、この家に来てから3~4時間は経ったはず)


閑古鳥が鳴いてから、約3ヶ月ぶりに行ったエンバーミングだ。移動もあったし僕自身が思っているよりも疲れたんだろう。


「マルクさん、今からドニさんをお呼びしますね」


マルクさんの部屋を出たあと、先ほどと同じく消毒薬を全身に降り掛け、風魔法で薬品のにおいを蹴散らした。

ダイニングに向かうと、ドニさんはテーブルに伏して休んでおり、ギィは……


(うん?)


「ギィ、何してるの…?」


小さなキッチンスペースの横にある暖炉内は、鍋等が設置できるようにダッチウエストが設置されている。そこに置かれた小さな鍋を、ギィはかき回していた。


「あぁ、ライル。お疲れ様です、施術は終わりましたか?」


僕の声に反応したギィが、こちらを振り向く。掛けている眼鏡のレンズに暖炉の炎が映り込み、ギィの目が燃えている様に見えた。なんだか怖い。


(割烹着も着てる…)


デフォルメされた可愛らしいお花のアップリケが胸元に付いた割烹着は、ギィのお気に入りである。いつだったかフィルがギィに贈ったもので、腕まですっぽりと覆い袖口がキュッと絞られたデザインのそれは、料理をするギィの心を鷲掴みにした。


「うん。終わったよ、ギィは料理してたの?」


人の家のキッチンで、という言葉は寸でのところで飲み込み、鍋の中を覗き込むと、焦げ茶色の液体がふつふつと揺れている。乾燥した何かを煮出したような、独特の香りが鼻を突いた。


「薬湯ですよ。ドニさん、魔法馬車で召し上がった料理が重たかったようで…」


自分の名前が聞こえたからか、テーブル伏していたドニさんがゆっくりと顔を上げる。胸やけか腹痛か、元気の無い瞳が僕を捕らえると、ハッと見開かれた。


「父ちゃん!終わったのか!?」


ドニさんは勢いよく立ち上がり、その反動で倒れた椅子も気にせずに僕の所まで来ると、僕の両肩をがしっと掴み、不安と期待が入り混じった顔で見てきた。


「お疲れ様です。エンバーミング、終わりましたよ」


さぁ、マルクさんと対面してもらおう。

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