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Said:ライル
マルクさんの部屋を出た後、再び空間魔法で『メリアの祈り』から消毒薬を取り出すと、手や服に降り掛けて消毒を施した。
消毒薬特有のにおいを風魔法で霧散させ、ギィ達のいるダイニングに行くと、ふたりは何か話していたようだった。
「ドニさん、お待たせ致しました。マルクさんのエンバーミングについて施術箇所と方法をお話しします」
コクリと頷いたドニさんに促され、ドニさんの正面の席に座る。僕の席の隣にいたギィがティーウォーマーに乗っていたポットを外すと、3つのカップに注いだ。
温かなお茶のふわりとした優しい香りがダイニングに広がる。
「ギィ。今からドニさんに説明する内容を、文字と絵に書き起こしてくれる?」
『メリアの祈り』では、どのような結果を想定しているのか、そのためにどのような施術を行うのか口頭で説明し、併せて文書にも書き起こす運用だ。その文書は複製も行い、原本は依頼者、複製した方は『メリアの祈り』で保管する。
通常であれば文字だけなのだが、文字が読めないというドニさんに配慮し絵を添えることにしたのだ。
ドニさんが文字を読めないという事を知らないギィは、絵も描いてほしいと言う僕に一瞬だけ不思議そうな顔をした。
まぁ、そうだよね。『メリアの祈り』に保管されている、これまでのエンバーミング案件の文書は、ほとんどが文字だけで挿絵や図解はあまり無いから。
しかし、ドニさんの手前、何も聞かずに「分かりました」と答えたギィは、ダイニングテーブルの足元に置いていた鞄から無地の紙束とペンを取り出すと、何事も無いような顔をして書記の準備を進める。
何かあると思ったのだろう。もしかすると、ドニさんが文字を読めない事も察したのかもしれない。
「では説明を始めます。分からないことがありましたら、遠慮なく仰ってください」
「わ、分かった…」
緊張した面持ちのドニさんが安心するように少しだけ微笑みながら、僕は説明を始める。
「まず、マルクさんの手指ですが、骨自体が湾曲、屈折等しており、何もしない状態ですと指を組む事はできません。」
「どうしたら…」
「はい。骨の位置や形を少しでも元に戻す必要があります。そこでご提案する施術内容なのですが、マルクさんの手指に弱体化魔法を掛けて、骨を一時的に柔らかくしたいと思います」
本当は、「柔らかく」ではなく「脆く」が正しい状態だ。でも、「脆い」という言葉は負の心象が強いので遺族に向けては使わずに、その時々に応じた表現に変える。
「骨を柔らかく…父ちゃんの骨をまた折って、形を変えるのか?」
ドニさんは、戸惑う様に声を震わせた。自分の指を握ったり摩ったりして、落ち着かない素振りを見せる。指を触っているのは、マルクさんの指の事を考えているからだろうか。
「いいえ。折る事はしませんからご安心ください。骨を柔らかくして手指の形を整えつつ組んだ後、強化魔法を掛けて骨を元の強度に戻します」
折らない。その言葉にドニさんは安心した様だった。マルクさんは指の怪我が原因で体調が悪くなり、最終的に亡くなったから、無理やりな方法で指を整える様な事はしたくないのかもしれない。
「分かった。それなら問題ない」
「ありがとうございます。では手指については今お伝えした内容で施術致します。…それからもう1点ご提案があります」
そう、もう1つ。
腕や脚、腹にもあった、治りかけの黄色い痣。
書記をしているギィが、チラリと僕を見た気配を感じる。
「手指の状態を確認している際に、服の袖口が少しめくれまして。その時に腕に打撲痕の様な痕が見えたんです。こちらは化粧を施す事で目立たなくなるのですが、併せて施術してもよろしいでしょうか?」
いまだ握ったり摩ったりをしていたドニさんの指が、ピクリと僅かに跳ねた。先ほどの安心した様な表も、少し強張っている。暴かれたくない秘密がバレた人間が行う、無意識な筋肉の緊張。
やはり、あの痣は伝え忘れていたのではなく、敢えて僕たちに言わなかったのだ。
「痣のことす、すっかり忘れてた。それも頼んでいいか?」
「もちろんです…しかし、大変でしたね、ドニさん」
「え…?」
これまで施術の提案をしていた際は、ハッキリと聞こえやすく、でも柔らかい印象をドニさんが受け取る様に気を付けながら話していた。
しかし、その声の調子を意識的に少しだけ低くゆっくりと変え、目線も少し下に下げながら、あたかも「業務的な会話の途中で思わず私情が出てしまった」かの様な口調で話す。
すると、どうだろう。
突然、人間性を感じる瞬間を垣間見た人間は、なぜか少しだけ相手への警戒心を解くのだ。ドニさんも例外ではない。
「そ、そうなんだ。馬車の車輪に手が巻き込まれた時に、あちこちぶつけたみたいで…」
「そうでしたか。では全身を確認して、腕以外にも痣があった場合は化粧で目立たないようにしておきますね」
マルクさんの全身を確認すると伝えた途端、ドニさんの顔に焦りが浮かぶ。
複数の痣があるマルクさんの体を見られないように、敢えて痣の事を隠したのだから、全身隈なく見ると言われれば、そりゃあ焦るよね。
「あっ、いや、あ、あの」
「それにしても。あれだけ大きなお怪我だったのですから、村中大騒ぎだったのでは?マルクさんが助けた子は無事だったのでしょうか?僕は医者ではないですが、かすり傷用の薬をお渡しする事はできますよ」
焦ってるドニさんを置いてけぼりにする勢いで間髪入れずに話をする。あたかもその子どもに会いに行こうとしているかの様に話すと、ドニさんは「まずい」という顔を隠す事すらできないまま、僕に言った。
「む、村は大した騒ぎにはならなかったし、子どもも怪我なんてしてない!」
「そんな!?ただの骨折ではなく、骨が外に突き出すほど酷い折れ方をした指もあったのに…!」
なんて酷い人たちなんだ!?と、少し怒りを滲ませながら驚いたフリをする。テーブルの上に拳を置き、ワナワナと震えて見せた。
我ながら素晴らしい演技力だと思う。
「ライル…ご遺族の前ですよ。抑えなさい」
「ギィ…」
ギィが僕の演技に乗っかってきた。静かに冷静さを装う声色で、でも少しだけ俯き加減になって、悲しみを隠し切れない感じを出している。
本当に、ギィは察しが良いというか、空気が読めるというか…
僕がドニさんを揺さぶって、情報を引き出そうとしている事に気付いているのだから。
「あ…えっと…」
ドニさんは、申し訳なさそうな顔をしてオロオロしている。
…少しだけ心を開いた相手が、自分や大切な故人の事で怒り悲しんでいる。嬉しい気持ちが湧いたと思ったら、隠しておいた重要な秘密がその人物に見つかりそうになり、今度は焦る気持ちになる。
そして、その焦りがどんどん大きくなると、どう繕うか冷静に判断できない状態になる。
でも、完全な嘘はもう言えない。
なぜなら、目の前の相手に少し心を開いたが故に、嘘を吐く事に迷いが生まれるから。
なぜなら、故人のために怒り悲しんでくれる人に噓を吐く事に、罪悪感が生まれるから。
もう一押し、かな?
「ドニさん、取り乱してしまい、申し訳ありません。僕はマルクさんのエンバーミングを始めますので、この後の流れはギィからお話します」
力なく微笑んで、失礼しますと伝えて席を立つ。これでも、自分の顔が整っている事は自覚しているから、そんな「儚い笑み」をしたら、相手にどんな影響を与えるのか、分かっているつもりだ。
さぁ。後は頼んだよ、ギィ。
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Said:ギィ
ドニさんは、呆けた様にライルが立ち去った先を見つめていました。
これは…完全にライルに見惚れていますね。
同性の私が言うのもどうかと思いますが、ライルの顔立ちはかなり整っています。薄茶色のさらりとした髪の毛と儚く濡れる金茶色の瞳が、ライルの落ち着いた雰囲気と相まって、庇護欲を誘う儚げな雰囲気を醸し出すのです。
そんな人物がーーー
「ドニさん、ライルが大変失礼を致しました。彼にしては珍しく怒っていたので、私も止め時が遅くなってしまって…」
「え…」
ーーー自分のために、特別に感情を露わにしたのだと知ったら。
「ライルさんは、いい人なんだなぁ」
ドニさんの様な、すれていない若い男性であれば「なんて優しい人なんだ」と勘違いしてしまいますよねぇ。
思わず「ふふふ」と心の中で笑ってしまいました。ライルは決して、優しくもいい人でもありませんから。
少しぬるくなったお茶を一口飲んで、嬉しそうな顔をしているドニさんに話しかけます。
「えぇ、ライルは情に厚い男です…ドニさん、なぜ村の人はマルクさんの怪我の治療費を出し合わなかったのでしょうか?私たちは仕事柄、色々な地域に行きますが、その中にはこのラベジュ村と同じく狩猟で獲得した獲物を主な生産としている町や村もありました」
そして、ラベジュ村の様に町や村全体で狩猟が行われる地域では、必ずと言っていいほど相互扶助の仕組みが出来ていました。一定時期に決まった金額を集金・貯蓄し、医者の雇用代や収入が減る冬の時期の備えにするのです。
ラベジュ村で相互扶助の仕組みが無かったのだとしても、マルクさんの怪我は子どもを救った際に負ったのですから、みんなで治療費を出し合おうという話にはなったのでは?
そこまで伝えると、ドニさんは何かを言いたそうな顔をしたあと、俯いてしまいました。
「優しくていい人」である、ライルや私に気持ちを吐露したい思いはありますが、でも話せない、といった感じでしょうか?
すっかり冷めて湯気も出なくなったお茶を、ドニさんはずっと見つめています。
困りましたね…せっかくライルがお膳立てしてくれたのですから、きな臭い理由を少しでも引き出したいのですが。
「私たちは亡くなられた方のご家族が、少しでも笑顔を取り戻せたらと思って、この仕事をしております。第三者に話す事で、自分の気持ちや起きている状況の整理ができるかもしれませんよ」
そう言って自分の胸に手を当てながら、ドニさんに微笑み掛けます。まるで、聖書の教えを説教する慈愛に満ちた聖職者の様に。
私と目が合ったドニさんは、冷たいお茶を一気に飲み干すと、今度は悔しそうな顔しながらポツリと小さく話しました。
「父ちゃんは本当は馬車の事故で怪我したんじゃないんだ。母ちゃんは風邪を拗らせたせいだけど…だけどちゃんと飯さえ食えていれば、あんな風邪で死んだりしなかった…!」
俺がもっと上等な獲物を仕留められたら、と最後の声を無理やり絞り出す様に吐き出すと、ドニさんは再び俯きます。唇をぐっと嚙み、悔しさと悲しさが入り混じる複雑な表情で。
「あまりご自分を責めてはいけませんよ」
月並みな台詞ですが、過ぎた自責は何も生まないのは事実です。
「俺は、そんなできた人間じゃない。あの悪魔に復讐してやりたくて、毎日そればっかり考えてるんだ」
ドニさんは静かに言いました。
…いえ、違いますね。静かなのではなく、溢れ出しそうになる「怒り」をどうにか抑え込んでいる状態です。
私が何と返そうか悩んでいると、ご自分の発言にハッとしたドニさんは、気まずそうに視線を彷徨わせた後、私からそっと顔を背けました。