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Said:ライル
出発から約2時間ほどで、ドニさんの村「ラベジュ」に到着した。
村の出入り口には簡単な門戸が設置されているが、門番はおらず篝火もない様に見える。
(うーん?)
仮に、村の周辺では盗賊等の輩の心配が無く、モンスターも弱いものしか出現しない、という状況であったとしても、夜間は有事に備えて門番や寝ずの番を配置しておくものだ。
村の門前で馬車が止まると、ドニさんは魔法馬車から降りた。
「門を開けてくるよ」
(本当に門番いないんだ…)
ドニさんが門を開けてくれたので、僕たちは魔法馬車を門の内側まで進める。門を閉じるのもドニさんがしていたので、どうやら門の外側だけでなく、内側にも門番はいないらしい。
再び魔法馬車に乗り込んだドニさんに、僕は行き先を聞いた。
「ドニさん、お父様はどちらに?」
「あぁ、ここから馬車で5分ほど走ったところにオレの家があって、そこにいる」
僕が村の地図を机に広げると、ドニさんがおおよその場所を指で示す。それを見たギィが魔法馬車に場所を告げると、馬車が動き出した。
ドニさんは村に到着してから段々と表情が暗くなっている。彼の肩に手を置き「大丈夫ですよ」と話しかけると、ドニさんは力なく微笑んだ。
「ありがとう」
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「ここが、オレの家だ」
ドニさんの家は、はっきり言って古びた家だった。
外観や間取りは狩猟を稼業とする家でよくある構造だが、壁が一部剥がれていたり柱や床の木が痛んでいる。倒壊しそう、というわけではないが、貯蓄があるなら修復や保全を行いたいところだ。
ドニさんに案内され家の奥に進むと、一番奥にある扉の前で止まる。一つ呼吸をして、意を決した様に扉を開けた。
ギギギと軋んだ音を立てながら開いた扉の向こうに、ベッドに横たわる人がいた。
ロウソクが無い暗い空間だが、その人だけは窓から差し込む月明りに照らされおり、真っ白な肌がより一層白く際立っている。
「父ちゃん、ただいま。お客さん連れて来たよ」
涙声で父親に話しかけるドニさんに続いて、僕とギィもドニさんの父親に礼をした。
左手を右胸の上に置き軽く頭を下げ目を閉じる「死者への礼」である。聖リリアンヌ帝国では、古くから人間の右胸には魂があると信じられており、その右胸に手を添える行為は、「私の魂はあなたと共にある。心安らかに眠ってほしい」という意味があるのだ。
僅かな間黙とうを行い父親に近づくと、その異様な状態に僕とギィはドニさんにばれない様にサッと視線を交わした。
(…車輪事故が原因でここまでの状態になるのか?)
ドニさんの父親の体にはシーツが掛けられているため、目的の手の状態はまだ分からない。
しかし、シーツから出ている首から上は「怪我人」ではなく「病人」の風体だ。目は落ち窪み、酷い隈が出来ているうえ、頬はこけ首はやせ細っていた。
何より、きつく寄った眉間の皺と、歯を食いしばっている様な表情から察するに、最期の瞬間ですら安らかなものではなかった事がうかがえる。
確かにドニさんの話では、父親は亡くなる前に怪我が災いし熱が出た結果、食事が満足に出来なくなった、とは言っていたが…
(詮索するのは後だ。まずは手の状態を見よう)
「ドニさん。お父様の怪我の状態を確認するので、部屋の中を空間魔法で囲みます。申し訳ないのですが、その間彼と部屋の外で待機していただけますか?」
「…分かった。よろしく頼む」
ドニさんは肩を落としながらゆっくりと部屋の扉へ向かった。その背中を見送りつつ、空間魔法経由で『メリアの祈り』の処置室の戸棚から、風と水の魔石を引っ張り出したところで、ハタと気づく。
「ドニさん!お父様のお名前は何でしょうか?」
「父ちゃんの名前…?」
「はい。手の怪我とは言え、体の一部に触れる行為です。お父様にお声かけしながら確認をしなくては、失礼にあたります」
死んで魂が神の許に還ろうとも、その者の人権や尊厳は消えたりはしない。この世を生き抜いた体ならばこそ、敬意をもって接するべきだ。
「…あ…うぅ…ありがとう…っ、マルクって名前だ…!」
(「ありがとう」?)
僕の質問が琴線に触れたのか、何かを思い出したのか、ドニさんはボロボロと泣きながら嗚咽交じりに答える。そのまま立ち止まってしまったドニさんの背中をギィがさすりながら、歩くよう促した。
「ドニさん、行きましょう」
ギィに促され、泣いたまま無言で歩き出したドニさんが、ギィと共に部屋の外へ出た事を確認し、僕は部屋全体に外から内側が見えない状態になる空間魔法で囲う。内側にいる僕からは囲いの外が見えるので、外側で緊急事態が発生しても危険を察知しやすい。
次いで、先ほど引っ張り出した魔石をドニさんの父親「マルクさん」の枕元に置く。
風の魔石は空間内の空気を吸いつつ、同じ量の清浄な空気を放出し続け、空間内の空気を常に清潔に保つ。そして水の魔石から流れ出た水はベッド全体をまるごと覆うと、その状態を維持しながら魔石を起点に水が循環し始める。水は魔石を通ることで綺麗な水に戻るので、万が一血液などが垂れても即座に清潔で安全な水に変わるのだ。
「よし、始めよう」
まずは、一番の目的である手指の確認である。使い捨てのツルツルとした手袋を装着すると、マルクさんに声を掛けながら、体に掛かっているシーツを足元までめくった。
「これは…日常生活にも支障があっただろうね…」
ドニさんの話通り、ほとんどの指が反ったり左右に湾曲している。コップもスプーンも持つのに苦労したに違いない。時にはドニさんの介助を受けながら着替えやトイレを行っていたのだろう。
「指には弱体化魔法を掛けて骨を一旦脆くした後、きれいに指が組まれているように指の形を整えたうえで強化魔法で骨を固定すればどうにかなりそうだね」
多少強引なうえ、亡くなったマルクさんの体に鞭打つような真似で気が引けるが、仕方ない。いわゆる「死後硬直」とは異なりマッサージでは元に戻らないため、今回の様に魔法と物理的な力を併用して状態を整える場合がある。
(指の状態よりも、マルクさんの体の状態の方が気がかりだ)
マルクさんが着ている生成りの麻服の袖口をめくると、首と同様にかなりやせ細っていた。骨と皮とまでは言わないが、筋肉が落ち細く頼りない。怪我をする前は狩猟をしていたと言うし、大きな獲物を運んだり解体するために、それなりの筋力があったはずだ。
一体、どれだけの期間食事量が制限されたら、ここまでの状態になるのだろうか。
(それに、この痣…)
マルクさんに断りを入れてから袖口以外の箇所をめくると、両腕やひざ下、お腹周りには治りかけの黄色い打撲痕がいくつか見えた。背中や太ももは見れてないが、同じ様に打撲痕が出来ている可能性がある。
通常、軽度の打撲であれば、1~2週間ほどで治ってくるが、マルクさんの筋肉の落ち具合や頬のこけかたを見るに、栄養状態が良くなかったと仮定すると、打撲痕がここまで治りかけるには2週間以上は掛かてもおかしくない。
痣は何か所もあり、指と同様にとても痛ましい。馬車の車輪に巻き込まれてできた痣なのであれば、指の怪我について話してくれた際に、この痣についても併せて話しそうなものだが。
気が動転して忘れていたのか、あるいは理由を聞かれると困る様な事があったのか…
「痣についてそれとなく聞いて、修復を希望するなら指と一緒にエンバーミングしよう」
ギィの言う通り何かがきな臭いが、そちらはギィに任せよう。
マルクさんの衣服を戻し再びシーツを掛けた後、修復内容についてドニさんに提案するため、僕は部屋を出た。
マルクさんを照らす月明りを何者かの影が遮る。
窓の外から部屋の中を覗いていたが、しばらくすると音も無く家々の影に消えていった。
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Said:ギィ
ドニさんのお父上「マルクさん」の部屋を出た後、ドニさんに座ってもらうためダイニングに来きました。ダイニングとは言っても、キッチン兼用のスペースであり、玄関を開けたらすぐにこの共有スペースになるため、リビングの役割もあります。
「ドニさん、テーブルをお借りしてもよろしいでしょうか?お茶を温め直します」
「どうぞ…」
まだ意気消沈しているドニさんに許可をもらうと、玄関前に止めている馬車から、残りのお茶が入ったティーポットとティーウォーマーを持ってきました。
そのままダイニングテーブルにティーウォーマーを置くと、火魔法でキャンドルに火をつけてティーポットを設置します。
ウォーマーは火魔法の魔石でも代用できますし、何より火魔石は本物の火を使わない分、安全に利用できますが、心を落ち着かせるためには、ただ発光するだけの魔石ではなくゆらゆらと揺らぐ火を見る事が大事です。
ぼうっと火を見ているドニさんをちらりと横目で見ながら、私は一緒に持ってきたティーカップを布で拭き始めました。拭かなくとも綺麗なのですが、ドニさんを見続けるわけにもいかないですし、そんな事したらドニさんも落ち着かないでしょうから。
「…指、組めるかな?」
小さく呟くような声に、ティーカップを拭く手を止めると、私はドニさんに微笑みました。
「ライルは若いですが、腕は確かです。大丈夫ですよ」
「そうか…」
安心した様に少しだけドニさんが笑ったところで、少しずつ質問を始めましょう。
「ドニさん、お母上はいまどちらに?」
「…母ちゃんは、2年前に流行り病で死んだんだ」
こんな夜間に家にいないのでもしやとは思いましたが、やはりお母上は亡くなられていたのですね。
それにしても2年前とは割と最近です。ドニさんは立て続けにご家族を亡くした事になります。
「失礼致しました。そうとは知らず…お悔やみ申し上げます」
「いや良いんだ。ありがとう」
お母上を思い出したのか、少し寂しそうに笑うドニさんを見ながら、流行り病について考えました。
私たちは仕事柄、流行り病の情報収集には力を入れていますが、2年前に帝国内で病が流行った等の知らせは無かったはずです。
病で亡くなる人が増えれば、その分私たちエンバーマーに依頼する人も増える可能性がありますし、何よりエンバーミング対象のご遺体がある地域が流行り病の感染地域か否か、そもそも死因は流行り病なのか等の情報は、エンバーミングを行う技術者の体調や命にも関わる事です。
自身が気付かぬ間に感染する事で、他の人や地域に病を広げる危険性もありますから、そういった情報は事の大小に関係なく、常に最新の情報が入手できるようにしています。
(ふむ。2年前…2年前というと…)
「2年前というと、ちょうど食品の価格が上がって来た頃ですね」
帝国では2年前に麦や畜産物の価格が上がりました。麦全般の収穫量が少なかった事と、その麦を餌の一部にしている牛・豚・鶏にも影響が出たようです。もっとも、2年経過した現在でも、もともとの価格に戻っていませんが…
「そ、そうだな」
(おや?)
私はなんとなく思い出した事を言っただけなのですが、なぜかドニさんはグッと何かを堪える様な表情をしました。
これは…何かあったようですね。