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Side:ライル
コツコツと、廊下を歩く音が響く。
「ギィの言う通り、確かに不可解だね」
「医者については、単に常駐して雇えるほどの余裕が村には無い、という可能性はありますが…」
「そうだね。でも、痩せている点と、敬語が使えない点については別問題だと思う」
僕は、ドニさんの姿を思い浮かべた。
年齢は聞いていないが、ドニさんの顔つきを見る限り、10代後半だろう。
村から一人でこの帝都に来ていると仮定すると、自力で帝都まで赴き、自力で『メリアの祈り』を探し、そして一人で依頼をしている事になる。
そうなると、10代の終わり…もしかすると20代の可能性もあり得るが、いずれにせよ、働き盛りの青年にしては細すぎるのだ。必要な栄養と量を明らかに摂取できていない。
しかし、帝都近隣で不作な領土があるなんて話は聞かない。つまり、食べるものが無くて痩せるほど、食料の量に困窮している領土は無い、という事だ。
仮に不作であっても、各領土の領主が運営している倉庫には、不作に備えて食料が備蓄してあるだろうし、比較的大きな町にある教会であれば少量ではあるが配給を行っている。本当に食べる物が無いのであれば、村長経由で領主に救援を求めるか教会を頼れば問題ないと思うのだが。
それに、「敬語が使えないと思われる」点もおかしい。
貧しい村であっても、年に数回は教会から聖職者が派遣される。その際に、困らない程度の読み書きや算数、行儀作法を聖職者から学ぶのだ。
もちろん行儀作法の中には、「目上や初対面の人には敬語を使う」という内容も含まれる。
地方の小さな村になるほど、村内の関係図として親類縁者が多くなり、砕けた口調で会話しても問題なく過ごせるが、一歩村の外に出たらそうもいかない。
何より帝国には明確な階級制度がある。貴族に対して敬語を使わずに会話しようものなら、不敬罪で処罰される可能性だってあるのだ。
(敬語を使わないのは、単にそういった性格の人、という可能性もあるけど…)
「考えれば考えるほど、きな臭い話が見えてきそうですが、ひとまずドニさんの話を聞きましょう」
ギィの声にハッとする。考え込んでいるうちに相談ブースの目の前まで来ていたようだ。僕たちの声が聞こえたのか、フィルが受付からひょっこり顔を出し、手をひらひらと振ってくる。フィルに手を振り返してから扉を開けると、ドニさんが不安げな顔で、僕たちを見てきた。
「ドニさん、お待たせ致しました。どうぞお召し上がりください」
ギィはドニさんにお茶を勧めると、椅子に座った。僕もギィに倣って座る。ドニさんは、ありがとうと呟いてから意を決したかのような表情で質問してきた。
「あの…父ちゃんの事だけど…両手の指を胸の上で組んで欲しいんだ。代金はどれくらい掛かるもんなんだ?」
僕はドニさんの話を書き留めた用紙を見て、少し考える。指を組む事自体は難しい内容ではないが、車輪に巻き込まれたという指の状態によって細かい諸費用が変わってくるのだ。
「約10万リリーです。ただ、指の状態によって前後すると思います」
帝都の平民層の平均月収は、おおよそ25万リリーほどだ。帝都以外の領土や、領土の中でも収入が乏しい村や町では、平均月収は更に下がるだろう。月収の約半分ほどの金額となれば、そこそこ高額だ。
状態に限らずドニさんの資金次第では値下げも検討する予定だ。幸い、仕事で稼いだお金がたんまりとあるので、今回の依頼が赤字でも問題は無い。
…ギィは怒りそうだけど。
「そんなにする…あっ、ちゃんと払うから、お願いしてもいいか?」
「はい、承知致しました。契約に関してはドニさんの村へ行きながら、馬車内でお話ししますね」
エンバーミングは時間との勝負である。もう夜だから一晩泊まって明日出発…なんて事はできない。僕が頷くと、ギィが立ち上がった。
「では、私は馬車の用意をして参ります。ドニさん、村の正確な位置か名前を教えていただけますか?」
「ボーン準伯爵様家の領土にある、『ラベジュ』という村だ」
「えっ!?」
ドニさんが言った村の名前を聞いてギィが驚いた様な声を上げる。それも少し目を丸くして。普段から冷静沈着で、驚いた顔を見せない彼にしては非常に珍しい。一体、どうしたのだろう。
驚きのあまりポカンとしていたギィは、コホンと古典的な誤魔化しをすると「お父上は今朝、お亡くなりになったんですよね?」とドニさんに確認した。
「そ、そうだ。それで指が組めない事に気付いてすぐ、村を発った。馬車代が勿体無くて走って来たせいで、時間が掛かったけど…」
うん!?
ドニさんの言葉を聞いて、今度は僕も目を丸くした。
ボーン準伯爵家は帝都から南に馬車で2時間掛かる計算だ。時折、馬を休憩させながら移動した前提ではあるが。その距離を人が歩き通したら、7時間は掛かる。おまけに、ドニさんの住むラベジュ村が準伯爵家よりもさらに南に位置する場所にあるなら、7時間以上は掛かるだろう。
ドニさんの父親は今朝亡くなった。そして今は夕飯時。つまり、村から帝都まで7時間近くは歩き続けて来た事になる。いくら何でも無茶苦茶だ。
「それは…遠い所からご足労いただきありがとうございます。車内でお寛ぎいただけるよう、努めさせていただきます」
ギィは眼鏡をクイッと上げて位置を直すと、颯爽とブースを出て行った。ドニさんのために栄養のあるものを、とか考えてるんだろうなぁ。
彼の世話焼きはいつもの事なので、僕は椅子に座ったままゆっくりとお茶を飲む。視線を感じたのでチラリとドニさんを見ると、バチッと目が合った。
「お茶を1杯飲み終わる頃には馬車の準備が終わると思いますので、そうしたら出発しましょう」
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「ドニさん。どうぞお乗りください」
ステップが滑りやすいのでお気を付けてと注意しながら、ギィはドニさんを馬車に誘導している。ついでに自分も乗ろうとしている。一緒にラベジュ村に行く気満々のようだ。
この屋根とドア付きの馬車は、「空間魔法」によって車内にだだっ広い空間が確保されており、一見すると4人掛けの馬車の外観だが、そこから想像される車内の広さとかなり乖離している。いわゆる「魔法馬車」だ。
また、「馬車」と言いつつ馬も御者も不要なため、一般的な馬車に設置されている、馬をつなぐ部分や御者台は基本的に存在しない。
しかし魔法馬車を所有者しているの人の中には、おしゃれ目的なのか敢えて馬をつなぐ場合もある。
「メリアの祈り」が所有しているこの魔法馬車内の空間は、上流貴族の魔法馬車のように、館の個室を再現できるような広さも構造もしていないが、広い空間の一部をカーテンで仕切る事により、ベッドとテーブルセット、それからチェストを置けるくらいの個人的な空間を複数確保する事はできる。
空間のうち、馬車の出入り口付近は共有スペース。残りの空間は全て個室として扱っており、たくさんのカーテンが間仕切り用に設置されていた。
床はライトブラウンの板張りで壁紙は白。外から車内が見えない不思議な出窓に、個室。うん、ちょっとした距離を移動する程度なら充分過ぎるくらいだと思う。
「す、すごい。魔法馬車なんて初めて乗った…」
歓喜の声を出すドニさんを見ると、目を輝かせながらキョロキョロしていた。
「魔法馬車」は主に上流貴族が常用する乗り物だが、平民階層でも乗れない事はない。魔法馬車ではない「普通の馬車」にあるような乗り合い馬車と同じ要領で、魔法馬車にも見知らぬ者同士が乗り込み、利用できる仕組みがある。
ただし、かなりの大枚を叩く事になるため、平民が魔法馬車を利用するとしたら数年に一度、何かの記念日に思い出として乗るくらいだ。
だから、頻繁に魔法馬車の乗り合いを利用したり所有したりする平民なんていないし、せいぜい貴族のお屋敷に通いで働いている人間か、金持ち商人くらいだろう。
僕たちエンバーマーも平均月収が高い仕事ではないため、月収だけ見れば魔法馬車なんてそうそう購入できないが、裏仕事で稼いだお金があるし、何より教会が必要経費として購入費用の一部を支払ってくれる。
「ドニさん、お部屋は真ん中をご利用ください。間仕切りはカーテンですが、互いの声が聞こえない魔法が掛かっていますので、大声で叫んでも問題ありません」
ギィがドニさんを引き連れ、馬車内の過ごし方について案内をしていた。
あのね、ギィ。「大声で叫んでも良い」なんて言われても困ると思うよ。
…ほら、ドニさんの顔が苦笑いとも愛想笑いとも言えない複雑な表情になってるよ。
一通り案内が終わったようなので、共有スペースのテーブルに契約に関する書類を広げ、ドニさんと詳しい話をすることにした。
その間、ギィは車内キッチンで夕飯を作ってくれるらしい。
「ドニさん、まずはエンバーミングまでの流れについてご説明致します。そのうえで、こちらの書面に記載されている免責事項を、改めてご案内します」
「わ、分かった」
『メリアの祈り』では、まずはどのようなエンバーミングを望むのか、遺族と確認を行う。次に遺体の周辺を、外から不可視の空間でエンバーマーごと囲い、風魔法と水魔法の魔石をセットし発動する。そうする事で瞬時に、空間内の空気を清浄に保ち、処置時に排出する予定の血液等を無害な液体に変換する事ができるのだ。
次に、遺体の状態を観察し、遺族の要望に添える状態であればそのままエンバーミングを開始する。一方で、要望に添うことが難しい可能性がある場合、その旨を伝え、遺族から承諾があればエンバーミングを開始する。
まぁ、魔法を利用するので、よっぽどの状態で無い限り、要望に添うことが可能だけどね。
この時に必要な器具や薬液等は、帝都にある『メリアの祈り』のエンバーミング処置室内にある戸棚から、空間魔法を経由して手元に引き寄せる事ができるので、遠方で処置を行う際に薬液等が不足する心配は無い。
最後に処置が完了した遺体を確認してもらい、問題が無ければ終了となる。
普通のエンバーマーであれば。
「ドニさん、流れについてはご理解いただけましたか?」
「大丈夫だ」
「ありがとうございます、では次に免責事項です。いくつかありますので、こちらは書面の控えをお渡しして━━」
僕が持っている免責事項が記載された書類を、ドニさんも見やすいようにクルリと向きを変えようとしたところで、ドニさんが申し訳なさそうに話し出した。
「オレ、字が読めないんだ…変わりに読んでくれないか?」
「かしこまりました。では、口頭でもご案内致しますね」
(字が読めない?)
聖リリアンヌ帝国の前皇帝は、非常にプライドが高い人物であった。いつだったか、他国からの使者にその国の平民の識字率の高さを自慢され、プライドが傷ついた皇帝は、帝国の平民の識字率を上げるべく、都市に住む平民の就学のほか、地方への教師や教師変わりとなる聖職者の派遣を制定した。
おかげで平民の識字率は飛躍的に向上し、今や文字が読めないのは勉強前の幼子くらいである。
(にも関わらず字が読めないなんて…)
ドニさんが痩せている事や治療費が工面できなかった事と、何か関連しているのかもしれない。
これは、いよいよ「裏の仕事」の出番かな。
なんて考えている事は一切態度に出すことなくドニさんへの説明を終えると、見計らったかの様にギィが夕飯を持って戻ってきた。
「さぁ、ラベジュ村までまだまだ時間があります。腹ごしらえをしましょう」
ギィがテーブルの上に次々と夕飯を配膳する。
具だくさんで美味しそうなトマトスープに、焼きたてで香ばしいパン。それに、今にも肉汁が飛び出してきそうなハンバーグ…瑞々しい人参サラダに掛かっているものはゴマドレッシングだろうか?
鼻腔をくすぐる良い香りに、僕とドニさんのお腹がグゥと鳴った。