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王子が乗り込むと馬車が動き出してしまいました。こうなっては動くのは危ないですね。彼方にはパメラも居ますし、私は仕方なくそのまま座り込みました。
王子は私の向かいに座って一言も喋らないで外を眺めています。
その横顔を見て先程、思い出した昔の記憶に意識が向いてしまいますね。
◇◇◇
私と王子の出会いは20年前、王子が生まれた時からでした。
その頃、私は先代の聖女様であるミナミ様にお仕えしておりました。
ミナミ様と王子の母君フィオーレ様は仲がよろしく、よく二人でお茶会をしておりました。
ミナミ様に仕えていたので必然的に私も同じ場に居ました。
お二人が話している間は私は王子の世話を任されておりました。
小さい手が必死に私に向かって伸ばされ、触れると力強く掴んでくるその様子は微笑ましく、子供が居ない私は母になった気がしておりました。
王子が二歳になった頃、フィオーレ様が再び妊娠されました。
喜ばしい事でしたがフィオーレ様は出産まで体調を崩してしまい、常にベッドから起き上がれない日々が続いてしまいました。
王子の相手も出来ない程体調が優れないフィオーレ様から私は王子の世話を頼まれました。
しかし、私は器用でもありませんし、同時に御二方とお仕え出来るか不安になっていますとミナミ様からも頼まれました。
「私からも頼むよ。フィオーレ様には元気な赤ちゃん産んで欲しいからね。当分は王子様に付いてやっておくれ」
「ミナミ様…かしこまりました。私の代わりに他の者を付けます」
「よろしくね、アリアナ」
その頃の王子は人見知りで、側仕えでさえも馴染めませんでした。
赤子の頃から顔を合わせ、フィオーレ様に親しげに話されていたミナミ様とその側にいた私にはそんな事はありませんでしたので私に白羽の矢が立ったのでしょう。
「アリアナ、アリアナ」
「はい、ディー様」
昔は王子と呼ぶと怒り、ディラン様と呼ぶとご機嫌斜めになってしまい、愛称で呼べと私をぽこぽこと叩いて抗議してましたね。
流石に愛称で呼ぶ事に抵抗がありましたが、フィオーレ様までもがそう呼んであげて欲しいと言われてしまい、恐れ多くもディー様と呼んでおりました。
剣の訓練やお勉強の時以外は殆どご一緒でした。
ですので、側で私が苦手な針仕事をして手を赤く染めると慌ててハンカチで押さえて下さいました。
「アリアナ、大丈夫か?」
眉を下げ、心配そうに見つめる王子の手を煩わせてしまったのは良くない事だと分かっていたのですが、その心遣いは大変嬉しいものでした。
そしてフィオーレ様の第二子、つまりディラン様の弟であるライリー様がお生まれになりました。
フィオーレ様もだんだんと調子を取り戻され、そろそろ私のお勤めも終わる筈でしたが、何故かミナミ様の元へはなかなか戻る事はありませんでした。
あの頃、王子には婚約者がおりました。活発で王子にぐいぐい迫るような方で王子は苦手としており、私が壁代わりになる事もしばしばありました。
婚約者様を徹底的に避ける王子に国王陛下はよく頭を抱えておりました。
今では婚約者様とどうなっているのかの情報が入って来ないのですが、マイ様と一緒になってもらおうとしているという事は破棄されたのでしょうか?
ですが、王子は照れていただけだと今でも思っております。
何故なら女性の好きそうな花や物を聞いてきたり、丁寧にエスコートする練習をしておりましたので。
ただ、王子の近くの女性は私だけで練習になったのか分かりませんでしたが。
「っ好きだ」
静かで趣のある庭で私が好きだと言った花で作られた小さな花束を差し出して告白の練習をした時は誰かに恋するまでに成長したのかと思わず涙を拭いました。
「素晴らしいです、ディー様。これなら意中の方(婚約者様)もきっと頷かれます」
キョトンとしたお顔をされたと思った瞬間、ぷくっと頬を膨らせました。花束を私に押し付けると走り出してしまいました。
「アリアナのばかー!」
何故罵倒されたのか不思議でしたが、女性に、と言うより王族としてそのような言葉遣いは頂けませんね。
それから数日後に私はミナミ様の元に戻りました。
◇◇◇
「…アナ、アリアナ!」
「はっ」
いけません。また思考飛ばし過ぎ、王子に声をかけられるまで気付きませんでした。いつの間にか城に戻っていたようです。
「申し訳ありません」
「今日はよく上の空だな。本当になんともないのか」
「はい、大丈夫です」
「そうか…ん」
そう言って王子は私に手を差し伸べました。自然に手を差し伸べるその姿は世の女性が見れば惚れ惚れする程きまっておりますね。
ですが、下働きである私にわざわざ王子にしてもらうというのは気後れしてしまいます。
しかし、王子の気遣いを払い除けるという失礼は出来ません。それに、ずっとこのままという訳には参りませんね。
王子の手を掴んで馬車から降ります。
それにしても王子の手は昔小さかったのにこんなに大きくなられて…。思わずにぎにぎと握ってしまいました。
「あ、アリ、アリアナっ」
「え、あっ、申し訳ありませんっ!」
上擦った声で呼ばれ、自分のしている行動に気付き血の気が下がりました。慌てて頭を下げて謝りましたが、チラリと見えた王子は顔を赤くして怒っている様子でした。
いくら王子の幼い頃からの付き合いだとしても手を何度も握られる事は確かに不愉快な事でした。こんな不敬、もしかしたら侍女をクビにされるかもしれません。
ですが、前代の聖女様との約束、その為には辞める訳には参りません。
どうしようと思っていた私でしたが、いくら待っても王子から何も反応がありません。そろそろと表情を伺おうと顔を上げようとする私の頭を誰かが優しく押さえます。
「ちょっとごめんね、アリアナさん。今、ディランの事見ないでね?」
この声、レオ様ですね。私達が此処から動かない事に何か合ったのかと側に来られたのですね。
しかし、どう言う事でしょうか?そんなに怒り狂っておられるのでしょうか。
「ほら、ディラン。行くぞー」
ズルズル引きずる音が聞こえますが…え?私はお咎め無し、ですか?
「アリアナ?何で頭下げてるの?」
少し遅れて来たマイお嬢様が私の元へ来られるまで誰もいない所でずっと頭を下げていたようです。