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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
1章 死と出会い
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ハッセルでの使いと和解



 ローブに頭まですっぽり覆われたメルルーシェは、ちらちらと周りを窺いながら乗合馬車から降りた。周りに気を取られていると、ぬかるみにはまってしまいぎょっとする。馬糞だ。


(結構臭うのね)


 メルルーシェはローブの顔まわりを手で掴んで被り直しながら、馬車の到着や馬の預かりで賑わう厩を足早に離れる。


 赤ん坊のラミスカを少しの間リエナータに預けて隣町のハッセルにやってきたのだった。


『デナータ服飾店 ”注文していた礼拝祭儀用一式受け取り” 受け取り名書き アルマ』


(ここまでは済ませたから次はハッセルの欄ね。

エリザベート様はなんでこんなお使いみたいなことをさせるんだろう……)


 エリザベートに手渡された紙に目を滑らせる。


『ハッセルにて

2級転送所 家具移動局 名義人ローアン・クシャダの依頼転送』


(家具転送だなんて。

この機会にここへ来させられるなんてまさか、ね。

もし私のためなのであれば、前から準備していたことになる。

エリザベート様が仰っていた通り神殿司は本当に私の事を……?

取り敢えず頼まれたことをこなすのよメルルーシェ)


 メルルーシェは母が亡くなった6歳まではハッセルに暮らしていた。しかし、その後殆どをモナティ神殿で過ごしてきたため、ハッセルでの思い出は殆どないも同然だった。


 特に見覚えのある建物があるわけでもなく、モナティよりも遥かに栄えた街並みに少々興味をそそられながら一目でそれだと分かる立派な建物を目指した。


(2級でもあれだけの大きさなら、首都にある1級転送所ってどれほどの大きさなのかしら)


 人などの移動を行う1級転送所は首都フォンテベルフにしかなく、実質軍部でしか利用されない。とんでもなく良質の高価な魔鉱石を利用するからだ。地方に存在するのは2級までの転送所だ。


 メルルーシェの住むモナティでは一番大きな建造物が神殿だったが、ここハッセルの街では転送所が繁栄の中心となっていた。


 ベルへザードの最南端の町と言っても過言ではないモナティが他の片田舎の町よりも人口を多く保っているのは、南地方の転送所を引き受ける隣街ハッセルのお陰だった。


 乗合馬車ですら鐘1つ分で到着できる上に通行税もかからないので、ハッセルよりも納付金の安いモナティに住み、ハッセルまで乗合馬車や馬で通う人が多いのだ。


 少しお金がかかるが、装着魔具付きの馬車であれば鐘1つ分でモナティとハッセルを往復できる。


 大通りに面しているのは小売店だが、民家らしい建物もちょこちょこと挟まっている。それらの造りはモナティの平たい木造の家とは異なっていて、モナティ町内で浮いているオウレット邸に雰囲気が似ていた。


(きっとこの街の家を真似て家を建てたのね)


 そんなどうでもいいことを推察している内に、魔法陣が描かれた看板が近づいてきた。離れて見ているだけでも人の出入りの激しさが見てとれる。


 横に長く、開かれたままの入り口を通って中へ入ると、すぐ正面に“3級転送所“と書かれた文字盤が目に入った。両端を縁取るように設置された階段には“2級転送所は2階“という木札が立てかけられている。


 早速メルルーシェは階段を上りながら興味深げに室内を見渡していた。荷物を持っている人は皆下で並んでいる。


 階段を上り切って辺りを見回すと、【家具転送局】と書かれた文字盤が奥張った場所に見えた。地図を広げながら客と職人がやりとりをしているのを横目に通り過ぎる。


 メルルーシェが後ろに並ぶと、待つこともなく別の職人に端へと呼ばれた。男性職人は訝しそうにメルルーシェを眺めながら、依頼相談か依頼済みかを訪ねた。


「依頼済みです」


「名義人の名前を」


「ローアン・クシャダ、です」


 紙を取り出したメルルーシェが慣れない様子で名前を告げる。


「約束印を預かっても?」


 はっと思い出して腰帯を探る。エリザベートに渡された彫刻の施された木札を取り出して手渡す。気難しい顔で約束印を見つめながら男は席を立った。


 転送魔法は魔具によって実現する技術の一つで、転送魔具技師と呼ばれる職人が転送を執り行う。どうやら技術寄りで対人対応は不得意な人材らしいその男は、丁寧なのか無礼なのか分からない奇妙な言葉遣いだったが、メルルーシェは特にそれを気にする事もなかった。


「代理人だね。確かに魔力の一致を確認した」


 約束印を手に戻ってきた男が机上に地図を開いた。


「この約束印、転送先が2箇所印されていますが、エッダリーかブルテンのどちらに転送される?」


 思わぬ問いかけにメルルーシェは固まった。エリザベートからの紙をもう一度覗き込むが答えはどこにも書いていない。


(聞きに戻るわけにもいかないし、どうすればいいの)


 今日中に全て終わらせることを強調していたエリザベートの顔が浮かぶ。正直に分からないと告げても、また改めて来るように言われるだろう。


(ブルテンは確か首都フォンテベルフに近い街よね。エッダリーは……北寄りの村かしら)


 男が机に置いた地図を盗み見ながら頭を絞る。


「お嬢さん?」


 地図を凝視しているメルルーシェに男が返事を催促するように声をかけた。


「転送元を確認してもいいですか?」


 メルルーシェは賭けに出た。男は眉をひそめながらも約束印に目を向けると、もう一枚地図を広げた。


 広げられた地図はモナティ町の詳細地図だった。


「エンリ6、フォゼ30、1ミュル半の範囲地点だ」


 男は神殿の東側を指さして告げる。


 用語はよくわからなかったが、座標を指す言葉なのだろう。メルルーシェは転送元は自分の部屋だと確信した。神殿司の部屋も祭儀用の倉庫も神殿の西側にある。


「エッダリーでお願いします」


 自分のためだと考えることにしたメルルーシェは、首都の近くは避けることにした。首都に近づく程人種の差別は根強い。戦場で敵と対峙する兵士が集まるため仕方のない事ではあるが、どうしても肌の色が違うラミスカは肩身の狭い思いをするだろう。


 脈打つ心臓を宥めるように胸の前で手を重ねた。


「では手続きを進めておこう。今夜の赤の時から明朝までは転送元の部屋には誰も入らないように。預かってある金貨から精算しておくのでもう帰っても問題ない。

リューンデールのご加護を」


(リューンデールは旅の神だ。荷物が旅をするからかしら)


 ぎこちなく微笑んだ職人の言葉に戸惑いながらも頷いて場を後にする。


 メルルーシェはふと男が“金貨“と口にしたことを思い出して唇が青ざめていくのを感じた。


(一体いくらするのかしら。もしかすると取り返しのつかないことをしたのかも)


 頼まれ事を手ひどく間違えてしまった可能性と、世間知らずな自分を実感して落ち込むメルルーシェだった。




****



 モナティ神殿に着いたのは夕暮れだった。

自分がほのかに馬糞臭い気がしてそわそわしながら神殿の裏手に回る。


 見たところ例の親子の馬車は止まっていなかったのでもう既に帰ったのだろう。ほっと息をつきながら裏口から癒し場を通り抜けて自室へと上がる。


(赤の時まであと鐘2つほどだわ)


 転送魔具の職人が自室に入るなと言っていたことを思い出して、部屋の扉を叩く。


「私よ、帰ったわ」


 すぐに笑顔のリエナータが扉から顔を出した。


「お帰りなさ……ん?メル、臭いわね」


 顔をしかめたリエナータに「馬糞を踏んだの」と照れくさそうに笑うメルルーシェ。


「靴脱いで。流してあげるから」


 リエナータは鼻をつまみながらメルルーシェの靴を片手に持つと、窓を開けた。

 手をかざして大きな水の球体を作り出して靴を投げ入れる。


 寝台に座ってラミスカの寝顔を確認して一息つく。ぐるぐると水の中で靴を回すリエナータの後ろ姿に、自然と顔が綻んだ。


 まだリエナータの方が身長が高かった頃からリエナータはよくメルルーシェの面倒を見てくれた。昔は意地悪を言い合ったり喧嘩することもあったが、リエナータはいつも一番の親友だった。


 この先のことを考えてしんみりとした気持ちになりかけたが、転送所での出来事が頭を過ってどんよりと表情を曇らせた。


(なんであのときは確信してしまったんだろう。

東だろうが西だろうが自分の荷物だって確証なんてひとつもなかったのに)


 ひとしきり枕に顔を埋めると、重い口を開いた。


「エリザベート様はどちらにいらっしゃるかしら?」


 窓の下に人がいないか確認しながら水を捨てていたリエナータが振り返る。


「そうだ。帰ってきたらすぐ神殿司執務室に行くようにって」


「分かったわ」


 リエナータが手分けして頼んでいた買い物について報告してくれる。


「お乳用に保管魔具まで手に入れてきたのよ」


 袋を広げて自慢げに微笑むリエナータにお礼を言うと、「終わったら戻る」と告げて神殿司執務室へと足を運んだ。




 扉を叩くとエリザベートがメルルーシェを出迎えた。


「おかえりなさい。遠出、ご苦労だったわね」


 部屋に入ると、神殿司がいつもと変わらない穏やかな表情で書類に埋もれていた。


「お帰り、メルルーシェ」


 神殿司は声を荒げたことなど嘘のように「時の流れははやい」としみじみと告げた。


「まず君に声を荒げたことを謝ろう。すまないメルルーシェ。

私の力が及ばないために君をこの神殿に置いておくことはできないんだ」


 メルルーシェはこくり、と頷いた。


「あの、その転送所での件なのですが……」


 メルルーシェは2か所どちらかを選ぶように問いかけられたこと、分からないままに答えてしまったことを謝った。


「急であったがために私がエリザベートに伝えていなかったのだ。

混乱しただろう、すまなかった。

しかしどちらを選んでも問題はない。君がいずれ選べるようにと二つ用意しておいたのだ」


 神殿司の言葉に心底ほっとした。とりあえず神殿司の荷物を勝手に知らない場所に飛ばしたという訳ではなさそうだった。


「しかしエッダリーか……そのほうが良いやもな」


 神殿司曰く、首都に近いブルテンには神殿司の旧友がおり、まだ若いメルルーシェの面倒を見てくれるだろうと手を打っていたのだという。


 転じてエッダリーは北寄りの環境の厳しい地方には位置するが、主都からは遠くモナティのように静かな暮らしが望める。


 どちらも空き家をすでに登録していて、メルルーシェが好きな方を選べるように用意してくれていたのだ。ゆっくりと決断できたはずが、遂に言い逃れができない状況になってしまったのでメルルーシェに伝わることはなかったが。



「君があの場で嫁に行くことを頷いても、夜逃げのような形で送り出すつもりだったのだが」


 メルルーシェはエリザベートから受け取った紙を思い出した。全て受け取り名が異なっていたのは、メルルーシェの足がつかないようにするためだったのだ。



 神殿司はメルルーシェを見つめながら「あのときの君ときたら怒ったときのレーシェにそっくりだったよ」と溢した。



 神殿司は昔から言葉が多い人ではなかった。小さかったメルルーシェの記憶にはあまり神殿司はいない。ロナードとの交際を勧めてみたり、態度をぎこちなく感じることもあったが、メルルーシェのためにいろいろと準備を行ってくれていたことは紛れもない事実だった。


 少なからず傷ついていた心も、募っていた不安も、疑念も、不器用な愛情を自分に注ぐ目の前の初老の男の暖かい眼差しに、雪解けのように溶けていくのを感じた。




 明日はいよいよ出立だった。




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