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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
6章 宵の国と狭間の谷底
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目覚めと癒しの日




 ラミスカの鳩尾に空いた穴に水溜りを維持し続けているリメイの額から大粒の汗が流れる。


「だめだ。これ以上は君の魔力が持たないよ」


 集中を解いたヘンリックが、緊張で張り詰めていた糸が切れたように脱力した様子で椅子に座り込んだ。町民を宥める手伝いのためにリエナータが礼拝堂へ向かってから鐘3つは経っていた。礼拝堂の色ガラスがまだ残っていれば映し出す色を変えている頃だろう。


 ラミスカの治療は難航していた。瀕死の彼の命を繋いでいるのはヘンリックの癒し魔法とリメイの調合する薬草と水魔法のおかげに他ならなかった。


 この調子だとラミスカの治療は間に合わない。


 リメイにもそれは分かっていた。

 血管を繋いでいく精密な作業にはとてつもない集中力と魔力操作が必要だった。2人で分担していると言っても、実際に繋ぎ合わせているのはヘンリックだ。

 ヘンリックの集中力も最早癒しをかけられるほど残っていない。状況を打開する方法を考えようと気を散らすと、ラミスカの鳩尾から血が漏れ出して焦りから強く唇を噛み締める。


(一体どうすればいいんだ。僕は君を救えないのか?やっと会えたばかりじゃないか)


 気持ちとは裏腹に、頭ではもう既に自分ではラミスカを救う手立てがないことを理解していた。自分一人で癒しを施せるのならまだしも、ヘンリックの力がなければ治療できない以上、これ以上彼に無理を強いるわけには行かなかった。


(メルルーシェさん……僕は、僕には……)


 自分の不甲斐なさに、ふつふつと煮えたぎるような悔しさを拳に叩きつける。


「ひっ!わぁ」


 ヘンリックが妙な声をあげて椅子から落ちた。

 顔を上げると、ヘンリックの向こう側の寝台に寝かされているメルルーシェの身体が異様な光を放っていた。心底驚きつつも、魔力が霧散しないようにラミスカに意識を向けるリメイ。


「ヘンリック、何が起こってる?」


「わ、分からない」


 だらりと脱力した状態で胴を何かに持ち上げられているかのように宙に浮かんだメルルーシェが、ふわりと地面に足をついた。


 眼前に立っていることも畏れ多いと、本能が告げていて顔を上げることも出来ず、心臓が鷲掴みにされているように縮む。ヘンリックが声を失ってその場で倒れた。気を失ったのだろう。


 リメイは逃げ出したくなる気持ちを必死に押し殺してラミスカの鳩尾に手をかざし続ける。


「間に合ったね」


 まるでメルルーシェとは思えない、二つの声が重なったような中性的な響きがその身体から発された。


 自分の手の上に眩い輝きを放つ、白く細いメルルーシェの手が重ねられる。その温かい光に全てを委ねて眠ってしまいたくなる。そんな光だった。


 畏れで顔を上げることが叶わなかったが、神がそこにいることだけは確信できた。


「ルフェーヌ、入れるかい?」


 集中など既に切らしてしまっていたのかもしれない。

 ラミスカの身体から淡い紫を帯びた光が放たれ始め、メルルーシェと同じように宙に浮き上がった身体から薄紫の光の糸が溢れ出す。光の糸は穴の空いていた鳩尾を繋ぎ合わせるように蠢いた。


 右の義脚が音を立てて外れると、その右脚をも光の糸が形作っていく。


 その神の御技に息をすることも忘れて見入る。

 癒しに精通するその神の名が真っ先に思い浮かんだ。

 慈愛の神ルフェナンレーヴェの御技に違いないと。


 近くにいるだけで動悸が激しさを増して、呼吸を整えることも難しくなってしまったリメイの額に光を帯びた褐色の手がそっと触れて、リメイは穏やかな眠りにつくように意識を失った。



「さぁ、その子の傷も癒えたようだ。

子どもたちの争いを収めようか」


 メルルーシェの姿をしたテンシアが微笑みを浮かべて、淡い紫に瞳を光らせたラミスカに手を差し出す。


 助け出したばかりのルフェナンレーヴェが共に人間界に降り立ったのは、テオヴァーレとイクフェスが起こした綻びを癒すためだった。綻びは広がり、良きせぬ悲劇を生んでいく。ルフェナンレーヴェがそれを良しとしなかったのだった。


 少しの間の後に、ルフェナンレーヴェが話しづらそうに口を動かす。


「身体が、動かせない。

この身体は親和性が高くない、ようだ」


 テンシアは意外そうに顔をかしげてから頷いた。


「きみがメルルーシェの身体に入るといい。わたしがそちらに入ろう」


 そういうとメルルーシェがラミスカに覆い被さった。

 額と額をくっつけて握り合った両手から、神の光が循環するように円を描いて移ろう。薄紫の光がメルルーシェの身体へ。青みを帯びた輝く光がラミスカの身体へ。


 再び目を開いたふたりは手を取って立ち上がると、天井をものともせずに壊して空へと飛び上がった。彗星の如く昇った光で夜の闇が祓われ、まるで陽が登っているかのように大地は照らされた。


 モナティ神殿の外を起点として、ベルへザード国を侵略していた魔兵器が全て動きを止めた。


 突然の光と共に相対していた魔兵器が動かなくなったことで、立って戦っていた全ての人間が空を見上げた。


『我が名はテンシア。

安穏の神、この世界の寄る辺』


 身体に染み渡るようなその声は全ての人々に届いた。武器を落とした者にも、気を失っている者にも、眠っている者も、祈っている者にも、遠く彼方に浮かんでいるはずのその姿がまるで目の前に立っているかのように良く見えた。


 天井の崩れた礼拝堂で人々を守っていたリエナータも、片目に傷を負ったミュレアンも、魔兵器に埋もれたエジークも、戦線で指揮を取っていたハーラージスも、町民の避難を手伝っていたアルスベルも、薬屋で忙しなく薬を調合していたスーミェも。皆がその不思議な心地の良い声を聞いた。



『永き眠りから目覚めた今、あまねく破壊と争いを退け安穏をもたらす』



 テンシアが囁くように呟いたその言葉が、空に浮かぶラミスカの身体を中心に、強烈な波紋となって世界に広がっていった。



 誰もが言葉を口にすることを忘れ、その穏やかな流れに身を委ねた。涙を流し遺体を抱きしめていた者にも、痛みに喘ぎ敵国への怨嗟を声高に叫んでいた者にも安穏の光は染み渡り、その心の荒波を静めていった。もはや戦意を持つ人間などどこにもいなかった。


 静寂に包まれた国の、一番争いの跡が激しかった場所にメルルーシェが降り立った。


『我が慈愛と癒しを』


 二重に響いた声と共に、怪我を負った人々の傷口から薄紫の光の糸が溢れ出した。


 ルフェナンレーヴェの大規模な癒しによって、宵の国に足を踏み入れなかった者たちは彼らの大切な人間の元へと戻ることができた。




「わたしたちが人間界ですべきことは終えた」



 大地を見下ろしていたテンシアがそう呟くと、空を明るく照らしていた光が弱まっていった。


「テンシア。メルルーシェの魂が酷く弱っているのを感じる」


 夜に戻った空で輝く星のように浮かんだメルルーシェから、ルフェナンレーヴェの穏やかな音が重なった声が発される。心配の色が濃いその声に、隣に浮かぶテンシアが答える。


「あの子はまだ見つけていない。

魂が一際輝いた時こそわたしたちが手を貸す時だ」


 テンシアの言葉に、首を横に振るルフェナンレーヴェ。


「時の流れが凪いだあの場所で耐えられる人間など……

壊れてしまう前に助け出さなければ」


「きみの気持ちは分かるよルフェーヌ。

けれどきみがあの子ひとりを助け、ここに連れ戻してもあの子は辛いだけだ」


 ルフェナンレーヴェは沈黙の後に項垂れた。


「なぜあの子は神となる道を選ばないのだろう?」


 心底不思議そうに、苦悩を隠した響きでルフェナンレーヴェ呟くと、くすくすとテンシアが笑った。


「そうすればきみは遠くから見つめるばかりではなくなるのにね」


 ふと表情を和らげたテンシアが手を取って続ける。


「わたしが聞いた言葉は一字一句きみに伝えただろう。

わたしはとてもきみの娘らしいと感じたよ、ルフェナンレーヴェ」


 浮かない表情のルフェナンレーヴェに一瞬緊張が走った。その表情が徐々に喜びに染まっていくのを見てテンシアが微笑んだ。



「ほら、あの子は大丈夫だっただろう?」



 メルルーシェとラミスカの身体からほとばしるような光が溢れ出していく。


「メルルーシェを掴んだよ、テンシア」


 ルフェナンレーヴェがそう囁くと、瞳から神々しい光が消えて瞳が閉じられた。浮力を失ったように落下し始めようとするメルルーシェの手を掴んでいたラミスカの瞳からもテンシアの光が消え、ふたりの身体はゆっくりと落下を始めた。


 多くの人間がその光に見入っていた。


 空から落ちゆくふたつの光は途中でひとつになり、ゆっくりと大地に降ろされた。




 その日、ベルへザードの民に起こった出来事は「目覚めと癒しの日」として幾年も語り継がれ、祭りとして受け継がれていくことになった。


 そして涙を流し抱きしめ合う褐色と白のふたりの男女の姿は、この地に降り立った安穏の神と慈愛の神を象徴する絵として多くの人間に描かれた。





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