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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
5章 合縁奇縁
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最期




「何体いるか確認できるか?」


 冷静な声で問われて首をぶんぶんと横に振るリメイ。メルルーシェも動く影を捉えるのが精一杯で個体の数を把握することは出来なかった。


「神殿司、モナティの近くに駐屯している兵団はいますか?」


「いや、ハッセルでも兵士はあまり見ない」


 そう答えた神殿司はすぐに神官に呼ばれて下へと降りていった。メルルーシェは窓に手をかけたラミスカと、不安げに顔を曇らせたリメイに向き直る。


 普段南側を管轄している第6師団は西側に回されているため、今この場所は非常に手薄な状態ということになる。モナティ以南はフィレダリー山脈が続いており、敵が攻めて来る想定はされていないだろう。


 仮面魔具の通信から察するに、西から北にかけてはロズネル公国の主力と思われる魔兵器と交戦が始まっていて、南西では同時にダテナン国による侵攻が、そしてベルへザード国内のダテナン人の暴動も起こっているらしい。


「南は兵士が回されたとしても一兵団ね。

東側はまだ何事もないようだけれど、これが周辺国が示し合わせた作戦なのであれば時間の問題だわ」


 リメイが重々しく頷く。


「俺たちで攻撃を凌ぐ必要がある。いや…俺ひとりだ。

メルルーシェは清め湯へ、リメイはメルルーシェの付き添いを」


「敵の数も分かっていないんだ。君1人でどうにかなる問題じゃないよラミスカ」


「リメイの言う通りよ」


 ラミスカの言葉を否定しながらも、頭ではそれが最善だと理解していた。


 敵がすぐそこまで迫っているとなれば、北へ向かうことも、ましてやハーラージスから勝ち取った自由時間など関係ない。敵に神殿が落とされれば多くの人間が命を落とす。誰かが迎え撃たなければ、メルルーシェやリメイだって例外ではない。仮死状態の間にとどめを刺される可能性だってある。


 自分は今すぐに宵の国へ向かい安穏の神テンシアを救い出し、この戦争をおさめてもらうために動くべきだ。となれば、戦える人間はラミスカ以外にはいない。


 神官達に慌ただしく指示を出す神殿司の姿を横目に、窓の外を注意深く見つめるラミスカの背中に手を伸ばす。


「こっちに向かってる」


 手が触れるか触れないかというときに、ラミスカが振り返って手が体に触れた。仮面魔具が収納されていき深い藍色の瞳が露わになった。


 ラミスカが自身の胸元で光るスファラ鉱石の首飾りを掴んで頭を潜らせる。


「俺は側にいられない。せめてこれを」


 真剣な表情に気圧されて、差し出された首飾りに頭を潜らせる。メルルーシェも決心を固めて首の後ろの金具を外した。


「では貴方にはこれを。

私は魔力を放出するから…貴方に癒しの加護がありますように」


 抱きつくような形で腕をラミスカの首元に回して、ベレス鉱石とラミスカテス鉱石の首飾りをつける。ラミスカの鎖骨に鉱石が寝かされると、ラミスカテス鉱石が光を帯びて蒼く輝いた。


 突然のことに驚いて3人で顔を見比べる。


「何故光り出したの?」


「分からない。ラミスカテス鉱石の核が近くにあると光るけれど……」


 興味深そうにじっと胸元を見つめるリメイを遮るラミスカ。


「今はそんなことを考えている時間はない。

早く清め湯に向かうんだ。敵がここに着くのも時間の問題だ」


 戸惑った様子でラミスカとメルルーシェを見比べるリメイ。


「分かったわ。ラミスカ、くれぐれも無理をしないで」


「あぁ」


 ラミスカは口元を引き結んで頷くと、神殿の入り口へと向かった。


「あの人は恐ろしく強い。大丈夫よリメイ。

私たちが急げば悪いことは起きる前に終わる」


 暗い顔のリメイにそう告げて、町人に声をかけて回っている神殿司の元へと向かう。


「神殿司、神殿の守りはあの人が、私たちは清め湯へと向かいます。

……今は説明している時間はありませんが、戦争を止めるために必要なことなのです」


 神殿司はメルルーシェの瞳を見つめてから小さく頷いた。


「戦争が無事に収まれば紹介したい者もいます」


 神殿司にはラミスカの成長を伝えていない。全てが終わったら話さなくては。


「分かった。早く行きなさい」




 神殿司の許可を得て神殿の裏門へと向かい、灯り杖を手にして神の庭の門を潜る。


 神の庭は変わることなく、澄んだ空気に包まれ、穏やかに時間が流れているようだった。


 暗くて足元の悪い中進んでいると、神殿のすぐ近くで地面に何かがめり込んだような大きな音と悲鳴が響き渡った。同時に爆発音が聞こえて神殿内の人々の悲鳴が伝染する。


(もうラミスカが交戦している?)


 隣のリメイに声をかけようと口を開いたが、前方から人の気配を感じて庇うようにリメイの前に手を出す。


(誰かが来る)


「後ろへ」


 小声で囁く。


———しばらく姿が見られなくて退屈だったよ。私を阻んでいたのはルフェナンレーヴェか?


 姿は見えなくてもこの声は覚えている。

 死の神イクフェスの響き。


 ここがただの思い出深い故郷ではなく、死の神の庭だということを思い出した。



 無意識に首のスファラ鉱石を握りしめたメルルーシェの手の裾を掴んだリメイが、震えながら前に出て自分の後ろにメルルーシェを隠す。


(リメイにも聞こえているんだわ)


 まずい状況だった。清め湯まではまだ少し距離がある。



———どうしてまた我が神殿に帰ってきた?


 甚だ疑問だ。という調子の響きに、自分たちの目的はまだ死の神に察されていないのだと確信する。


———まぁ良い。迎えをやる手間が省けたのだから。

我が庭に足を踏み入れた者は、我が手の内も同然。



 肌がざわつくような嫌な予感が走った直後、周りを囲む木々が突然メルルーシェとリメイに向かって枝を伸ばした。



 イクフェスが楽しそうに笑う気配がした。


「リメイ!!」


 メルルーシェがリメイを突き飛ばすと、リメイがいた場所に伸びた太い蔓が突き刺さった。数歩後ろに下がって身を翻し、灯り杖を振るって細い蔓を振りちぎる。


 日が落ちて視界が悪いため、灯り杖を失えば視界は完全に閉ざされてしまうだろう。


(ちょうど良いわ。どうせ魔力を消耗するんだもの)


 自分自身を鼓舞するために強がる。


 うねる蔓に凝縮した水魔法を撃ち込むリメイに駆け寄って寄り添うと、魔力を自分とリメイまで広げて父である慈愛の神、ルフェナンレーヴェへと祈る。


(慈愛の神ルフェナンレーヴェよ、リメイとラミスカをどうかお守りください)


 祈りに呼応するように光が強さを増して周囲を明るく照らすと、襲いかかってきた植物の蔓が動きを鈍らせた。癒し魔法は魔力にあてられたものには有効だ。癒しの魔力が物体が元々持つ魔力の補佐をするからだ。



———やはりルフェナンレーヴェの魔力か。相変わらず落ち着かぬ光だ。


 どこかから死の神イクフェスの声が響く。


 直接聞こえる声と共に感情が伝わってくる。

 欲しいものが手に入れられるという揺るぎない余裕の中に、少しの悪寒。


———さぁ、行け。我が手に届けよ。


 黒い靄が集まりみるみる内に人型を形どる。長身の人型のすぐ周囲には犬の形をした影が集まった。


 メルルーシェの魔力が光を放つほど、その影たちも色濃く、数を増やしていく。


「リメイ、このまま突っ切って清め湯まで向かうわ」


 水魔法で牽制しながら頷くリメイと共に駆け出す。

 死角からリメイを襲った植物の蔓は光の膜に弾かれた。荒い息遣いで飛び込んできた猟犬を灯り杖で振り払って突き刺すと、霧散するように消えていく。


 清め湯への道を阻むように人型が立ち塞がり、猟犬によって道なき道へと追いやられる。不意をつく攻撃を捌きながら、神の庭を走り回る。


 まるで狩りのようだった。


(このままでは清め湯の方向さえ分からなくなってしまう)


 襲いかかってきた猟犬を薙ぎ倒して踏み付けると霧散する。



 また近くで爆発音が轟き、人々の悲鳴が響き渡った。

 見上げた空が少し赤く染まっている。



 気を取られたことに気付いてすぐに視線を落とすが、形を取り戻した黒い霧の猟犬が眼前に迫っていた。


 この黒い霧には癒しの光は効かない———首筋を狙って口を大きく開いた犬の動きがゆっくりと感じられる。



 後ろに引かれたのと、予期せぬ方向から撃ち込まれた水魔法に、黒い霧が霧散した。


「よ、良かった」

 メルルーシェを引いたのは灯り杖を手にしたリメイだったが、水魔法はリメイが放ったものではない。


「メル!!こっちよ」


 白の薄い衣を纏ったリエナータが、メルルーシェたちが向かう清め湯の方向から顔を出した。


 背後でリメイの苦痛の呻きが聞こえた。猟犬に噛みつかれたらしい。猟犬の猛攻を灯り杖と蹴りで捌きながら、援護の水魔法を放つリエナータの元に駆け込む。


 リメイの傷の具合を確かめる。

 左腕と右足に噛みつかれた跡がある。歯形の着き方から、リメイがメルルーシェを庇ったのだと分かる。深い出血を抑えるように手で押さえて癒しの魔法を施す間も、猟犬達の唸り声が幻聴のようにずっと聞こえている。


 メルルーシェ自身も攻撃を捌ききれていなかったようで、ずきりと痛みが走り、こめかみから頬に血が伝っていく感覚がした。リエナータのお付きの神官が近寄ってきてリメイを支え、メルルーシェの血を拭ってくれた。


 リメイの腕を手早く癒して顔を上げると、清め湯の光で周囲がふわりと照らされる中、猟犬を引き連れた黒い長身の人型がのそりのそりと踏み込んでくる。


———我がアデラよ、その娘を殺せ。


 明らかにリエナータに向けて発されたその声は、有無を言わさぬ神威を帯びていた。思わず平伏したくなるような圧力に手足が痺れる。


 リエナータは耳を塞ぐように頭を抱えている。何かが、リエナータの身に起こっているようだった。痛みに悶えるような動作に、手を伸ばして叫ぶ。


「リエナータ!」


 悲鳴にも近い叫びでリエナータがこちらに顔を向けると、涙に濡れ苦しそうに引き結ばれた口元が目に入る。同じように手をこちらに伸ばしたリエナータ。


 その手の先に水の球が作り出されていく。



 リメイが身体を強張らせた瞬間、リエナータの水魔法が黒い人型の頭を吹き飛ばした。


———ほう、死の神の神官アデラが、己が神に魔法を放つのか。



「私は恨んでなんていない。私の大切な、たったひとりの親友よ。

私の大切な幼馴染を傷つけるような神は、私の神じゃない」


 涙に顔を濡らしたリエナータが頭を押さえながらきっ、と人型を睨みつける。



 くつくつと、死の神が笑う気配がした。



 メルルーシェにはリエナータの発した言葉の重みが分かる。


 ずっと幼い頃から死の神を心の支えに、死の神を慕ってきたリエナータの姿を見てきた。


 自分と同じように片親の母を失って、毎日熱心に神殿に祈りを捧げに来ているのだと聞いて、リエナータに声をかけたくていつも眺めていた。


「きっとお母さまは無事に、宵の国にたどりつきましたね」


 ある日、メルルーシェは勇気を出していつも神官たちがするように話しかけてみた。


「えぇ。お母様はきっと迷いなく宵の国へ迎え入れられたはずよ」


 意外なことにはきはきとそう答えた少女は、自分よりも幼いメルルーシェの目をじっと見つめて微笑んだ。


「5つ歳の離れた姉さんがいるの。姉さんは優しいから結婚しないって言うの」


 それはきっと自分の面倒を見なくてはいけないからで。

 唯一の肉親である姉の邪魔になりたくないと、死の神の迎えを待ち望んで祈っているのだと、悲しそうに笑う幼いリエナータの横顔を思い出す。


 事あるごとに宵の国での生活を良くするために、死の神に気に入られるように、と過ごしてきたリエナータの価値観をメルルーシェはよく理解している。



 ずっと信じてきたものを否定し、自分を守ろうとするリエナータの姿に、胸の奥が震える。


 このままでは自分だけではなく、リメイやリエナータまで噛み殺されてしまう。


 メルルーシェが立ち上がると、今までで一番大きな爆発音と崩落する音が響き渡った。地面の揺れに神官達が悲鳴を上げた。



「死の神よ、この者たちに手を出さないと誓ってくださるなら、私は大人しく宵の国に向かいます」


 魔力を放出しながら祈る。


(父なる神よ、どうか愛する人々を守って)


———ほう。ルフェナンレーヴェの加護を捨てるか。それならばいいだろう、約束しよう。


 心底面白そうに自分を眺める死の神の絡みつくような視線を感じる。



 黒い人影に向かって歩み寄りながら、手を組んで魔力を絞り出すように放出していく。目前まで迫る頃には、身体の力が抜けてがっくりと膝をついた。倦怠感に首が上がらないものの、必死で魔力を絞り出す。


 故意に息を止めても、酸素を欲して息を吸おうともがくように魔力の放出が弱まる。感じたことのない魔力がメルルーシェの魔力を押し出す後押しを始めた。死の神の魔力なのだろうか。


 メルルーシェの元に走ってきたリエナータが身体を支えて仰向けに寝かせる。


「大丈夫よメル、私がついてるわ」


 メルルーシェを抱きしめてリエナータが囁く。


 リメイの様子を確認しようと顔を向けると、リメイの近くにいた神官達が頭を押さえて悶えるようにうずくまっているのが見えた。


 異変に気づいたリエナータの身体が強張ったのを感じる。



———私は手を出さないさ。だが我が泉で魔力を回復されると厄介だからな。



 口元を引き結んだリエナータが、黒い人型を見上げて睨みつけている。


 夢と現実の狭間のような現実感のない、遠い世界を見ているように感じ始める。



 まずい、助けないと。そう考えているのは誰なのか。



 薄れゆく意識の中、足を引きずりながら神官と交戦するリメイの姿が暗転し消えていった。




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