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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
5章 合縁奇縁
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首都と本の館




 首都フォンテベルフに到着して、すぐに調合しておいた酔い止めの薬を飲んだメルルーシェは、後から現れたラミスカの至極平気そうな顔に驚いた。


「大丈夫?具合悪くない?」


「少し胃がむかつく程度だ」


 薬を受け取って耳の付け根に塗りながらラミスカが答える。どうやらラミスカは転送でそこまで酔わないらしい。メルルーシェの酔いが覚めると、ふたりはまず手続きを済ませて兵舎の空き部屋を登録しておいた。


 部屋に荷物を置いてからラミスカと合流すると、首都神殿に向かうことにした。


 首都神殿は、神とその国の研究を進める神官たちによる研究機関だ。

 神の世界についての記述がこの人間の世界に存在するのは、各地の神殿で神に仕える神官アデラが情報を集めて、その情報を首都神殿の神官が調べ明かし結果を記録し、本としてしたためているからである。



 胸に期待を寄せて神殿の門を叩いたメルルーシェだったが、結果として邪険に追い払われてしまった。



 “宵の国について知りたい”と用件を告げたメルルーシェだったが、老齢な神官は怪訝な顔でふたりを見るなり「兵士は兵士らしく戦場へ行ってろ」という趣旨のことをやんわりと言ってきたのだった。


「何だあのジジイは」


「お爺さまよ、ラミスカ」


 明らかにラミスカを見下した態度だった神官に嫌悪感を覚えたのはメルルーシェも同じだ。首都はダテナン人への差別がより濃く根付いているとは知っていたものの、間近で目線や態度を見せられると怒りも込み上げる。


「困ったわね。元々首都神殿をあてにしていたわけでもないけれど、本の館に目当ての文献がない場合面倒なことになる」


 溜息をつきながら食堂へと向かう。

 首都の軍事施設はとても大きい。転送所から首都神殿、魔力研究所、本の館と全て繋がっている建物になっていて、建築技術にはあまり詳しくないメルルーシェでもその造りには舌を巻いた。


「今日は休んで明日本の館に向かってみましょう」


 首都フォンテベルフに到着したのは既に日の落ちかける橙の時だったため、既に外は暗くなっているだろう。


 ふたりは味気ない夕食をとると、翌日の待ち合わせ場所や予定を決めた。

 話が落ち着いた頃に丁度一日の最後の鐘が鳴って、各々の兵舎へと分かれて眠りについた。



****




 翌日、再会してから本の館に入ったふたりはその広さに圧倒されていた。


「こんな数の本があるなんて。とても1回の人生では読みきれなさそうだな」


 ラミスカが壁一面に並ぶ本を見渡しながら呟いた。


「人の知識の宝庫ね」


 二手に分かれて神についての本棚を探していると、階段の踊り場から身を乗り出したラミスカがメルルーシェを手招きしていた。


 緩やかに弧を描いた階段をのぼっていくと、細工の施された本棚が立ち並んでおり、本棚の間にラミスカが立って見渡している。どうやら目当ての場所のようだった。


(どの本の館も神々に関する本棚は豪華なのかしら)


 エッダリーの本の館でも、神に関する本が安置されている棚は明らかに良い木材が使われていたことを思い出すが、そもそも本の館は首都にしかないことに思い至る。エッダリーが特殊だったのだ。元々主に魔力の研究を行っていた師団がエッダリーに駐屯していたため、残された本を保管する本の館ができたはず。


「この辺りだな」


 館内には数人の人影があるため小声で呟くラミスカ。視線の先には、大小様々な大きさの本が並んでいる。糸で綴られた表題の分かりにくいものも多く、取り出して確認する必要がありそうだ。


「中々手強そうね」


 メルルーシェの強張った声にラミスカが小さく笑った。


 一回鐘が鳴った頃、やっと1つの本棚の上から下までを確認し終えた。上段の届かない場所はラミスカが、メルルーシェは下から確認して時折変わった表題のものをラミスカに見せて笑ったりしながら進む。


 見つけた中でのメルルーシェのお気に入りは『美の神の起こした気まぐれからなる人間界での黄金比の変化』と『確認できる神の世界における理』だった。


 中々興味をそそられる本だ。


 一方で、ラミスカがしばらく手に取っていた本について尋ねるも、答えてくれないので半ば無理やり取り出してみると、『おっパイオーネ』と書かれたもので、貞操観念を持たないとされる快楽の女神パイオーネを捩った表題の画集だった。舌を巻くほど美麗な絵で、凄腕の画家が描いたのか、美しい裸体のパイオーネがそこ此処に詰め込まれている。


 こんな画集まで本の館に保存されているのは、一定の需要があるのだろうか。


 気まずそうに顔を逸らしたラミスカに思わず笑いを溢して、宵の国についての本探しを再開する。



 メルルーシェが肩を回して身体を伸ばしていると、下の階の扉が開いた音がした。少し身を乗り出してみると淡い緑の髪が見える。


「ラミスカ、きっとリメイよ」


 淡い緑の髪はベルへザード人の中でも比較的数が少ない。

 ラミスカに声をかけて下に降りてみると、顔色が悪いリメイがきょろきょろと辺りを見回していた。メルルーシェとラミスカを見つけると、ぱっと顔を明るくして近付いてきた。


「さっき到着したばかりなんだ。うっ」


 階段を上りながら腹鎧にかけた袋から薬草を取り出して、吐き気を催しているリメイに薬を調合する。少量ずつ手のひらの上で混ぜて、ラミスカに肩を借りているリメイの耳の付け根に塗ってあげる。


「よく休みを取れたな」


 地面に腰を下ろしたリメイがラミスカを見上げる。


「今は忙しいけど、前々から異動願いのことも相談してたからね。あと手続きも兼ねて伯父さんに会わないといけないと話したから、許可はすぐ貰えた」


「首都に伯父さんがいらっしゃるの?」


「はい。母の兄が少し地位の高い方で。怖いからあまり会いたくはないけど」


 薬が効いてきたのか、少し顔色の良くなったリメイが苦笑した。


「気分はどう?」


「随分良くなりました。これはとてもよく効きますね」


 リメイの笑顔に釣られてメルルーシェも微笑む。



 そこからは三人で宵の国、または死の神に関する本探しが始まった。

 死の神に関係する本の列を見つけたのはそれから1回鐘が鳴った頃だった。


「じゃあ目的を整理するわね」


 二人が頷いたことを確認し、人差し指を立てる。


「まず一番の目標は、安穏の神テンシアを癒し宵の国から連れ出すこと。

二つ目の目標は、連れ出した後この世界に戻ってくることよ」


 リメイがごくり、と息を呑む。“死んで生き返る”に等しい宣言に動揺もするだろう。


「最後に、死の神に気付かれないように宵の国に入ること。これは死の神に目をつけられている私は難しいかもしれないし、なんとも言えない所ね」


「……死の神は宵の国に入ってくる人間を皆把握しているのかな?」


「それも含めてここで調べる必要があるわ。

参考になりそうな記述や気になるものがあれば報告しましょう」


 とりあえず片っ端から床に積み上げると、3人で読み漁る。


 三書ほど目を通すも、書かれているのは宵の国へ行くための手順や、宵の杯人に関する記述だった。ラミスカとリメイも黙々と読み進めていたが、ふとラミスカが顔を上げた。


「“宵の国の中について知ろうとすることは禁じられている”と書かれているぞ」


 ラミスカが古びた本を手に、一文を指で差し示してこちらに向ける。


「それいつ記述されたものか書いてある?」


 リメイが隣から覗き込む。


「エレインの235年だな」


 ぱらぱらと紙をめくって端の方に目を留めたラミスカが呟く。


「ジファ戦争の開戦よりも前だね。戦争が始まると宵の国への関心が特に高まったから、比較的詳しく書かれているものもあると思うんだ。比較的保存状態の良さそうな本から優先的に目を通そう」


「なるほどな」


 メルルーシェとラミスカは本の館があるエッダリーで暮らしていたこともあり、その辺の一般人よりは本と接してきたが、リメイも結構な読書家らしく本を捲る速度が早い。メルルーシェもリメイの言葉に従って比較的綺麗な本を手に取る。


 『死の神が好む魂』という表題の本だ。


 死の神とはそもそも人の魂を愛でる存在であり、人の死後穏やかな住処を与えてくれる神とされている。


 人間の核である魂は、魔力と同義だと考えられてた時代もある。けれどそれは厳密には間違いだとこの著者は訂正している。魔力は魂を守り包む膜のようなものだと判明したそうだ。


 生前悪行を積んだ人間は、旅路の安全を願う人がいなければ宵の国にたどり着くことさえ難しいが、運良くたどり着いたとしても、禊ぎでひどい苦痛を味わうことになると言い伝えられている。こびりついた垢を洗い流すときに強く擦らなくてはならないのと同じようなものだろう。


 この時代の死の神イクフェスは汚れた魂を好んで食していた、と記されている。


 人が良く生きるための戒めとする創作話なのか、神官アデラの報告に基づいたものなのか、この本だけでは定かではないが、メルルーシェは死の神イクフェスの低く響く声を覚えている。


———その魂は私のもの。


 恐ろしいことには変わりない。

 ある程度目を通して本を閉じると、強張った首を回した。


「“夢の世界と宵の国は一部で繋がっている”って記述を見つけた」


「これを見てくれ。死に戻りを体験した者の日記らしい」


 弾んだリメイの声に重ねて、後ろから少し興奮したラミスカの声が聞こえた。


 リメイも本を片手にラミスカの元に近づく。


「“宵の杯人から受け取った水を口にすると目まぐるしく世界がまわり、宵の国の地に立っていた”」


 ラミスカが落ち着いた低く響く声で読み上げ、本を捲るリメイが残念そうに続けた。


「“死んだことを理解していたはずなのに、徐々に記憶が曖昧となったせいで見たものを思い出すことができない”

……この先は推論と宵の杯人に会うまでの話だね」


 考え込んでいたメルルーシェが口を開いた。


「慈愛の神ルフェナンレーヴェも似たようなことを言っていた。

彼も記憶がなくなってしまう、というようなことを匂わせていたの」


「それは初耳だ。宵の国へ行けば旧友や家族と再開することが出来ると、一般的には考えられているよね。記憶を失くしてしまったら会っても分からないんだから、矛盾している」


 顎に手を当てて首をかしげるリメイが言葉を続ける。


「でもひとつ分かった事がある。この著者は溺れて心臓と肺が止まってしまった状態だったけど、彼の妻が胸骨を圧迫し軌道を確保したことで蘇生された」


 リメイが言わんとしていることが分かった。


 死の淵に陥ると魔力を急速に失っていく。癒し魔法は魔力を正常に働かせるための魔力である。患者から魔力が一切失われてしまえば、もう癒し魔法は意味をなさない。


「視覚を強化して、物理的に心臓を圧迫して息を吹き込んだのね。トナン国の癒しの技術だと聞いたことがあるわ」


 メルルーシェの言葉に確信に満ちた様子で頷くリメイ。


「つまり蘇生が可能なら宵の国へ足を踏み入れて帰ってくることが出来る」


 少しの間の後にラミスカが首を横に振って、リメイの持つ本を指した。


「しかし危険だ。それなら、“宵の国と夢の世界は繋がっている”という記述を辿った方がいい。そっちを見てみよう」


 リメイは本を開いて一文を指した。


「ここに“夢の世界と宵の国は一部で繋がっている”っていう記述はあるんだけど、意図的に夢の世界から宵の国へ向かう方法なんかについては書かれていない。夢の神アファマの方面から調べる必要がありそうだ」


 それから3人は夢の神とその世界についての本を探して読み漁ったが、夢の世界から宵の国に向かう方法は“秘術として扱われている”という事実しか分からなかった。


 鐘が鳴り、色ガラスが橙の時を示している。閉館時間だった。


「今日はここまでね。食堂へ向かいましょうか。何も食べずにこんな時間まで……ごめんなさいね、二人とも」


「僕は転送酔いで食べる気分でもなかったし気にしないで、メルルーシェさん」


「空腹に耐えるのは慣れているから問題ない」


 集中していると何かを食べることを忘れるのは昔からのメルルーシェの癖だ。申し訳ない気持ちでいっぱいになったまま食堂へと向かった。




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