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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
1章 死と出会い
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神の庭の落とし物



 夕日が顔を出して空が青と橙に染まり始めると、一緒に癒し場の寝台を整えていたリエナータがメルルーシェの顔色を見て心配そうに口を尖らせた。


「今日の清め湯はちょっと早めたほうが良さそうね」


「そう?私そんなに酷い顔してる?」


 頬に両手を当てたメルルーシェが深刻そうに眉を寄せてリエナータを仰ぎ見る。


「息抜きしてきたら?別荘で」


 リエナータが笑いながらメルルーシェを小突いた。


「聞いていたの?やめてよ」


 ロナートの仕草を真似してメルルーシェをからかうリエナータの身体を追いやる。


「さっきバーチさんたちが話していたのを聞いたのよ。こんな小さな町でよくやるわよねほんと」


「でも本当にここしばらくあの方のせいでどっと疲れたわ。

ちょっとしばらく旅にでもでようかしら」


 立ち上がって乾燥した花を瓶に詰めながらため息混じりにつぶやくと、リエナータが苦笑しながら首を横に振った。


「メル、先に清め湯に行ってくるといいわ。

ついでに散歩でもして心を休めたほうがいい。

礼拝堂の掃除は私が上手いこと言っておくから」


 顔をあげるとリエナータの黄色がかった薄茶色の瞳が心配そうに揺れていた。メルルーシェはリエナータに甘えることにして、瓶を手に癒し場を後にした。


「後から向かうわ」


 後方から聞こえた声に返事をして神殿の裏門へと向かった。



 清め湯は神殿の敷地内にある泉で行う。そして泉とその周辺のある花が咲く周囲までを神の庭と呼ぶ。


 水や氷魔法の使い手が多いベルへザードでは、地下水を喚びあげて泉を作ることが出来る。神殿を建てる場所はある程度条件が似通っており、大体が森に隣接した水源豊かな場所だった。


 メルルーシェは裏門を通り抜けて神殿の森に足を踏み入れた。


 この森では神官以外の立ち入りを禁止している。それは森の中に存在する神の庭に邪な者を寄せ付けないためだ。


 神聖な神の庭の泉を使った清め湯は、基本的には神の僕である神官のみが利用するものなのだが、ヤンガラという南の国の大都市では一般的に解放された大きな清め湯があるそうだ。


 他国ともなると神殿の造りも違うのだろう。メルルーシェは、一度は行ってみたいものだと思いを馳せるのだった。


 木々の間を抜けて少し歩くと、ふわりと良い香りが鼻をかすめる。清め湯が近い。木の葉が擦れる音も相まって、心地の良さに思わず身体を伸ばして深く息を吸い込んだ。


 メルルーシェは幼い頃から神殿の森と神の庭が好きだった。


 神官だった亡き母は、幼かったメルルーシェに神の庭についてよく話して聞かせてくれた。


 神官しか入ることの出来ない森の奥。そこには心が静まる香りに包まれた温かい泉があり、神の気が満ち溢れているのだという。


 語りが上手だった母は、まるで情景が目に浮かぶようにそこで起こったことを話して聞かせ、幼いメルルーシェは淡い紫の瞳を輝かせて母の話に聞き入ったものだった。


 神の庭に勝手に入った人間が清め湯を覗こうとして雷に撃たれた話。たまに神が動物の身を模して庭へと遊びに来るという言い伝え。


 幼いメルルーシェはすぐに神殿とその森に魅了された。話の数々に心を奪われるのは必然だったのだろう。


 一層生い茂った柔らかな茂みをかき分けると、蒸気の立ちのぼる清め湯が現れた。


 メルルーシェは手にしていた瓶から乾燥した花々を取り出して清め湯へと散らし、自分の魔力を少しだけ泉に流すと、神へ感謝の祈りを捧げた。


 礼服に手をかけて、濃紺のローブと白の布、薄いヴェールを順番に脱ぎながらいつもの木の枝にかけた。肌着の薄いワンピース一枚になると、ゆっくりと泉に足先を入れる。


 体温よりも少し温かな湯の感覚が膝まで達したとき、奇妙な音が聞こえた。動きを止めて耳を澄ませる。


(やっぱり気のせいじゃない。)


 メルルーシェはすぐに清め湯からあがって薄いヴェールを羽織ると、恐る恐る音の聞こえた方向に向かう。



 たまに清め湯を覗こうとする不埒な人間がいるが、神の庭で乱暴を起こそうとする命知らずは神官の中には居ないし、町民がここに入ることは出来ない。


(こっちかしら)


 かすかに聞こえる奇妙な音を辿って、見つけたけもの道を縫うように通り抜けるとすぐに音の原因が分かった。


(なんてこと!)


 メルルーシェは息を呑んで駆けつける。


 地面に打ち捨てられ、弱々しく泣き声をあげるのは歪な形の赤ん坊だった。


 羽織っていたヴェールで裸体を包み込んで抱き上げる。赤ん坊は褐色の肌の男の子で、顔には酷い火傷の跡が、そして右の太腿から下が無かった。


(一体誰がこんな状態でこの子を……)


 メルルーシェは憤りを押し殺して、赤子の状態を確認する。手も指も折れているような異常はない。目はきつく閉じられているので確認出来ないが、顔周りも額から右目を覆っている火傷以外は異常はなかった。



 赤ん坊を抱きしめて元の道を引き返す。



(集中できる場所で魔力の流れを見てみないと。だけど魔力をこれ以上消費するのも後の反動が怖い。)


 清め湯を通り過ぎようとしていたメルルーシェは、はっとして振り向いた。


(清め湯に浸かりながらなら……)


 清め湯は失った魔力を回復させる儀式である。メルルーシェが集中さえ切らさない状態であれば赤ん坊の治療を行えるだろう。


 時折呻くように泣く赤ん坊の頬を撫でて清め湯に身を浸けたメルルーシェは、一緒に浸かる小さな身体を優しく拭いながら洗う。



 温かい飲み物を身体に流し込んだように鳩尾が温まって身体の魔力ゆっくりと回復していくのを感じる。胸の中で弱々しく動く赤ん坊に穏やかな表情を向けたメルルーシェは、徐々に意識を集中させていった。



 赤ん坊が動くたびに視界に映る魔力が霞んでしまう。顔のひどい火傷に気を取られないように無心で見つめる内に、薄っすらと魔力の流れが見え始めた。


 赤ん坊の身体を巡る魔力は酷く停滞していて所々で途切れ、右の腿は黒く渦巻いていた。


(これは……きっと酷く痛んでいるだろう。)


 苦いものを飲み込んだような気分で手をかざす。ゆっくりと自分の魔力を流し込み始めると、貪欲に魔力が引き込まれていくような感覚に襲われて思わず踏ん張る。


 魔力を寄越せと言わんばかりに、メルルーシェの身体から魔力を吸い上げていく。メルルーシェが意識を繋ぎ留めていられるのはひとえに清め湯に身を浸しているからだった。


(まるで誰かが助けてくれてるみたい。)


 必死に意識を保っていたメルルーシェは、赤子に全神経を集中して魔力の流れを助け、途切れた場所の魔力を結んだ。一番酷かった右の腿の黒い魔力は、辛うじて薄い赤色に変わるまで癒す事ができた。



 メルルーシェがかざしていた手から魔力を引き上げると、赤ん坊がきつく閉じていた目を開いた。吸い込まれそうな深い藍色の瞳は、どこか焦点が合わない様子で虚空を見つめている。


(ラミスカテス鉱石のような色の瞳ね。)


 赤ん坊が今までで一番大きな泣き声をあげた。


 ほっと一息ついて集中を解いたメルルーシェが顔を上げると、ほとんど日は落ちて清め湯だけが淡い光を放っている。そして清め湯の前で指を組んで祈りの姿勢を取るリエナータが座っていた。


「リエナータ……」


 リエナータが自分を魔力で包んで助けてくれていたことに気付いて顔が綻んだ。治療を行っていることを察して、邪魔にならないように控えていてくれたのだ。



「メル、あんなに魔力を使うなんて信じられないわ。思わず手伝ったけれど、あんな無茶はしないで、死んでしまうかと怖かった」



 開口一番、リエナータは怒ったようにメルルーシェを睨みつけた。メルルーシェは意図して魔力を使ったわけではなく赤ん坊に吸い取られたのだが、リエナータに訂正するのはなんとなくやめておいた。



「心配かけてごめんなさい。でも私は大丈夫よ、あなたが助けてくれたもの。ありがとうリエナータ」


 メルルーシェが微笑むと、清め湯に魔力を通しながら入ってきたリエナータがほっぺをつねった。


「二度とやっちゃだめよ。

それに聞きたいことはたくさんあるんだけど……」


 メルルーシェの胸で泣き声をあげる赤子を困惑気味に見つめて呟いた。


「どうやって子どもを産んだの?」


 リエナータの冗談に吹き出したメルルーシェと、それにつられるようにして二人は笑いあった。メルルーシェにとってこんなに体に染み入るように気持ちの良い清め湯は久しぶりだった。




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