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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
4章 われても末に
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魔力の同調



「問題ないだなんて……困った人ね」


 手を繋いだり、一緒の寝台で寝たり、口付けを交わす関係が夫婦。家族はそんなことはしないのだとメルルーシェは言う。


 メルルーシェの言葉通りなら、自分はメルルーシェと夫婦になりたいと思っているということになる。隣のメルルーシェの温もりを背中に感じながら小さくため息をついた。


 メルルーシェは自分のことを子どもだとしか思っていないのだろう。いつも“貴方にはいずれ恋人が出来るから”と諭すのだ。親と子として暮らしてきたことは否定しない。だが意識が芽生えてからは自分の身の回りのことはできる限り自分でやった。


 “母じゃない”と彼女を否定する真意が変わり始めたのはいつからだっただろう。


 何も知らなかった。

 地を這う虫の尊さを、星の浮かぶ空の美しさを、風が頬を優しく撫でる心地よさを。

 愛情を感じる眼差しを、胸に渦巻く感情を表す言葉を、道ゆく人の人生を想像することを。


 全てメルルーシェに教わった。

 メルルーシェさえ隣にいてくれればいい。


「ふたり家族だ。まわりにどう思われたって別にいいじゃないか。ずっと一緒に居られればそれでいい」


 串を頬張っていたメルルーシェがむせた。口の中のものを飲み込んだのか、咳き込んだ後に困ったように眉尻を下げた。メルルーシェは顔を赤らめて何か言おうと口をぱくぱくとさせている。


 自分の身体が異常をきたしている訳ではなかった。一緒にいると身体がむずむずすることも、触れたいと思うことも、アルスベルがメルルーシェを見る目が気に入らなかったのも今では理由がわかる。自分以外がメルルーシェの家族になるのは嫌なのだ。


「俺と一緒にいるのは嫌なのか?」


「そんなことはないけれど……」


 メルルーシェは困った顔で俯いてしまった。


「困らせる気はない。ただ一緒に過ごしたかっただけだ。

ずっと顔を見たかったし……」


 言葉が尻すぼみになっていく。拒絶されることがこれほど恐ろしいなんて知らなかった。ぎゅっと握った手にメルルーシェの手が重ねられた。顔を上げるとメルルーシェが微笑んでいた。


「そうよね、ずっと離れていたんだもの」


 柔らかそうな唇に視線を奪われる。顔を包み込んで口づけたい。

 そう考えている内に気付けば柔らかい頬に手を添えていた。


「……顔の火傷が痕にならなくて良かった」


「気にしていたのね」


 薄紫色の優しげな瞳が緩やかな弧を描いた。

 慌てて顔を背けて「身体を洗ってくる」と誤魔化す。危うく唇に触れてしまいそうだった。


 浴槽魔具に水が溜まっていくのをぼーっと眺める。メルルーシェとこんな風に過ごせる日が来るとは思っていなかった。無意識に胸の首飾りを弄っていたことに気付いて手を離す。


 ふと、アイラ・ハニとその妻ラルシェのことが頭を過ぎった。

 ベルへザード国内にロズネル公国の魔兵器を手引していたダテナン人貴族だ。ミュレアンがつけたラルシェの腕の傷は良くなっただろうか。


 愛する妻が殺される、と恐怖した男の絶叫が忘れられない。メルルーシェを大切に思う自分と重なって仕方ないのだ。


 服を脱いで義脚を手際良く外してすぐ隣に立てかける。浴槽に浸かって顔を洗うと、水面に映る自分の暗い藍色の瞳を見つめてため息をつく。


(人殺しの顔だ)


 こんな自分が何かを求めるのは間違っているのだろうか?

 暗い影が落ちる水面に波紋が広がって顔が歪んだ。



「ラミスカ、前髪切ってあげようか?」


 扉越しにくぐもった声が聞こえてきた。優しい声に気持ちが安らぐ。

 懐かしい感覚に自然と口角があがるのが自分でも分かった。


「あぁ」


「じゃあ上がって拭いたら教えてね」


 返事が意外だったのか、メルルーシェの焦ったような返事に笑いを零す。



 簡単に身体を拭いて義脚を装着する。

 血行が良いときずきずきと痛むのだが、ここしばらくは足を酷使していたこともあり、鈍痛が続くことには慣れた。そういえば幼い頃はメルルーシェが浴槽に薬草を入れてくれていたことを思い出す。


「上がった」


 上裸で扉を開けてメルルーシェに報告すると、準備していたのだろうはさみ等を手に椅子に座るように指示される。


「目を閉じて」


 メルルーシェの手が触れるのを心地良く感じながら大人しく身を委ねる。はらりはらりと落ちていく毛が、抱えた空き袋に吸い込まれていく。


 エッダリーにいた頃も同じ様にメルルーシェに髪を切ってもらっていた。しばらくメルルーシェの吐息を感じながら大人しくしていると、手が止まって顔を布で払われる。


「良い、と思うわ」


 目を開けると髪がかからないようになっていて視界が良好だった。すっきりした気分に口元が緩む。


「そうか」


 顔を上げると数秒間淡い紫の瞳と視線が交差して、メルルーシェが慌てたように目を逸らした。


「ついでに身体の魔力も見るわね」


 慣れた手つきでラミスカの手を取って掌に触れた。


 暖かい魔力が掌から流れてくるのを感じる。魔力はそれぞれ質が異なるため、治療や子作り以外の目的で自分の魔力を直接他人に流すことはない。相入れない魔力では気分が悪くなったりすることがあるからだった。


 癒し魔法の魔力はどんな魔力の人間でも心地良く感じられるそうだ。稀に拒絶反応を示す体質の者もいて、癒し魔法が受けられない場合は薬師を頼ることが一般的だと本で学んだ。


「右脚の付け根の魔力が滞っているから流しましょう」


 しゃがみ込んだメルルーシェの瞳は光を帯びている。魔力を見ているときの目だ。メルルーシェが右脚を見つめながら手をかざすと、一種の浮遊感にも近い感覚が右脚を包む。


「義脚で少なからず負担がかかっていたのね。痛んだでしょう?」


 眉尻を下げたメルルーシェが何の気無しにそっと右脚を撫でる。冷たい指の感触に顔に熱が集まる。


「今日は義脚を外して眠るといいわ。私も側にいるから大丈夫よ」


「あぁ」


 顔を見られないように俯いて、落ちた髪を集めて簡単に掃除をして寝台に横たわった。


 浴室に向かったメルルーシェが水浴びする音を聞きながら、これからどうするかに思いを馳せた。


 メルルーシェは昔、穏やかな気候の土地の湖の近くに家を持ちたいと話していた。


 ベルヘザード国内では南が穏やかな気候だ。メルルーシェは元々ほぼ最南端と言っても過言ではないモナティという町出身だ。


 会いたい人間も数多くいることだろう。まずは南側で湖がある穏やかな地域を探してみよう。南ならばロズネル国からの襲撃に気を擦り減らすことはないだろう。と言っても結局戦に負ければ、ベルへザード人がダテナン人に行ったように、勝者が敗者を虐げる構図が出来上がる。


 そうならないためにも自分は当然国を、メルルーシェを守らなければならない。


 それをメルルーシェが頷くかどうかは別だ。メルルーシェはラミスカを連れて国を離れるつもりだと再会した時に言っていた。取り敢えず数日は身体を休めてから、今後どうするかをメルルーシェと話し合わなければならない。ラミスカは小さくため息をついた。


 ふわりと、いい香りが鼻をくすぐる。メルルーシェが扉を開けた。濡れて色濃くなった髪を乱雑に布で拭いながらこちらを見てにこりと微笑んだ。


 濡れたまま薄着で現れるなど家族の前でしか行わないだろう。姿形が異なっていてもメルルーシェが自分のことを家族だと認識していることが、嬉しくもむず痒かった。


「ちょっと身体を動かすわね」


 メルルーシェが断りを入れて身体を動かし始めた。


 まず柔軟。足を高く上げて壁に押し付け、身体を捻り伸ばし反対側も同じように行うとふっと一息ついた。


 長くて綺麗な髪を切ってしまったのは少し勿体なくも感じたが、顎辺りまでのふんわりとした短い髪型もメルルーシェにはとてもよく似合っている。今は濡れた髪が頬に張り付いているが。


 寝台から頭だけ持ち上げて見つめていると、メルルーシェがこちらを見て口を開いた。


「ラミスカも一緒にどう?手伝うわ」


 寝台から身体を起こして、狭い室内の床に片足で立つとメルルーシェが肩を貸してくれる。片足でもぶれずに立ち続けることができるが、重心がずれるのであまり好んで片足で立つことはない。


「見かけによらず身体が柔らかいのね」


 地面に足を開いて身体を倒しながら片手で身体を持ち上げることを繰り返す。


「身体の柔軟性は重要だからな」


「手伝うまでもなさそうね」


 器用に片手で身体を持ち上げるラミスカにメルルーシェが首をかしげた。


「次は魔力操作ね」


 縦長の寝台を半分ずつ使ってあぐらを組んで向き合う。

 顔が程よく上気してきたメルルーシェが、ラミスカに悪戯っぽく笑った。


「ここではこの前みたいな無茶はしちゃだめよ」


 大型魔兵器に穴を開けたことを指しているのだろう。


「穴を開けたら2人してこの格好のまま外に出る羽目になるからな」


 からからと鈴のように美しい笑い声をあげるメルルーシェ。


「まぁ、それは想像しただけでも大変ね」


 メルルーシェが目を閉じて魔力を練り始めた。ラミスカも同じように魔力を練る。


 肩甲骨から両腕に向かって指一つ一つに集中して、鳩尾から足先までゆっくりと身体の部位に魔力を留めていく。


 全身を溢れるギリギリの魔力で満たして目を開けると、メルルーシェの身体も同じように光に縁取られていた。精密な魔力操作力に素直に感心する。昔からメルルーシェの魔力操作力には光るものがあったが、アルスベルと訓練したのだろうか。


 一瞬思考が翳ったせいか、魔力が身体から溢れ出した。


 ふたりの魔力の質が限りなく似ているためなのか、目を閉じていると身体の境界が一瞬分からなくなって慌てて集中して自分の魔力を体内に収める。


 目を開けるとメルルーシェも同じような感覚だったらしく、驚いた顔で手を見つめていた。


「すまない。制御できなかった」


「ラミスカだったのね。身体がどうにかなってしまったかと思った」


 頬を染めながら安心したように微笑むメルルーシェ。


「私たちの魔力は本当によく似ているのね」


 感心した様子で自分に魔力を流してみてほしいとせがむメルルーシェの手を握る。


 ゆっくりと魔力を流し込みながらメルルーシェの顔色を伺う。相性が悪いと体調を崩すこともあるからだ。似た魔力であるためその心配はないだろうが。


「色々書物を調べたが、赤子のとき死にかけていた俺はメルルーシェの魔力で助かったんだろう。赤子の魔力は染まりやすいから、そのせいじゃないかと仮定してる」


 とても寛いだ様子のメルルーシェが他意など無さそうにラミスカに感想を告げる。


「穏やかに流れる川に浮かんでるような心地良さね」


 メルルーシェは結構世間知らずな所がある。相手の魔力の感想を告げるなんて、まるで“よろしくやった”後の甘い会話だ。羞恥心を抑え込んで顔には出さないまま「そうか」と呟いた。


「一通り身体も魔力も動かしたし、今日はゆっくり眠れそう」


「毎日やってるのか?」


「えぇ、勿論」


 兵士の中でもそれほど熱心な者は少ない。メルルーシェの努力を惜しまない所は美徳でもあるが、無茶をしていないか心配になることもある。


「しばらくの間は程々にしてしっかり身体を休めよう」


「えぇ、そうね」


 柔らかく微笑んだメルルーシェに壁側を譲って共に横になった。しばらくは無心を決め込んでいたが、肌が触れ合って胸がざわめき始める。優しくも懐かしいメルルーシェの香りに、身体の感覚が鋭利に研ぎ澄まされていく。


 メルルーシェの身体に顔を埋めたい、もっと匂いを感じたい。滑らかな肌に触れたい。


 そんな自分の考えを否定する。これでは乱暴な兵士たちと同じことをしようとしていることになる。メルルーシェを怯えさせるのは嫌だ。


(耐えるんだ)


 灯りが消えた中、ラミスカの葛藤などつゆ知らずメルルーシェが明るい声を発した。


「そうだ、明日は神殿に行きたいの」


「神殿に?どうして」


「負傷者がたくさん運ばれているでしょう?手伝いでも出来ればと……」


 ラミスカが沈黙したことに気付いて“しまった”とばかりに口籠るメルルーシェ。


 今さっき身体をしっかりと休めようと言われて返事をしたばかりなのに、人を癒そうとするメルルーシェに彼女らしさを感じて、どうしようもなく愛おしく感じる。


「無茶はしないわ。覗くくらいよ」


 きっとへとへとになるまで魔力を使ってここに帰ってくることになるのだろう。


「そうか」


(そのときは自分がメルルーシェを連れて帰って来ればいい。自分が守れば問題ないのだから)


 そんなことを考えている内に、熱をはらんだ波が引いていく。

 ラミスカは自分の口元が緩んでいることに気付かないまま、穏やかな眠りについた。




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