夢に見た情景
一体どうやってここまで来たのか。魔具の開発が進んでからは癒し魔法の使い手が優遇されるようにはなったが、一日二日で部隊に編成されることはない。しかも先の話では第2師団所属だと言う。
自分を見上げるメルルーシェに手を伸ばして、その頬に触れたくなるのを堪えた。
———短くなった髪以外何も変わっていない。いや、更に美しくなった。
それに重心がしっかりしている。身体を鍛えたようだ。柔らかい髪を後ろで結んでいると、どこかアルスベルに似た雰囲気がある。
(そうだ。アルスベルを置いてここに俺を探しに来たのか)
名前を問うメルルーシェには答えないまま質問を返す。
「息子を探しに来たと行ったな。夫はどうした?」
メルルーシェはサークレットを外しながら気まずそうに目を泳がせる。
「夫は……いません。未婚なので」
「そうか」
(3年経っても婚約とは続くものなのか。アルスベルとはいつ結婚するのだろう?)
不思議そうな顔で自分を見つめるメルルーシェに、こめかみを叩いて見せる。
「仮面魔具を装着しろ」
「あ……すみません」
何かを言いかけていたメルルーシェが口を噤んで仮面を装着した。
自分の身体はメルルーシェの魔力を吸い取ろうとしたりはしていないようでほっと息をつく。これなら近くにいられそうだ。どうやってメルルーシェを戦場から離すか頭を捻る。メルルーシェに自分がラミスカだと悟られる訳にはいかない。ここまで来た彼女ならば、どこへでもついてくるだろう。
「息子の名前は?」
「ラミスカ。与えられた姓はゼスというらしいです。ラミスカ・ゼスと言います」
優しいメルルーシェの声で呟かれる自分の名前に心臓が早鐘を打つ。苦しかったことを話したい。どんな日々を送っていたのか聞きたい。
「ラミスカか」
「何かご存じなのですか?」
顔をあげたメルルーシェが食いつくように腕を掴む。
「混血の候補兵だろう。
彼は……戦場には出ていない。いるとしても本拠点だ」
ラミスカの答えに口元を緩ませるメルルーシェ。少なくとも危険からは遠いと判断したのだろう。
「良かった……あの子に危険が及ばないように……」
自分を“あの子”と呼ぶメルルーシェ。彼女の中では自分はまだ小さいままなのだろうか。
手を組んで祈るような姿勢を取るメルルーシェ。自分の安否を願うメルルーシェの気持ちを痛い程感じて、胸の中に熱い何かが燻る。綻ぶ口元を見られずに済んで良かった。
(アルスベルは一体何をしているんだ)
ラミスカは苛立ちを覚える。彼女を頼むと言ったはずなのに、彼女は今ベルへザード国内で一番危険な場所にいる。
援軍もしばらくは期待出来ない状態で、敵の数も未だ底が知れない。本来ならば国から連れ出したい所だが生憎それは難しい。本拠点に連れて戻るにも危険が多い。一番近い第2拠点まで連れて行って、拠点を守りながら敵を討つのが確実かもしれない。
「メルルーシェ、第2拠点に向かうと言っていたな。そこまで送ろう」
メルルーシェはしばらく口を噤んでいたが、腕を組んで指をトントンと動かしている。
「ねぇ、あなた……どこかでお会いしたことがある?」
「いいや」
すげなく否定すると納得したのか、それ以上食い下がることはなく「第2拠点までよろしくお願いします」と呟いた。
隊を構成し直して、補給に向かう必要のない者はその場に、負傷の治癒にまだ時間がかかりそうな者は共に第2拠点に向けて出発した。
「後ろだ!」
魔法を放って連携を取りながら応戦する兵士たちを横目に、爆風で裾がめくれてもメルルーシェから義脚が目に付き難いように位置取る。数回の交戦を終えて拠点が近付いて一息ついたとき、絶えず指令と報告が入り乱れる仮面魔具から、馴染みのあるくぐもった声が聞こえてきた。
《緊急、緊急、こちら魔法連隊長ダリ、赤で交戦中の大型魔兵器の内2体が第2拠点に向かっている。繰り返す》
ミュレアンだ。
《1.2.3.4隊は第2拠点の防衛に……は来…》
ミュレアンからの通信が衝撃音と共に途切れ、鋭い高音が耳をつんざいた。
「っ……」
兵士たちが呻いたり、悲鳴をあげたりして装着していた仮面を外した。とてつもない高音は仮面魔具と、遠くの方からしばらく聞こえ続けた。
大型魔兵器は仮面魔具の妨害を行っているようだった。仮面魔具を外せば兵が一か所に集まっている場所、つまり拠点を一斉に狙ってくるだろう。
メルルーシェも仮面魔具を外してその方向を見つめていたが、ラミスカの背に顔を向けた。
「ねぇ、あなた」
動揺した兵士たちが口々に意見を交わしている中、メルルーシェが仮面を外して顔を背けているラミスカの背中にそっと触れた。
「ラミスカね」
心臓が跳ねた。仮面を抑えていた指を離してメルルーシェに目をやる。
「名前を呼ばれたときに分かったわ。顔を見せて」
何故名前を呼んだだけで自分がラミスカと分かるのだろう。顔を向けると、穏やかな表情のメルルーシェは美しい薄紫の瞳を揺らしていた。
恐る恐るといった様子で顔に手を伸ばすと、柔らかい手が目元から頬を伝っていく。
「無事で本当に良かった」
泣きそうに破顔したメルルーシェを胸に引き寄せる。懐かしい温もりに身体の芯が温まっていくようだった。鼓動が速度を増すのに気付かないふりをする。
「ここは危険だ。はやく本拠点に戻るんだ」
柔らかな髪に顔を埋めたまま囁くように呟く。
「もし貴方が酷い怪我を負ったら誰が治すの?」
顔を離したメルルーシェと視線が交わる。
「そのために安全な場所で待っていて欲しいんだ。
満身創痍になっても必ず戻る」
メルルーシェが口を引き結んで断固とした声で告げる。
「いいえ、貴方が倒れたときに私が貴方を抱えて逃げるわ」
メルルーシェが自分を抱える姿を想像して頭を抱える。
危険、と口にした瞬間、足をかけられて身体が宙を舞った。片手で受け身を取ろうと地面に手を伸ばすと、流れるように防がれて地面に背中から倒れる。
「自分の身は自分で守れるようになったの」
自分に手を伸ばすメルルーシェに首を横に振る。
確かに警戒していない自分を転がせるくらいの体術を会得していることは認める。
「人間相手と魔兵器が相手では話が違う」
言い合いをしているラミスカたちの元に、指示を仰ぎにきたのか兵士が近付いてくる。メルルーシェも気付いたのか、ふたりは口論をやめた。
通信が途絶え転がしたままの仮面魔具を見やる。
(潜入任務は既に終えた。顔を見られて困ることも最早ないか)
肌の色を隠すために着けていた手袋も外して投げる。
兵士がメルルーシェを、そしてラミスカの顔を見て戸惑いがちに口を開く。
「あんた……混血だったのか。いや、そんなことよりはやく第2拠点に向かおう。あの妙な高音が近付いてる」
「あぁ」
メルルーシェの首を縦に振らせるよりは、国を出る方がまだ簡単だろう。ラミスカは諦めのため息をついた。
「絶対に俺から離れるなよ」
「あぁ、分かった」
目を見て言わなかったせいだろう。メルルーシェに告げたはずの言葉に何故か兵士が頷いた。後ろで笑いを堪えるメルルーシェから顔を逸らして咳ばらいした。
兵士の戦場での価値観は簡単だ。強い人間に従う。
隊からはぐれた寄せ集めの一行は、ラミスカの指示で隊列を組みながら第2拠点に向かう。
現れた魔兵器の足を順番に削ぎ落して義脚を目に突き立てたラミスカに、メルルーシェが思い出したように口元を抑えた。
「貴方の新しい義脚をアルスベル様から預かってきたの」
「そうか、また礼を言う」
リメイが興味を持ったくらいで、三年間他の魔具技師に脚を見せたことはなかった。ある程度自分で調整できるようになっていたおかげで困ることはなかった。
アルスベルは義脚を気にしていたのだろう。お礼を言わなければならない。
メルルーシェがじっと自分を見つめていることに気付いて首をかしげると、何故か嬉しそうに目を細める。
「いい子に育ったわ」
近くにいた兵士が神妙な顔でラミスカとメルルーシェを見比べていた。言い表せない羞恥心に襲われて顔を背ける。
「アルスベルとの結婚はどうしたんだ」
語気を強めて聞くと、メルルーシェはきょとんとした顔で立ち止まった。すぐ近くのトンネルから足が現れて庇うようにメルルーシェの前に立つ。
「…て……」
足の攻撃を捌く金属音で聞こえず聞き返す。
「結婚なんて、してないわ」
メルルーシェが大声で答えながら、魔兵器の足に槍を突き立てて引きちぎる。体勢を崩した魔兵器に、兵士が感嘆の声をあげて一気に魔法を放つ。
「婚約はどうした?」
「婚約なんて……あ!そうね、アルスベル様が立ち回りやすいようにそういうことにしましょう、という話はしたけれど」
ラミスカが振り返って後ろから接近していた魔兵器の目に槍を投擲する。刺さった瞬間爆発して、爆風で飛んでくる破片からメルルーシェを庇う。
「何?」
驚きで聞き返したのを、聞こえてないと取ったメルルーシェがラミスカを見上げて言い直す。
「婚約している振りをしたって言ったの!」
自分を見上げるメルルーシェの顔が近い。
「今だ、進むぞ」
密着していた身体を離して、ごまかすように兵士たちに声をかける。
(メルルーシェはアルスベルを慕っているんじゃないのか?)
メルルーシェとアルスベルは婚約していない。混乱しつつも、胸が軽くなっていくような錯覚に陥る。大型魔兵器が近付いてる音が一層大きくなっていた。
「一緒に住んでいなかったのか?」
「まさか!薬屋と兵舎を行き来して寝泊りする生活だったもの」
「兵舎で寝泊りだって?何だってそんなことを」
狭くて汚い上に最低限の布しかないような場所だ。身体を鍛えてまでそんな場所に寝泊りすることを選んだのか。
「貴方を見つけるためよ、ラミスカ」
「…っ」
真っ直ぐなメルルーシェの瞳に、胸の内から焼かれていくような熱が広がった。