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ニアハは聖女の愛を知る  作者: 森メメ
3章 わかたれた道
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出兵




「おいニアハ、今日は彼女は一緒じゃないのか?」


 地面に屈みこんだまま膝上に肘を置いてこちらを睨みつけるのは、同じ隊の訓練兵だった。


 別の隊にもかかわらずラミスカに付いて回るリメイのことを“彼女”と揶揄しているのだろう。彼の名前は覚えていなかったが、いつもやたらと突っかかってくる暇な奴だ。


「ラミスカだ」


 周りで小さく笑う声が聞こえたが、名前を訂正して横を通り過ぎる。


 ラミスカは実技で最優秀の成績を収めている。面と向かって挑んでくる者は殆どいなくなったが、それでもまだ自分に自信のある一部の訓練兵の中にはラミスカに食って掛かる者もいた。


「ラミスカ、ラミスカ。

いつも名前の訂正だけは欠かさないなニアハ」


 ラミスカにとってみれば、まだ幼い彼らは家で飼っていた鶏のルーのようなものだ。ルーも雛の頃は声を荒げ、よくラミスカの指を啄んだものだった。火事で死んでしまったが。


「メルルーシェの付けた名だ。ちゃんと覚えろ」


 ラミスカが一睨みすると、一瞬たじろいだ訓練兵が隣の訓練兵に耳打ちする。


「メルルーシェって誰だよ」


「俺が知るかよ」


 小声で交わされる会話を背に学長室へと足を運ぶ。



 今回呼ばれているのは、候補兵として実地へ向かう時期が迫っているからだろう。

 ラミスカは全ての実技試験に既に合格している。国内の状況を考えれば、実地へ送られる時期が多少早まっても驚くことはない。


 ケールリンへと配属されることは決まっていても、どの部隊に配属されるのか詳細は聞かされていないままで、ハーラージスからの接触もなく、時折現れるカシムとエジークが遠くから様子を伺うばかりだった。



 訓練兵は訓練学校を卒業した後、軍に入隊すると候補兵となる。


 ベルへザードの訓練兵は厳密には予備候補兵という立場で、有事の際には戦争に駆り出される。長い間続いた戦争の最中には、成人していれば当たり前のように戦場に駆り出されるものだったが今は違う。3年の兵役を終えれば軍に入隊するかどうかは自分で選ぶことが出来る。残念なことに自分には選択肢はないが。


 ここに来てもうすぐ1年経つ。


 廊下を歩きながら窓の外を眺め、エッダリーの景色を思い出して懐旧の情に駆られる。

 薬屋の独特の青臭い匂いや、隣の製材所の木材を切る煩い音、芳しい香りの料理が並ぶ家の食卓。そして仄かに甘い香りのするメルルーシェにもたれながら共に本を読む時間。


 自分にとって故郷と感じられる場所ができるとは想像もしていなかった。



 学長室が近付くと、入り口に数名の護衛らしき兵士が待機しているのが見えた。来客があったのか、または最中か。


 両脇に控える仮面魔具を装着した兵士を無視して学長室の扉を叩く。



「ラミスカ・ゼスだ」


「入りなさい」


 学長の甲高い声が中から聞こえたことを確認して扉を開ける。


「ゼス訓練兵、そちらに控えなさい」


 部屋にはカシムとエジークが立っていた。カシムは水色の髪を後ろに流しており、エジークは体格が良く立ち姿が特徴的なため、ふたりともすぐに判別することができる。


 中央に座っていた見知らぬ男が立ち上がってラミスカに向き直る。


「こちらはダリ魔法連隊長」


 前線の魔法連隊を束ねる上位層の階級だ。二文字の姓はベルヘザードでは珍しい、ダテナン人によくある命名規則だった。


 仮面魔具が顔全体を覆っているせいで、暗色の髪しか判別することが出来ないその男は丁重な一礼を見せる。


 ラミスカも額、胸に順に手を当てて礼を返す。


「お久しぶりです。

ミュレアン・ダリと申します」


 男が仮面に手をかけると、仮面が折りたたまれるように上に広がっていき、男の浅黒い肌と整った口元が顕になった。北の関所でハーラージス・ゾエフの元までの案内をした男だ。


 この男は混血なのだろう。

 ダテナン民族は氏族によって二文字の姓を持つ。ラミスカに与えられた姓もダテナン人であることが分かるようにつけられている。ニアハだった頃は知らなかったが、エッダリーで本を読む内に得た知識だった。


 仮面が完全に取り払われると、その男ミュレアンは黄金色の瞳を細めた。


「随分体格に恵まれましたね。良い事だ」


「お褒めに預かり光栄です」


 ミュレアンがラミスカの言葉に少し目を丸めて笑った。


「礼儀を教わったようですね」


 カシムの口元がぷっと吹き出したのを見て睨みつけると、奥に座る学長が咳払いをして口を開いた。


「さて、ゼス訓練兵。

君は全ての実技試験に合格し、優秀な成績を収めている。ゾエフ第6師団長もお喜びだろう」


 学長がちらり、とミュレアンを見て続ける。


「今回首都からダリ魔法連隊長がいらっしゃったのは、他でもない君のためだ。

この訓練学校に編入という形で入った君が、ここまで成績を伸ばしたことは驚きだった」


 話が長引きそうな空気を感じたのか、ミュレアンが流れるように話の主導権を握った。


「えぇ、このオクルの訓練学校は大変素晴らしい。学長の方針が常に世情に沿っている結果でしょう。今は厳しい時期ですから少しの兵力も貴重だ」


 気を良くしたのか学長はミュレアンの言葉に頷いている。


「そこで、君は全課程の修了を待たず私と共にケールリンに向かうことになった。

だがその前に必要な準備がある。三日の内に迎えに来きますから、それまでにここを立つ準備をしなさい」



 予想していた内容に恭順の意を示す。



 学長とミュレアンが今後の予定について打ち合わせている間、ぼんやりとリメイの顔が浮かんだ。自分が居なくなれば、隊からの風当たりが強くなるのではないか。



———ある日の会話が頭を過った。


『君は何故か自分のことを示さないよね』


 軽食を食べながら隣に座るリメイの話に相槌を打っていると、突然リメイが訳のわからないことを言い出した。疑問の意味が分からず、聞き返すとリメイは首を捻った。


『一人称の事さ。普通は僕とか俺、私とか使うだろう?

君が自分のことを指した言葉を聞いたことがないから不思議だったんだ』


 気にしたこともなかった。そんなことに気付くリメイは変わっている。


『それはおかしいことか?』


『自分を主張するときに不便じゃないのかなって、ただそれだけだよ』


 そう言ってリメイが笑った。



 考えてみるとリメイの言う通りだった。ラミスカは無意識に自分を指す言葉を避けていた。理由は自分でも分からなかったが、意見を告げるときも、何か答えがあるときもはぐらかすことが多かった。


 しばらく黙り込んでいるとリメイが口を開いた。


『君と僕、どちらが体力で優れているだろう?』


『……私だ』


 なんとなくメルルーシェが慕うアルスベルのことを思い出して、同じように一人称を使ってみるとリメイが吹き出した。


『君には…ふふ…思ったより“私”は……ちょっと似合わないね』


 軽食が胸に詰まったのか、咳き込んで笑いを抑えている。


『……俺だ。もう薬草採りに付き合わないぞ』


 少しむっとして言い返すと、我慢できなかったのかリメイがからからと笑い声を上げて目元を拭った。


『ごめんごめん。……少し安心したよ』


 リメイはラミスカにとって初めて友人と呼べる存在だった。リメイの瞳に映っているのは、軽蔑でも恐れでもなく、ラミスカへの親しみだった。———




 実際にここを離れることを言い渡されると、想像していたよりもリメイのことが気にかかるのだった。



****



 兵舎のほぼ空っぽだった自室を後にし、魔法訓練所の方向に少し目を向ける。



「さぁいきましょうか、ゼス候補兵。仲間にお別れは言えましたか?」


 仮面を装着した小綺麗な身なりのミュレアンが馬車から身体を出した。


 結局リメイになんと声をかければいいのか分からなかったラミスカは、よくリメイにちょっかいをかけていた訓練兵の群れを脅して彼の安全を誓わせると、リメイの部屋を探して入り口に薬草束をかけておいた。


「仲間は居ません」


 数点の装備を積み込み準備を終えたラミスカが一息つくと、遠くに淡い緑色が見える。気の所為かと目を凝らすが、気の所為ではなかった。


「ラミスカ~~~~!

僕のことなら心配いらないからね~~~」


 大きな声を上げながらリメイがこちらに走ってくる。リメイを呼び戻そうとする教官の怒号も被さるように聞こえる。


「君に教えてもらったとおり、自分で自分の身を守るよ!

僕もケールリンを希望するから、先に待ってて」


 途中で教官にけしかけられた隊の仲間に捕まったリメイが、頭を叩かれながら引き摺られていく。



 仮面を口上まで上げたミュレアンがくすっと笑った。


「いい友人がいるじゃないですか」


 どうにも気恥ずかしくて、黙ったままそそくさと馬車に乗り込んだ。





 馬車が走り出すとミュレアンが口を開いた。


「まずはウダルに向かいます」


 隣町ウダルには捕虜として捉えられていたダテナン人が多く定住し、その殆どがケールリンの採掘場へと働きに駆り出されている。


「君と私にはケールリンへの出兵以外に、特別な任が与えられています」


 ミュレアンが現れた事で、少しずつハーラージスの思惑が読めてきていた。ミュレアンの言葉で予感が確信に変わる。


 ミュレアンも自分も他民族の血を体に流す身であり、褐色の肌をしている。ミュレアンは混血にしては異例の階級だ。ダテナン人の暴動を抑えるために、抜擢されているのだろう。


「私と君は、暴動を起こしているダテナン人の指揮官を探し出すためにここに遣わされました。ロズネル公国と手を結んでいる指揮官は巧妙に姿を隠しています。奴を捕らえられれば君の役目は終わりです。そう、晴れて自由の身です」


 ミュレアンが胸元から丸まった羊皮紙を取り出した。

 目を通すと任務内容こそ伏せられているものの、ミュレアンの言うとおり、4名の兵士を重体にした罪に問わないという文言と共にハーラージスの署名が書かれていた。


「残念ながら先程のご友人には会えないでしょう。これから忙しくなります」


 仮面を外したミュレアンが窓の外に目をやった。






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