手の内
しばらく走っていると、大きな門を構える関所が見えてきた。馬車や荷馬車が列になって止まって何やらやり取りを行っている。
門のすぐ隣に大きな建造物があり、周りをベルへザード軍人が行き交っている。臨時的な訓練所も併設されているようで、剣や槍を振るう兵士たちの姿が見える。
大きな建造物の前まで歩いてきたラミスカに、守衛が口を開く。
「止まれ、何者だ」
体格の良い兵士たちは怪訝な顔で、頭の先から足の先までを舐めまわすようにラミスカを見た。外で訓練を行っていた兵士たちもだが、彼らは仮面魔具を装着していない。
「第6師団の師団長、ハーラージス・ゾエフに用がある」
ラミスカがそう告げると、数人が困惑したように顔を見合わせた。
「何故お前のようなガキがゾエフ師団長の来訪を知っているんだ?」
ひとりがラミスカを睨めつける。
「ベルへザード人かも分かったもんじゃない」
どの民族の血を引いているかが分からない肌の色であることは事実だが、ラミスカの瞳の色はベルへザード人特有のものだとひと目で分かる上に、衣服や言語からこの国に所属していることは明確である。
差別的な言動に顔色を変えることもなく、ラミスカはもう一度口を開いた。
「ハーラージス・ゾエフに会いたい」
守衛たちはぼそぼそと、ラミスカの扱いについて身元の確認が取れるまで牢に入れる必要があるか、などと会話を交わしながらラミスカに近付く。
訓練を終えたばかりらしい、引き締まった上半身の男たちが背後からがやがやと声を上げながらやって来た。
「なんでニアハがこんなところに」
兵士の内のひとりがラミスカを見て呟く。
「ほら、言ったとおりだろ」
ラミスカのことを話題にしていたらしく、数人が小声で小突き合っている。
兵士達はラミスカの目当ての建物に姿を消していくが、ラミスカは自分をニアハと呼んだ男の背中に訂正を入れた。
「ニアハじゃない、ラミスカだ」
男は振り返ると面白がるように眉を上げてラミスカを見た。
「そうか、そりゃ悪かった。
ニアハなんて失礼だったよな。
お前の娼婦の母親が悲しんじまう」
周りの兵士たちが笑いながら背中を叩いて扉を潜ろうとする。
「娼婦じゃない」
ラミスカの肩を抑えようと近寄って来ていた守衛数人を掻い潜って、建物に入ろうとしていた男の腰帯を掴むと後ろに引いて地面に転がした。
「くそっ何しやがる」
男が顔を赤らめてラミスカに殴りかかろうとし、入りかけていた他の上裸の兵士も、守衛もラミスカを取り押さえるべく一気に動いた。
自分の首根っこを掴もうとした守衛の軸足を引っ掛けて、流れるようにもうひとりの守衛にぶつける。
上裸の兵士の拳を右脚を上げて受けると、兵士があまりの硬さに腕を抱えて腰を折った。それを見た兵士が数人駆けつけてきてラミスカの周りを包囲する。
(兵士は攻撃して傷付けない。勝手に互いがぶつかっているだけ)
「はやくハーラージス・ゾエフを呼べ。
入隊の誘いの返事に来たラミスカだ」
ラミスカは足元に仰向けに転がる男の喉元に、硬い鉱石でできた右脚の先を突きつけると、周りの兵士たちが困惑した様子で距離を詰めるか迷いを見せた。
「おいおい、冗談も通じないのか。勘弁してくれ」
地面に転がった男が乾いた笑い声をあげる。
ラミスカをニアハと、ラミスカの母を娼婦と揶揄し侮ったその男に対して冷たい視線を送る。
「どこからが冗談だ?お前のその顔か?」
足先に少し体重をかけると、男は押し黙った。
突然奥から通る声が響いた。
「エッダリーのラミスカ、中へ入れ」
体勢を立て直した守衛や兵士たちが戸惑いがちにラミスカを見やる。
「触れるな」
肩を掴もうとした守衛を睨み付けて、建物の扉へと足を向ける。
兵士たちが道を開けると、明らかに身なりの良い男が腕を額に当ててラミスカへと会釈をする。
浅黒い肌の色をしたその男が「ゾエフ師団長がお待ちです」と告げる。
明らかにこの場で浮き立つその男の肌と、身なりを眺めながら、自分も同じような異物感を感じられているのだ、となんとなく理解する。
「外でのことは不問にしてもらうように私から口添えしましょう。同族のよしみで」
歩き出してしばらくすると、少し前を歩く男が囁くように呟いた。
「何も手を出していない。あいつらが勝手に転んだだけだ」
ラミスカのぶっきらぼうな言葉に答えることなく、目的の部屋にたどり着いたのか、男は部屋の前で視線を落とした。
「お連れしました」
短い間の後に「入れ」というくぐもった声が聞こえた。
扉を開けると、机に視線を向けたままのハーラージスがいた。簡易的な部屋なのか、家具は少なく豪華な装飾品も施されていない。
両脇に並び立つ兵士たちは仮面魔具を身に付けており、視線をどこに向けているのかひと目では測りかねる。
「母親は一緒ではないのか?」
額の白い鉱石を揺らしながらハーラージスが顔を上げる。
「母親じゃない。血は繋がっていない。
彼女には幼い頃に拾われた」
「なるほど、似つかんわけだ。
では許可など要らん、と言う訳か」
「そうだ」
以前のハーラージスの話しぶりだと、未成年だろうと純ベルへザード人ではないラミスカには関係ないと、そうメルルーシェに告げていた。
「残念だが、あの癒し手との血の繋がりの有無だけは確認させてもらう。身元の確認が済んでお前の言うとおりであれば問題は無い」
「確認はどう取る?
メルルーシェは体調を崩して寝込んでいる。無理はさせられない」
ハーラージスは口元に笑みを浮かべながら卓上で手を組んだ。
「随分と母親想いだな……。まぁいい。ではこれにお前の血を入れて行け」
ハーラージスが、部屋までの案内を買って出た浅黒い肌の男に小瓶を手渡す。男はラミスカに近付くと、手に乗せた先に細い針が刺さった小瓶を見せるように回した。
「よろしければ私の方で採血致しましょう」
ラミスカは男に言われるがままに手を差し出す。
手首に痛みが走り、瓶が赤黒く満たされていくのが見える。
「血は紋を現す。あの癒し手がお前と無関係だと証明すれば、投獄も免れよう」
立ち上がったハーラージスが、窓の外を眺めながらベルへザード人らしい骨格に影を落とす。
「無関係でなければお前が出立した後に投獄するまでだ」
「話が違う。自分一人の入隊で不問になると話していたはずだ」
「あぁ、そうだったか」
とぼけたように鼻で笑うハーラージスを、暗い藍色の瞳が捕らえる。
「約束を違えてメルルーシェを投獄しようものなら、お前を、国ごと滅ぼしてやる」
ラミスカの底冷えするような声に、部屋の空気が凍るような、上官への無礼に、今にも待機している兵士たちが動き出しそうな緊迫した空気が満ちる。
「約束は守ろう」
ハーラージスの変わらぬ声音に、兵士たちの殺気が幾らか和らぐ。
「明日、日の出と共に彼らと西へ向かうがいい。
オクルの訓練学校で3年過ごした後、各地方の実地へ配属される」
ハーラージスがラミスカに向かってゆっくりと歩み、身体を確認するように周りを回る。
「お前の配属先はもう既に決まっている。3年もお前には必要ないだろう。1年過ごしたらケールリンへ配属する。学校の手配も済ませておく。
さぁ、部屋から出ていけ。
オクルへの出発は明日の日の出だ」
そう告げてラミスカの肩に手をのせた。
触るな、と手を振り払おうとしたつもりが、もやがかかったように視界がかすみ、足元から崩れ落ちる。
誰かに身体を支えられた感触を遠くで感じ、ラミスカは意識を手放した。
4月末まで少し更新ペースが2日に1回になりそうです。
待っていただいている読者の方にはご迷惑をおかけしますが、今後もよろしくお願いします。
PV数の記念SSもそのうち上げていこうと思います。