第九話
「レオノーラァァア!」
校門のところで突っ立っていると、横からドフッと衝撃が来た。
突然のことに淑女らしからぬ声をあげそうになり、かろうじて堪える。
今度はなによ、と視線を向けると、腰の辺りに柔らかそうな栗色の毛がまとわりついていた。それが結構な力でお腹の辺りを締め付けてくる。
再び声が洩れそうになり、引き剥がそうとしたところで、別の声が割って入った。
「ミスティ、ストップ! せっかく登校してきたってのに、それじゃあまたベッドに逆戻りになるだろ」
凛々しい声に顔を上げると、紫紺の髪をポニーテールに結い上げた、異国情緒あふれる美人が苦笑まじりに近づいて来るところだった。
彼女の声で我に返ったのか、腰にしがみついていた力が弱まる。
ほっとしたところで、栗色の毛が離れていった。
「あ、ごめん。嬉しくてつい……」
大丈夫? と見上げてくる少女と、先ほど助け船を出してくれた女生徒のことはよく知っていた。
どちらもレオノーラの友人で、栗色の毛の子がミスティ、ポニーテールの彼女がレベッカだ。
アカデミーでは原則様づけで呼び合うことになっているが、仲のいい子たちはこんな風に呼び捨てにしたり、愛称で呼び合ったりする。
クローディアは二人について、さっとおさらいしてから声をかけた。
「ごきげんよう、ミスティ、レベッカ。私なら大丈夫よ。あれくらい、なんてことないわ」
普段、彼女らとどんな会話をしていたかまではさすがに分からないが、レオノーラが言いそうなことを口にしてみる。
すると、ミスティがぽかんとした顔をした。動揺したように、服の袖を引っ張ってくる。
「レオノーラ、まだ熱あるの? なんかいつもと違うんだけど」
傍まで来たレベッカまでもが額に手を当ててきた。
「熱はないみたいだな。宗旨変えか? 普通に言い返すのに飽きて、言葉で距離を取ろうとかそういう……?」
「えっ? ちが……」
そんなつもりはなかったのだが、どうやら反応を間違えたらしい。ミスティがくりくりした瞳を潤ませて、縋りついてきた。
「うえッ!? レオノーラ、まさか友達解消とか言わないよね!? そんなんならいつもみたいに『天に召されるところだったでしょ!?』とか言いながら、ツンてそっぽ向かれる方がよっぽどマシだよう」
私、なにか怒らせるようなことした? と取り乱すミスティを見て、クローディアは焦った。
安心させようとしてかけた言葉だったのに、泣かれるとは思わなかった。それに、素っ気なくされた方がマシってどういうことだろう。そういう趣味でもあるのかなと思ったところで、レベッカの手が肩に置かれた。
「良かったじゃないか。新しい試み大成功だな。安心させるようなフリをして、よそよそしくするなんて……ミスティ、カンペキ焦ってるぞ」
どこで覚えたんだと、しきりに感心されてしまう。
だからそうじゃないんだけど――と思いはしたものの、これはどう言い繕っても伝わらない気がした。
(平気って伝えただけなのに、どうしてそれがよそよそしさに繋がるのかしら……)
クローディアは先ほど校舎へ入っていったイレーネを思い浮かべた。
ツンケンされても迷惑なだけだと思うのだけれど、ふたりの反応を見る限り、どうもそうではないらしい。
(これは……先が思いやられるわね)
レオノーラを演じきる自信は少なからずあったものの、出だしからつまずいてしまい、吐息が洩れそうになる。
ひとまず落ち着きを取り戻したミスティを促し、教室へと向かった。
クローディアは、同じように校舎へ向かう周りの生徒を横目で見ながら、今日一日のことを考え、急に不安でいっぱいになった。
***
クローディアが頭を悩ます一方で、同じように頭を抱える人物がここにもいた。
この日、つつがなく授業を終えたイレーネは、自邸へと戻って来ていた。
一日の汚れを落とし、肌触りのいい部屋着に着替える。
濡れた髪をバスタオルで押さえながら自室に入ると、机の上に置いてある封筒が目に入った。
ラベンダー色の封筒にはクローディアの名前が書いてある。
「……私ともあろうものが、たかが封筒ひとつ渡すのにこうも手こずるなんて」
思わずため息が零れそうになり、タオルで口許を覆った。
それはもちろん、恋文などではなく、今週末、自邸で執り行うプレ夜会の招待状だった。
アカデミーに通っている令息令嬢は、父母が催す夜会に合わせ、プレ夜会を開くことも珍しくなかった。
本番が始まる三時間ほど前から集まりはじめ、大人たちが来場する頃には解散する。
中にはそのまま残って夜会にまで顔を出し、招待された客人たちに挨拶をしてから帰る生徒もいた。
要はデビュー前の社会見学みたいなものだ。
イレーネは机から封筒をつまみあげると、椅子を引いて腰かけた。
もてあますように手の中で遊ばせる。もういちど宛名に書かれた名前を見て、うーんと悩ましい声を上げた。