第六話
ハンマーで殴られたようなショックに襲われ、思考がクリアになる。
目の前がチカチカし、同時に、いつもエイメリックの傍に控えている護衛の姿を思い浮かべた。
命令とあれば、彼なら断らない気もする。
一瞬、妙な想像をしかけ、頭に浮かんだものを振り払った。
人の体で何するつもりよ――そう詰め寄ろうとして、喉元まで出かけた言葉を飲み下した。
ぴたりと寄り添うエイメリックから、冷えた空気が漂ってくる。衣服越しでも感じられ、接した箇所がピリリと痛んだ。
「まさか。もしこの体に手を出そうなんてヤツがいたら、そいつを再起不能にしてやる」
剣呑な眼差しで零すのを聞き、ホッとする。どうやらそんなつもりはなさそうだ。
でも……だったらどうするつもりだろう。疑問が顔に出ていたのか、彼が極上の笑みを浮かべた。
「遠く、オレスティナの大陸には、性別を変える技術があるそうだよ」
クローディアは最初、なにを言われているのか理解できなかった。
きょとんと見つめる先で、エイメリックの黒い瞳が妖しく光る。
「もちろん、ディディも一緒に来てくれるだろう?」
「一緒にって……」
甘く囁かれた言葉が、じわじわと浸透してくる。
意味を悟ったクローディアは、自分の体が改造されるところを想像して、げんなりした。
誰かに体を許すのも嫌だが、男になるのも御免蒙りたい。
大体、いくら改造したところで、顔立ちまで変わるわけではないだろう。こうして肩を抱かれている今だって抵抗があるのに、自分と夜を共にするなど、考えたくもなかった。
(トラウマにでもなったらどうしてくれるのよ)
そもそも――とクローディアは嘆息した。
ついて行ったところで一緒になれるわけではないのだ。
交わる血が近いほど、生まれてくる子供は障害を抱えやすい。奇形であったり、内臓に疾患を抱えていたり……。そのため、国でも家族間での婚姻は認めていなかった。そうでなくても、本能的な忌避感がある。
いくら中身がエイメリックとはいえ、体だけを見ればふたりは姉妹だ。いや、体を改造するのだから兄妹になるのか? いずれにせよ、倫理の壁を越えるのは難しいように感じた。
この人、平気なのかしら――そこまで考え、ふと引っかかりを覚えた。
伊達に二年もエイメリックの妻をやってない。婚約期間やそれ以外まで含めると、彼との付き合いは結構長い。
冗談にしては笑えないが、本気で言っているとも思えなかった。
いったい何を考えてこんなことを言い出したのだろう。彼の狙いがどこにあるのか、さっぱり分からなかった。
「ふ……、ふふふ」
黙ったまま考え込んでいると、正面から笑う声が聞こえてきた。
顔を上げると、レオノーラがどす黒いオーラを立ち昇らせている。
彼女はまなじりを吊り上げると、きっと睨みつけてきた。
「そんなことさせないわ」
言うや否や、ぱちんと指を鳴らす。刹那、クローディアたちのいるソファの周りで水沫が上がった。
銀色に輝く無数の粒が、うねりながらその形を変えていく。てらりとした表面に周囲の物を映し出し、顔と思しき部分に目や鼻といったでこぼこを形成しながら、瞬時に人の形を取った。
レオノーラによって生み出された白銀の兵士たちは、腕から先を鋭利に尖らせ、その先端をこちらへと向けてくる。
「――水銀宝珠」
「やれやれ、水晶宮から持ち出してきたのか?」
水銀宝珠は魔力の測定にも用いられる銀色の粒で、込めた魔力の量により、好きに形状を変えられる。
普段は、魔法を研究する者たちが集まる水晶宮にあり、採掘から流通に至るまで、国で厳重に管理されている。
持ち出すには所定の手続きが必要だった。
これがここにあるということは、この二週間、レオノーラもただ待っていただけではなかったということだ。
緊張から、こくりと喉が鳴る。
体を強張らせたクローディアの傍らで、エイメリックは表情一つ変えることなく、突きつけられた先端を指でついと押した。
「……わかった。ではこうしよう。このままいけば、お前の言う通り、遠からず俺とお前は婚姻を結ぶことになる」
クローディアは、はっとした。
ここにきて、ようやく彼の言おうとしていることが分かった。
「リック……」
遮ろうとして彼の袖を引くと、肩に置かれた手に力が籠められる。続けようとしていたはずの言葉が喉の奥へと引っ込んだ。
クローディアを黙らせたエイメリックは、レオノーラに視線を据えると、凛と声を張った。
「もし、結婚式までに元の体に戻れなければ、お前のものになってやる。ただし、戻ることができたら、その時はスッパリ諦めてもらう」
悪い話じゃないだろう? と尋ねたエイメリックに対し、すぐさまレオノーラが首を振った。
「……このまま閉じ込めておくことも出来ますけど?」
その言葉に呼応するように、周りにいる兵士たちの包囲が狭まる。先程よりもぐっと近くなった切っ先を無視してエイメリックが言ってのけた。
「その場合、お前は俺の骸を傍に置くことになるだろうな」
べっと赤い舌を出し、その根元を軽く噛んでみせる。
この人の場合、やるとなったら躊躇いなく噛み切りそうだ。
(だからそれ、私の体なんだけど――)
色んな意味でハラハラしながら事の成り行きを見守るクローディアの目の前で、レオノーラが腕を組んだ。
少し考える素振りを見せた後、ぱちんと指を鳴らす。
途端、クローディアたちを取り囲んでいた水銀兵士が一瞬にして崩れ去った。
「その言葉に二言はありませんわね」
確かめるようにそう言うと、レオノーラがもう一度指を鳴らした。
今度は金の粒子が宙を漂い、一か所に集まったかと思うと、一枚の紙と羽ペンが彼女の手元に出現した。
レオノーラは見やすいように、テーブルの上でくるりと用紙を回転させると、羽ペンと共にエイメリックへと差し出す。
「こちらにサインしていただけますね?」
エイメリックがソファから身を乗り出し、書類に目を通した。
不安でクローディアの胸が波立つ。
茶会のとき、エイメリックと結婚するのを変わって欲しいと思ったのは事実だ。自分よりレオノーラのほうが相応しいのではないかと思ったことも。しかし、これは何か違うような気がした。
「リック、だめ……」
止めようとしたクローディアが手を伸ばすより早く、エイメリックが素早くペンを走らせた。サインし終えると、紙と羽ペンは現れた時と同じように、金の粒子となって空中に霧散する。
「これで成立ですわね」
約束はちゃんと守ってもらいます、というレオノーラの言葉が、クローディアの耳の奥底で残響した。