第五話
――レオノーラの体に入り込んでからというもの、こんな気持ちになってばかりだ。
クローディアとエイメリックは王太子宮に着いてすぐ、彼の自室へ通された。
この部屋には何度か入ったことがある。
結婚してからは別の宮へ移ったため、それほど多く訪れたわけでもなかったが、それでも、この場を飾る調度品には見覚えがあった。
当時の初々しい気持ちを思い出し、懐かしさが込み上げる。
しかし、感慨に浸っている暇はなかった。
すぐさま人払いがなされ、クローディアとエイメリック、それからこの部屋の主である王太子の三人だけとなる。
ベルベット素材の青いソファ。そこに座るよう促され、エイメリックと並んで腰を下ろす。光沢のある表面に触れながら、どう話を切り出そうかと考えた。
だが、その必要は全くなかった。というのも――
「エイメリック様、体調はいかがです? わたくしの体でご不便をおかけしました」
記憶よりもわずかに若い王太子が目の前で片膝をつき、気遣わしげに手を重ねてくる。
憂いを帯びたその頬はやや上気し、翡翠の瞳には睫毛の影が落ちていた。
その発言から、中にいるのはレオノーラだと確信する。けれど――
とつぜん眩暈に襲われた。クローディアの視界がくらりと揺れる。
あの、エイメリックが、女性のような物腰と言葉遣いで、自分の手を握っている。
表情にもどこか可愛らしさがあり、よく知る夫との強烈な差異に、意識が遠退きそうになる。
自分の顔でアレコレされた時も大概だったが、これはその遥か上をいっていた。
受け入れがたいものを目にしたとき、震えが来るよりも先に思考が停止するのかと、目の前にあるものを映像として捉えながら、回らない頭でそんなことを考えた。
はっきり言って、見たくなかった。
微動だにしないクローディアを不思議に思ったのか、レオノーラが顔を上げた。
「エイメリック様?」
潤んだ瞳で見つめられ、心が拒否反応を示す。
もうやめて――! 声には出さずに叫んだ時、クククっと押し殺すような声が聞こえた。
首だけを動かし、横に座ったエイメリックを見る。彼は口許を手で覆い、肩を震わせていた。
「……なにがおかしいんですの?」
声のトーンを低くしたレオノーラが不愉快そうに眉をしかめる。すると、エイメリックが冷たく言い放った。
「いや、この二週間、なにを見ていたのかと思ってな」
楽しそうなのは顔だけで、レオノーラに向ける視線はやけに冷たい。
そこにある顔は確かにクローディアのものなのに、表情の作りがそう見せるのか、エイメリックにしか見えなかった。
「まさか……」
レオノーラが目を瞠る。
信じられないものを見る目つきで、クローディアとエイメリックを見比べた。
嘘でしょうと訊いてくる彼女の視線とかち合い、残念ながらと首を振る。
ようやく飲み込んだレオノーラは、弾かれたように、握っていたクローディアの手を払うと、その場にすっくと立ち上がった。
わなわなと震える彼女を尻目に、エイメリックが口角を持ち上げる。
「俺もディディも、一目でそうだと気づいたぞ」
実際には少し言葉を交わしたから気づけたのであって、一目でというにはいささか語弊がある。とはいえ、未だ平常心を取り戻せていないクローディアは、エイメリックに肩を引き寄せられてもされるがままになっていた。こめかみに何か当たった感触がしたが、拒む気も起きない。
自分の声で紡がれる言葉が、やたらと近くで聞こえた。
「好きだなんだとほざいてみたところで、お前の俺に対する気持ちなど、所詮はその程度ということだ」
クローディアはその声に耳を傾けながら、ぼんやりと思った。
自分たちは確か、入れ替わりの件について話しに来たのではなかったか。なぜこんな話になっているのだろう。
疑問に思ったのも束の間、レオノーラがくるりと背を向けた。
テーブルを挟んだ正面のソファに、どかりと腰を下ろす。
彼女は尊大に足を組むと、つんと顎を上向けた。
「では、このままいけば、私とエイメリック様は結ばれるというわけね」
お姉様の体というのが気にくわないけど……と、不満も露わにそう零す。
どうでもいいけど、いい加減、その女言葉をやめてくれないかしら。
そう思った矢先、エイメリックが事も無げに言い切った。
「残念ながら、そうはならないだろうな」
訝しむレオノーラに、もう忘れたのかとエイメリックが続ける。
「お前が言ったんだろう? 嫌なら他所で子供でも作って逃げればいいと」
これにはレオノーラだけでなく、クローディアも反応した。間近にある自分の顔をまじまじと見つめる。
「え? あなた、誰かに抱かれるつもりなの?」