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第四話

 日が進むにつれ、クローディアの容体は悪化していった。

 熱を出した初日ですらキツイと感じていたのに、あれはまだ、ほんの序の口にすぎなかった。

 悪寒はするのに汗が止まらず、熱に浮かされ朦朧とする。脈は速くなり、呼吸も荒くなった。

 入れ代わり立ち代わり、誰かが様子を見に来ていたようだったけれど、クローディアにはそれが誰だか判然としなかった。

 途切れ途切れに意識を取り戻しては、眠ることを繰り返す。

 次第に時間の感覚が曖昧になっていき、ついには寝込んでから何日経ったのかすら、わからなくなっていた。


 継ぎはぎだらけの記憶の中で、はっきり覚えているのは夜空に浮かんだ丸い月だ。

 窓越しに見えた大きな月は、まるで元々一つだったとでも言うように、ぴったり重なり合っていた。

 その時の状態が一番ひどく、鼓動は強まり、頭の奥では鐘でも鳴らされているように、ガンガンと痛んだ。

 これ以上は耐えられない――そう思った翌日、徐々に痛みが引いていき、身体中に籠もった熱も次第に下がっていった。


 ようやくベッドから起き上がれるようになったクローディアは、久し振りに床に足をつけた。その際、サイドボードに置かれたカレンダーが、ふと視界に入る。

 自分が寝込んでいた間、誰かが代わりに印をつけてくれていたらしい。

 日付を確認すると、最後にバツ印をつけた日から二週間が経っていた。



 ***



 翌々日――

 クローディアとエイメリックは面会に相応しいドレスに着替えると、邸まで迎えに来た王宮の馬車に乗り込んでいた。

 正面に座ったエイメリックが足を組み、宙に浮いた方のハイヒールをソワソワとさせている。

 理由は勿論、王太子に会うからではない。


「――やっぱり、もう少し容体が落ち着いてからでも良かったんじゃないのか?」


 渋面を作ったまま、未だ得心が行っていない様子でぼそりと零す。クローディアは、やや気詰まりな空気を押しやるように軽く息を吐いた。


「もう、それはすでに納得した話でしょう?」


 昨日の朝、登校前のエイメリックを捕まえたクローディアは、「体調がよくなったので会いに行けると、王太子に伝えて欲しい」と、お願いしていた。

 案の定、エイメリックはいい顔をしなかった。

 起き上がれるようになったばかりなのに、と難色を示す。

 そこで、あらかじめ用意していた説明をした。


『明日は休校でしょう? 会いに行くのにちょうどいいかと思って。それに、大事を取って次のお休みまで待っていたら、またぶり返さないとも限らないし……』


 なんといってもこの体だ。いつまた容体が悪化するとも限らない。

 そう言うと、彼は渋々ながらも頷いてくれた。


「……大体、あれから二週間も経っているのよ。これ以上、理由もなく延ばすわけにはいかないわ」


 王太子から手紙が届いたことは、耳の早い者ならすでに知っているはず。なのに、妹の体調が回復しても顔を見せないとなれば、あらぬ誤解を呼んでしまう。

 それが元で不仲の噂が流れては、後々面倒なことになるのは目に見えていた。

 何より、クローディアの妹であるレオノーラまで呼び出したのは、この訳の分からない入れ替わりについて話がしたいからだろう。

 クローディアとしても、王太子の中身が誰なのか、きちんと確認しておきたかった。


「……理由がないわけでもないけどね」


 なおもぼやくエイメリックを軽く睨みつける。すると、彼がひょいと肩を竦めた。


「そういえば、あなたの体の持ち主は、私の体の中身がリックだってこと、気づいていないのよね?」

「うん」


 この二週間、エイメリックはずっとクローディアとして登校していた。

 その間、王太子の中の人――十中八九レオノーラだとは思うが、彼女には、クローディアの中身がエイメリックだとは気づかれていないらしい。

 それが本当なら、現在レオノーラの中身はエイメリックだと勘違いしていても不思議はなかった。

 だとすれば、呼び出したいのはクローディアではなく、レオノーラだろう。


 とはいえ、直接レオノーラを呼び出さないのは、それが自然だからだ。

 いくら婚約者の妹とはいえ、当の婚約者であるクローディアを伴わずに呼び出せば、これもまた誤解を招く恐れがある。

 ただでさえ訳の分からない状況なのに、好んで波風立てようとは思わないのではないか。

 だからこそ、クローディアに妹を連れてくるよう頼んだのだろう。それなら、家族ともども仲良くしようとしているぐらいにしか思われなくて済む。


 ――そう、あまりに自然だから、クローディアは病み上がりの青い顔をやや俯けた。


「私より、あなたのほうが心配だわ」


 クローディアが小さな声でそう言うと、ソワソワさせていたエイメリックの足がぴたりと止まった。


「どうやら命を狙われたことを忘れたわけではないようで、安心したよ」


 クローディアはなんともいえない気持ちでエイメリックを見た。

 忘れようにも忘れられるはずがない。いっそのこと、なにかの冗談だと笑い飛ばして欲しかった。

 レオノーラの手から落ちた白い包みと、口の端に滲んだ赤い血は、未だに脳裏にこびりついている。

 そういえば、あのとき、クローディアは妹と入れ替わることを神に願った。もしかしてそれが原因で、今このような状況になっているのだろうか。


(そんなことあるわけないか……)


 この国にも信仰は根付いているが、王太子妃教育が進むにつれ、政治に利用されているだけだということは理解していた。根底にあるモラルや思考を統一することは、人を理解するうえで役に立つし、御しやすくもなる。

 馬鹿げた考えを振り払うように頭を振ったとき、とつぜん目の前でぱちん、と音がした。

 顔を上げると、エイメリックが確かめるように指を鳴らしている。


「やっぱりダメか」


 彼はもう一度指を鳴らし、何も起こらないことを確認すると、どうしたものかと顎に手を当てた。


「中身が俺だから、あるいは、とも思ったんだけど」

「……やっぱり、使えないの?」


 訊くと、エイメリックが頷いた。

 彼は魔力を有していて、この二週間、クローディアが床に伏せっているあいだ、色々試してみたらしい。しかし、結果は芳しくなかったようだ。

 クローディアは茶会の時、とつぜん隣に現れた夫の姿を思い出した。短い距離なら飛ぶことの出来る彼は、あのとき魔力を用いて飛んできたのだろう。

 それに対し、クローディアは魔力を扱えない。レオノーラも同じだった。


「中身ではなく、体に依存するようだね。まあ、魔力を生み出す組織自体は精神ではなく体にあるわけだから、当たり前か」


 正確には、誰しも魔力を生み出す器官を持っている。

 しかし、“魔力持ち”と言われるためには、生み出す魔力の量が一定を越えなければならない。

 これは先天的に備わっているもので、後天的にどうこう出来るものではない。


「……ということは、当然、これから会う王太子は魔力を扱えるってことよね?」

「うん、まあそうだろうな」

「そうだろうなって……」


 会うことばかりに気がいっていて、そちらには全くの無頓着だった。

 中身がレオノーラだとまだ決まったわけではないが、仮にそうだったとして、一度……のみならず、何度か命を狙われたのだ。

 クローディアは、急に不安に駆られた。

 このまま会いに行っても大丈夫だろうか。エイメリックが言うように、もう少し落ち着いてからでもよかったのでは――。

 そんな不安を見透かしたように、エイメリックがそっとクローディアの手を取った。安心させるように手の甲を撫でる。


「まあ、危険があるとするなら俺だろうしね。さすがに自分の体を傷付けるような真似は……ああ、でもあいつ、自分で毒舐めてたな」


 思考がヤバい奴の考えは分からないからな、とか言っている。だが、そもそもそれをさせたのはエイメリックだ。


「あなたも似たようなものよ……って、いつまで手を握ってるつもり?」


 入れ替わってからほとんど寝込んでいたので、自分の顔がそこにある、という状況にはまだ慣れそうにもない。ぞわぞわしたものが背中を這い、手を引き戻そうとしたら、逆に強く引き寄せられた。座席から腰が浮き、危うくエイメリックへと倒れ込みそうになる。


「……ちょっと」


 非難の声を上げたら、にこやかな自分の顔がすぐそこにあった。


「これから危険な目に合うかもしれない私を心配して、慰めてくれるんでしょう?」


 何故そこで“私”――!?

 いきなりクローディアになったエイメリックに、思わず息が止まる。その隙をついて、エイメリックは掴んだままの手に指を絡ませ、爪の先まで滑らせたかと思うと、自然な動作で口づけようとする。自分の唇が触れそうになり、パニクったクローディアはとっさに振り払った。その際、「うやあっ!」という変な声が出る。

 取り戻した手を胸に抱き込み、元いた座席にへたり込む。心臓がバクバクいっているのは、この異様な光景に驚いたからに違いない。


「いいい、いい加減にして! それに何度も言うけど、この体は私ではなく、レオノーラなのよ!」


 鳥肌を立ててそう言うと、エイメリックが不服そうに唇を尖らせた。


「寝込んでたときは好きにやらせてくれたくせに」


 好きにと言われ、クローディアは青ざめた。

 覚えているのは最初の頃、額にキスをされたことだけだ。あのときは弱っていて、拒む気にもなれず、つい受け入れてしまった。

 それとは別に、他にも何かしたんだろうか……。覚えていないだけに不安になる。

 どう訊いたものか咄嗟には思いつかず、口をパクパクさせていると、馬車が止まった。御者が扉を開けてくれる。


「あら、もうついたのね」


 彼はそう言うと、さっさと先に降りてしまった。

 クローディアはなんとなく、言葉の裏に「もっと遊びたかった」という意図があるような気がして、頬を引きつらせた。いきなりクローディアになったのも、もうすぐ到着するのを見越したからだろう。


 まったく、この人は――


 気を取り直し、扉の縁に手をかけて降りようとする。すると、エイメリックが下から手を差し伸べてきた。

 クローディアはじとりとその手を見つめた後、つんと横を向き、無視して自分で馬車を降りた。

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