第三話
「……参ったわ」
クローディアが目を開けたとき、辺りは暗闇に包まれていた。
王宮から届いた手紙の通り、昨日の午後、使者を乗せた馬車が邸まで迎えに来た。
しかし、王太子宮に行くことは出来なかった。
この身体の持ち主であるクローディアが熱を出したためだ。
レオノーラは生まれつき身体が弱い。
元はクローディアと同じように黒かった目や髪も、長い闘病生活の果てに変わってしまった。
主治医によれば、強い薬を使っているため、その副作用が出たのではないかという話だった。肌は血管が透けるほどに白くなり、瞳は淡い紅色に、髪も灰に近い金色になった。
クローディアはベッドに仰向けになったまま、窓の外を見た。
日が落ちてから、どのくらい経ったのだろう。
侍女が運んできてくれた夕食を食べ、薬を飲んだ後、気がついたら眠ってしまっていた。
雲一つない夜空には、二つの月が並んでいる。双月と呼ばれるその月は、これからその距離を縮め、数日をかけて重なり合う。
しばらくその白い光を見つめた後、被せてある上掛けを引き上げた。
ベッドに密着していた背中は熱を持ち、汗でべとつく感じがある。なのに、寒気がした。
横向きに寝返りを打ちながら、隙間の無いよう羽毛布団にくるまる。しかし、体を走る悪寒は収まってくれそうにもなかった。
「こんなにつらいなんて」
ポツリと呟いた声は、静かな部屋によく響いた。
健康を絵に描いたようなクローディアは、記憶にある限り、体調を崩したことがない。そのため、まだ三、四歳だった頃、よく熱を出して寝込んでいた妹に不満を覚えていた。あの当時、周りの大人が妹ばかり気にかけるのも面白くなかったし、一緒に遊びたくても遊べないのが残念だった。
もう少し大きくなってからは、妹の容体を察することも出来てはいたが、こうして実際に伏せってみると、本当の意味で理解していたとは言い難い。
傍について見守ることもあったけれど、もっと寄り添ってあげることもできたのではないかと思ってしまう。
クローディアがもう一度寝がえりを打つと、部屋の扉が細く開いた。
廊下の光がすっと差し込む。その隙間から、誰かが顔を覗かせた。そのシルエットがくっきりと浮かび上がる。
誰だろうと見つめていると、その人は静かに扉を押し開き、物音を立てないよう注意しながら入ってきた。
腰まである長い髪、見慣れた自分の姿を見て、クローディアはその名前を呼んだ。
「……リック」
今日は授業のある日だった。エイメリックは朝から支度をして、クローディアとしてアカデミーに向かった。その前に、ベッドから動けないクローディアの様子を見に、こちらにも顔を出してくれたのだ。
近くまで来たエイメリックがベッドの縁に腰かけた。気遣うように、そっと額に手を乗せてくる。
たったそれだけのことなのに、なんだかほっとしてしまう自分がいた。
「起きてたんだ。体調は……あんまりよくはなさそうだね」
クローディアは小さく顎を引いた。
体が弱ると心まで弱くなるらしい。今喋ったら、泣いてしまいそうだった。
エイメリックは何度か優しくクローディアの頭を撫でると、今日あった出来事を話してくれた。
「エイメリック――って、自分で言うのも変な感じだが、会ったぞ」
今日は王太子も学校に来ていて、授業の合間に少し話をしたらしい。
「レオノーラの容体について訊かれた。会いに行けないことを謝ったら、来るのは体調がよくなってからでかまわないとさ」
軽くうなずく。
少し落ち着いてきたからか、しゃべっても平気そうだった。
「……中身はやっぱりレオノーラ? あなたがエイメリックだって気づかなかったの?」
「たぶん……話したって言っても用件だけだし、そんなに長くいたわけでもないから」
「そう」
昨日のエイメリックを思い出す。彼は居間で完璧にクローディアになりきっていた。
だとするなら、アカデミーでもそうだったに違いない。二言三言しか交わさなかったのであれば尚のこと、気づくのは難しいかもしれない。
そこで一旦会話が途切れた。
頭を撫でてくれるエイメリックの手が、なんだかとても心地よい。
少しうつらうつらしてきたら、エイメリックが腰を上げた。その気配で閉じかけていた目が開く。後を追うように視線を向けたら、気づいたエイメリックが少し困ったように微笑んだ。
「夜の分、薬は飲んだんだろう?」
「ええ」
とはいえ、あまり効いているような気がしない。
しかし、そんな気がするだけで、実際には効き目があったうえで、このしんどさなのかもしれなかった。
どっちだろうと思う間もなく、目蓋が重くなってくる。
「眠たいなら寝たほうがいい。また様子を見に来るから」
彼はそう言うと、クローディアの顔の横に手をついて、額にキスを落とした。
茶会の時にされたものとは随分違うように感じ、くすぐったい気持ちになる。
「うん……」
言葉にならない声で返すと、自然と目蓋が落ちてくる。
エイメリックが部屋から出たかどうか――確認する間もなく、クローディアの意識は霞んでいった。