第十一話
「……それにしても、クローディアさまったら、いったいなんだったんでしょうね」
「まったくですわ。おかげでちっともお話できませんでした」
午前の授業も終わり、イレーネは友人たちがぶつくさ言うのを聞きながら、校内にあるカフェテリアに向かっていた。
他にも食堂はあるのだが、そこは奥の壁が一面ガラスとなっており、明るく開放感がある。内装も温もりのある木目調で統一されていて、ここに通う生徒たちの間で断トツに人気のある場所だった。
とはいえ席数は限られており、授業が長引いたり教室が遠かったりすると、着いた頃には埋まっている、なんてことも多かった。
そのため、先に授業を終えた子たちが席を取っておいてくれたりするのだけど……。
イレーネは目的の場所に近づくにつれ、なにか騒がしいことに気がついた。
カフェ内に足を踏み入れると、部屋の奥、窓際のテーブルに人だかりができている。
イレーネは嫌な予感を覚えつつ、足早に近付いた。
輪を作っていた人たちがこちらに気づき、場所をあけてくれる。
中心まで行くと、激しく言い争っているご令嬢二人の姿が目に飛び込んできた。
「わたくしが先にこの場所を取ったのよ!」
「いいえ! 私のほうが速かったです!」
人目をはばかることなく、ぎゃあぎゃあとわめく声が耳をつき、眉をひそめる。
騒いでいるのはどちらも知った顔だった。
白い顔にそばかすの浮いたご令嬢は、いつもイレーネのあとをついてくる子で、とりもちのような肌をした太っちょのご令嬢は、クロ―ディアの取り巻きの一人だ。
二人の言い合っている内容から察するに、同じタイミングでこの席の椅子に手をかけたらしい。
それで、そっちが引け、いいやあなたが――と今の状況になっているようだった。
(たかだか席ひとつで――)
輪を作っている人たちに目をやれば、イレーネ派、クローディア派の他に、そのどちらにも属さない令息令嬢も多くいた。
彼らは好奇心を隠す様子もなく、いい余興ができたとばかりに面白がっているのが見て取れる。
その興味はどちらが譲るか――つまり、どちらが負けるかにあるようだった。
(みっともないと思われるよりはマシだけど……)
マシなだけでちっともよくない。
正直、ここで勝とうが負けようが、まったく旨味はなかった。
貴族の常識で言えば、感情を強く出したり、こうして声を荒げるのはよくないことだとされている。騒げば騒いだ分、悪く思われるのは避けようがない。
お昼時の席取りなんて毎日のことだし、お互いにその辺のことは心得ている。
こんな事態にならないよう、うまくやるというのが暗黙のルールだった。
それなのに――思わず舌打ちしそうになり、慌てて口を閉じる。
周りの視線が自分に集まってくるのが分かった。どう動くのか見ているんだろう。まったく世話の焼ける……。
どう間に入ったものか。
思案しながら二人に向けた視線の先に、クローディアが立っているのが見えた。こういう時、放っておいても適当なところで彼女が仲裁に入るのが常だった。
この場に彼女がいるなら話は別だ。面倒なことは押しつけるに限る。
もう少し様子を見るか――
イレーネはそう決めると、ことの成り行きを見守ることにした。しかし、いくら待っても一向にクローディアの動く気配がない。
さすがに止めないとダメか、そう思われた時、太っちょ令嬢がすぐ後ろにいる彼女に気づいた。
「クローディア様!」
どう思うかと話を振られ、周りの視線が一斉にクローディアに集まった。
こうなっては、さすがに黙っているのも難しいだろう。
案の定、彼女はゆっくりと輪の中心に進み出た。
誰もがその様子を固唾を呑んで見守っている。
しかし、ここでもクローディアは普段と違っていた。
いつもならそれとなく場所を譲るよう話を持っていくのに、この日はあっさり降参したのだ。
「他にも席はありますし、わたくしたちはそちらへ参りましょう」
うまく言いくるめてくれると期待していた太っちょ令嬢の顔が、急に青くなった。代わりに、口をへの字に曲げていたそばかす令嬢の顔が愉悦に歪む。
「クローディア様!」
太っちょ令嬢が悲痛な声を上げた。
意外ではあったが話は済んだ。あっさり勝ちを譲られて拍子抜けしたものの、クローディアが引いた以上、騒ぐ必要もない。周りにいた生徒たちも期待したような展開にならず、少しがっかりした空気を滲ませていたが、余興は終わりとみてその場を離れようとした。
しかし、一人だけ空気を読まない人物がいた。
「だから言ったじゃないですか。ここは私が先に取ったって。まったく、最初から素直に認めればいいものを……クローディア様の周りには、こんな方しかいないのかしら」
威丈高に鼻を鳴らすそばかす令嬢の言葉に、緩みかけた空気が一変した。凍えた空気が一帯を覆い尽くす。
しかし、彼女は気づかないのか、さらに続けた。
「これでは束ねる方の底が知れるというものね。少しはイレーネ様を見習って欲しいものだわ」
「なんですって!?」
声を上げたのは太っちょ令嬢だけではなかった。
傍で見守っていたクローディアの取り巻きたちも眉を吊り上げている。当たり前だ。自分たちだけでなく、自分たちが慕っているトップまで悪く言われたのだ。
――勘弁してよ!
イレーネは心の中で叫んだ。
見れば、興味をなくしていた人たちが軒並み足を止めてこちらを見ている。そのほとんどが口許を覆ったり、眉間にシワを寄せたりしていた。
せっかく向こうが譲るという形で折れたのに、これでは逆にイレーネたちのほうが疑われてしまう。




