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あの夏

作者: 繁都舞夢

 ジーワ、ジーワっと、鳴く蝉の声を聞きながら、千春は歩き慣れない京都の山の中にいた。

 大学受験を来年に控えた高校三年の夏休みと言えば、家か予備校の机に噛り付いているのが普通なのだろう。だが、今年の夏休みは、どうしても行きたい所があった。否、『はっきりとさせたいことがあった』と言った方が正確だ。

 千春には、父の記憶が無い。

 旧家の出の母は、大学で父と出会い、両親の反対を押し切って結婚した。そこまで聞くと、二人は大恋愛をしたように思える。だが、その後、千春が生まれると同時に離婚しているのだ。その間わずか3年。

 「出会いが変わっていたわ。私の顔を見てひどく驚いて」

 母は、父の思い出をよく話して聞かせてくれた。

 「それでね、お祖父様がお前の名前を付けてくれた後に、別れようと言い出したの。突然だったわ。それまでは、ちいともそんな素振りは見せなかったんだもの」

 私が生まれるまでは、本当に誕生を楽しみにしていたという父が、何故、私が生まれた途端に離縁などと言い出したのか。

 又、分かれる際に、自分の写った写真は全て持ち去ったと言うから、わけがわからない。

 母はおっとりとしているから、父の気持ちの微妙な変化に気がつかなかっただけではないだろうか?

 千春は、頬をつたい落ちる汗を手の甲でぬぐい、上がった息を整えた。

 風が通り抜け、汗に濡れた背中と頬をひんやりと冷やして行く。

 父は、結婚前からずっと、京都の大学の講師をしている。

 家は京都の山の中で、住所は千春が中学生になった頃に母から教えてもらっていた。

 「あなたのお父様なんだから、会いたかったら会いに行っていいのよ」

 母は、いつもそう言っていたが、何だか気が引けて『会いたい』とは言えなかった。

 ずるずると引き延ばして、今日まで来たような気がする。


 さくっと、次の一歩を踏み出した瞬間、千春の背中を何かが走りぬけたような感覚がして、思わず後ろを振り返った。

 さわさわと風が吹き、木々の葉が小さく揺れている以外、山に入ってからの見慣れた光景に変化は無いように思われた。しかし、何かが違うような・・・変わったようなきがしてならない。考え事をしながら歩いていたから、そんなにはっきりと景色を見ていたわけでは無いのだけれど。

 「・・・?」

 千春は小さく首をかしげ、もう一度前を向いた。

 すると、そこには、先ほどまでは気がつかなかったが、青年が一人、立っていた。 

 「びっくりした」

 青年は目を大きくして、千春を見ていた。

 「あまりここには人が来ないものだから。この先には片山先生の家しか無いけど、何か御用ですか?」

 白いカッターシャツに黒いズボンをはいている所を見ると、学生だろうか?

 人懐っこい笑みを浮かべる青年を見つめて、千春は小さく会釈をする。

 「その片山先生に会いに来ました。片山先生の娘で、千春と言います。先生はご在宅ですか?」

 青年はまたさらに驚いたように目を大きくして、まじまじと千春を見た。

 「先生の娘さん!? 先生に娘さんなんていたんだ!! へぇ〜・・・」

 千春が居心地悪そうに首をすくめると、青年ははっと気がついて頭を下げた。

 「ごめん!! ちょっと驚いたから・・・。先生はあいにく留守なんだ。熊本のお兄さんの所にお見舞いに行っているから、明後日じゃないと帰ってこないんだ」

 言葉に、千春はがっくりと肩を落とした。

 せっかく意を決してやってきたというのに、留守だなんて。拍子抜けだ。

 確かに、アポイントは取っていなかったし、大学だってきっと夏休みなのだから、いなくても当然なのだ。

 「当然、家にいるもんだと思ってた・・・」

 自分の考えの甘さにあきれる。

 呆然と立ち尽くす千春に、青年が気を使うように微笑む。

 「せっかく暑い中ここまで来てくれたんだから、お茶でもいっぱいどう? ・・・って言っても、麦茶ぐらいしかないけど。後、スイカもあるんだ。ちょっと休んで行きなよ」

 とても魅力的なお誘いに、千春は泣きそうな顔で青年を見上げた。気がつかなかったが、身長はゆうに180センチはありそうである。ひょろりと高く、なんだか少し頼りない。

 顔はなかなか整っていて、テレビをあまり見ない千春にはタレントにたとえられるほど彼らの名前を知らなかったが、例えるなら教科書に載っている太宰治の顔をもう少し元気に明るくしたような感じだった。

 でも、名前もまだ聞いてないし。

 次第に疑り深く変わる目で自分を見上げてくる千春に、青年はあわてて手を振る。

 「先生の娘さんに変な事なんてしやしないよ。僕の名前は山本修二。徳島の出身なんだけど、先生の所から学校に通わせてもらってるんだ」


 父の家は、思ったより古く、あらゆる設備が整ってはいなかった。

 水は近くの川から引いてきているし、ガスはプロパンガスだった。

 お茶とスイカをご馳走になった千春は、山のふもとまで送ってくれるという山本青年の申し出をありがたく受け、二人で寂しい山道を下っていた。

 修二は終始紳士的で、今時の男の子には珍しいタイプに思われた。

 徳島の農家の次男坊で、継ぐ畑も無く、気楽に勉学に励ませて貰っているそうだ。

 「でも、先生にこんな可愛い娘さんがいらっしゃったなんて。照れくさくて言えなかったのかなぁ? 一回も聞いた事無かったなぁ」

 にこりと微笑みかけられ、千春は少しずきんとする。

 父にとって、私は忘れられた存在なのかもしれない。

 18年間音沙汰の無かった親子に、感動の再会なんて、期待してはいけないのかもしれない。

 なんとなくだが、父は暖かく迎えてくれるような気がしていたのだ。

 「そう」

 つぶやいて、千春はうつむく。

 自分が言ったことに落ち込んでいるのだと気がついて、修二は慌てて言い換える。

 「きっと、大切な人だから、軽々しく誰にも言いたくなかったんだよ。大切な大切な娘さんだから。だって、こんなに可愛いのに、大切でない訳が無い!! 」

 語尾を強く言って、修二は拳を強く握りしめた。

 一生懸命に慰めようとしてくれている修二に、千春は俯いたまま少し笑った。

 なんだか、嬉しかった。初めて会ったのに、すごく好感が持てて、一緒にいると、ひどく安心した。これが、『恋』なのかも知れない。

 「ありがとう」

 そう言って顔を上げると、そこに修二の姿は無かった。


 ついさっきまで、そこにいたのに。

 千春は、来た道を走って戻っていた。

 日は、どんどんと暗くなる。

 山の中で、風がざざざ・・・と草木を揺らす。

 走りついた先には、先ほどとは少し面持ちの変わった家が建っている。

 夜だから? 暗くなったからちょっと違うように見えるだけ?

 千春は、明かりのついたその家の戸をたたく。

 先ほど修二と二人で出てきたときには、明かりはついていなかった筈だからだ。

 中から人の気配がする。

 「どちら様ですか?」

 出てきたのは、見知らぬ40過ぎの男性だった。

 「あの・・・」

 修二は? いつのまにこの人が家に? この家に続く道はあの道1本ではないの?

 混乱する千春に、男がふっと表情を緩めた。

 「千春か・・・?」

 何故、私の名前を・・・?

 千春は、頭の中が真っ白になった。

 「会ってきたんだね。22年前の僕に・・・」

 22年前の僕・・・?

 

 「22年前、突然姿を消した君を探して、僕は一晩中山の中を探した。先生の大切な娘さんに何かあっては大変だと思って。でも、君は見つからなかった」

 ことん・・・と、私の前に麦茶の入ったグラスを置く。

 グラスの中で氷が揺れて、グラスは小さな汗の粒を沢山付けていた。

 「熊本から帰ってきた先生から、自分には子供はいないと聞かされるまで、僕は君は神隠しにあったんだと思っていた。でも、先生に子供がいないと聞いて、僕は女神にあったんだと思った。。この山の神様は、女の神だと聞いていたから」

 からん・・・と、手元のグラスの中で氷が音をたてた。

 家の中の雰囲気は、先程とは少し変わり、こぎれいになっていた。

 ガスも水道も、ちゃんとひかれていた。

 ついさっきまで、修二がいた家。

 「大学で、君のお母さんに出会うまでは」

 グラスへ延ばしかけた千春の手が止まる。

 「構内で、君に面持ちが良く似た君のお母さんに会って、あれは夢ではなかったんだと。女神に会ったのではなかったんだと思った。きっと、君のお母さんの遠い親戚か誰か何かだったんだって」

 両手でグラスをつかむと、グラスについた水滴が手のひらを濡らした。

 「その頃には、子供がいないからと、先生が僕を養子に迎えてくれてね。名前も次男から先生の長男になったんだからと修一に改名したんだ。やがて、僕は君のお母さんと結婚をした。僕の中に何か予感のようなものがあった。何か、形にならない、奇妙な感覚が」

 千春は、父と名乗る男の顔を見上げた。目は、少し潤んでいたかもしれない。

 180センチはゆうにあるその男性は、ひょろりと背が高く、面持ちも柔和で、どこか修二に似ていた。

 「君が生まれて、お祖父さんが君に『千春』と名づけた時、予感は確信に変わった」

 寂しげに微笑む父に、千春は涙を我慢して、きゅっと口を結んだ。

 「久しぶりだね。千春」

 修二はいない。修二は、もうこの地上のどこを探してもいないのだ。

 その事実が、千春の胸に重くのしかかった。

 

  

この気持ちを何処に持って行けば……。

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