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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「前篇」高校二年 夏
5/39

4 コンプレックス

とある子のコンプレックスです。

コンプレックス。

僕もあります。あなたにはありますか?

 週が明けて月曜日。日曜日が本当の週明けなのだけど。

 昨日の午後から降り出した雨は休むことも止むことも知らず振り続けていた。

 歩道で、水たまりができてしまっているところは仕方なく車道に出て避ける。

 こういう時、縁石の上にでも昇って綱渡りのように歩きたくなる。

 


 もうそんなことをして可愛いと言われたり、危ないといちいち注意されたりする年齢ではなくなった僕は重い足を持ち上げて縁石を跨ぐ。

 時たま通る車の所為で水しぶきがかかってしまうこともあるが、そんなことに気をかける神経も今の僕にはなかった。

 


 いつもより数分遅れて校門を跨ぎ、玄関を潜り、昇降口で差していた傘を閉じて、笠立に入れる。あと、もう一個の傘も同様に、いや、今度は丁寧に入れた。

 ローファーからスリッパに履き替える。

 履き慣れたスリッパのやっぱり癖のついた踵を手で正し、同時に鞄からタオルを取り出す。

 濡れてしまった腕を中心に拭く。

 


 「さて、行きますかね」

 


 まだ生徒の姿が少ない廊下を歩く。階段を昇る。廊下を歩く。そして、2-Cの表札のある教室の横開きのドアを開ける。

 


 「流石に早く着き過ぎたか」

 


 黒板、机、棚。生命の息をしているのは自分だけ。

 誰もいない教室に一人僕は立っていた。

 ずっと立っていても仕方がないから、取り敢えず自分の机に向かう。

 


 綺麗に縦横並べられた机をずらさないよう、鞄を胸に抱き寄せる。

 窓際の一番後ろ、それが僕の机がある場所で。クラスの中で最も競争率の高い場所である。

 席替えの時なんかは言い合いになるくらいに重要度は高い。

 そんな最高のポジションを獲得できたのは単純に運が良かっただけだ。

 


 机に鞄を置く。椅子に座る。

 教室で鳴った音はそれだけ。

 あとは、窓の外の雨音だけがこの教室に音と認識できた。

 明かりすらも着いていない教室。綺麗に消された黒板。整理された棚。

 


 キョロキョロ辺りを見渡すが特段不自然に思う箇所もない。

 何もすることはなかった。友人に頼まれごとをしているわけでもないし。先生に何か依頼されているわけでもなかった。

 


 完全にフリー。

 仕方なく読書をすることにした。最近、滞っていた本を読み進めることにする。

 明るくもなく、暗くもない教室。雨音をBGMに文字を目で追っていく。

 頬杖をついて片手で本を持ち、その手でページを捲っていく。

 国公立の大学を志望する生徒の課外を開始するチャイムが鳴る。私立とか国立とか、専門学校は対象外だ。

 


 起立、きょうつけ、礼。

 号令が聴こえてきた。そして、規則性なんか皆無で着席する音。椅子を引く音もバラバラだ。

 ページを捲る。時が進む。

 ページを捲る。雨脚が強くなる。

 ページを捲る。隣の教室のドアを開ける音が聴こえてきた。



 向こうも一人のようだ。

 ドアを開けてから少しして椅子を引く騒音がなった。

 まだほとんど人がいないから隣の教室で起こったことであってもよく響く。

 僕のページを捲る音も聴こえるかもしれないなんて考えが出てくる。

 


 「ねー、それでさ」

 

 「あ!観たよー!」

 


 女子生徒二人の声がC組の教室、はたまたD組の教室を通り、E組のドアを開けた。

 音だけだから分からないけど、距離的にE組だ。

 


 「あ、じゃあ―――」

 

 「えぇ!いいのー!」

 


 仲良く談笑し合っている。微笑ましいものだ。



 教室に入ってから三十分。隣のそのまた隣の教室に入った二人の会話が未だ聴こえてくる。 

 そんな中。

 ガラララ、と二年C組の教室のドアが開けられた。

 反応する。顔だけをドアの方に向ける。

 


 「あれ、おはよう北上君。今日は早いね」

 

 「おはよう、秋葉さん。珍しく早起きしてね」

 

 「へえ、そうなんだ、……あ、ねえねえ。これ手伝ってくれる?」

 

 「いいよー」

 


 秋葉さんの両手にあったそれは先週行われた英語の小テストの結果だ。内申にはそこまで響かないが本気でやって損はなかっただろう。

 そして、今回、秋葉さんに頼まれた仕事は、この結果をその人の机に置いていくことだ。

 個人情報が云々なんて思うかもしれないけど、ちらっと見た感じ、そこまで点数に差はなかった。

 


 定期であったり期末のテストにもなると教師自らが結果を返却するため、今回のテストはそんなに重要ではなかったと勝手に決断して、僕はなるだけ点数を見ないように置いていく。

 生徒の名前の記載された座席表を見ながら一つ一つ配っていく。対する秋葉さんはというと。

 


 「よく、皆の席覚えてるね」

 


 一つの間違いもなく、その上、僕以上の速さで、裏返しにして机の角に置く。

 


 「委員長だからね」

 


 と、いつものキメ台詞と共に、微笑を浮かべた。

 


 「そっか。凄いね、委員長は」

 


 だから、僕もいつものように乗っかってやる。

 あはは、うふふ。

 作り物だけど一応笑っておく。秋葉さんは、どうなのかは、わからないけど。

 3分もかからないうちに全て配り終えてしまった。

 


 「お疲れ様、ありがとね」

 

 「いや、全然いいよ。だって」

 

 「副委員長、だもんね。でしょ?」

 

 「うん」

 


 そう。僕は副委員長の任に就いている。立候補制を取っていたらしいけど、何故か推薦という形で僕は学級副委員長になった。

 誰が推薦した、とかは未だに謎だ。だからと言って気になるわけでもない。

 


 「あー、そういえば、最近あんたのことよく耳にするんだけどさ」

 

 「…………」

 

 「どうかした?」

 

 「あ、いや、なんでもないよ」

 


 いや、なんでも、はあるかもしれない。 

 廊下にこのクラスの人間ではない女子生徒が僕と秋葉をじーと見つめているのが見えた。

 見たことのない子だったけど、この学年なのか。

 顔は良く見えないけど、結構可愛らい。夏樹には及ばないけど、クラスで二,三番目くらいに可愛いような少女だった。

 


 秋葉さんに面識のある子だろうか。学級委員長の他に学内の様々な仕事を請け持つ働き者であるから、顔は広い、と思う。

 


 彼女も夏樹ほどまではいかないが、相当な美少女で、加えて性格だっていいもんだから男子の人気は当然高い。 

 ちなみに彼氏はいないのだという。

 


 「そろそろ、皆来る頃じゃないかな」

 

 「あー、うん。そうだね」

 


 僕は壁にかかった時計の時間を視て、彼女に同意した。

 この時間辺りからバス通学や電車通学の生徒が登校してくる。

 


 「そういえば、廊下の子……ってあれ」

 

 「なに?」

 

 「いや、なんでもないけど」

 

 「そう」

 


 いつの間にか、女の子は廊下から姿を消していた。

 女の子がいた場所には丁度今登校してきた男子のグループが取っ組み合いながら自分たちの教室へと向かっていった。

 


 それからは彼等を皮切りにして、多くの生徒の姿が目に映るようになった。

 その中には、夏樹の姿もあったりして。

 秋葉さんにも誰にも気づかれないようにアイコンタクトで挨拶をした。

 


 「おはよう」

 

 「おはよう」

 

 「一昨日は楽しかったね」

 

 「うん、そうだな」

 


 たぶん、こんな意味だと思う。

 ……いけない、顔が緩んでしまう。

 この教室にも数人生徒が登校してきている。

 


 誰が見ているかわからない。 

 用心せねば。

 僕は今しがた教室のドアを開け、入って来た友人に声を掛けた。

 


 今日も既に半日が過ぎ去った。まだ雨はやんでいない。 

 それどころか、更に強さを増しているようで。たまに雷の轟音も聴こえてきたりして。

 夏樹と屋上で一緒に食べる、ということができなくなった。

 


 四時限目の終わりが告げられても夏樹が来ることはなく、今日は雄吾とその他友人たちと机を引っ付けてお弁当を食べることにした。

 ちなみに今日の弁当はコンビニ弁当だ。唐揚げと白菜と白米と漬物と。ごくごくありふれたコンビニ弁当だった。

 


 普通に美味しかった。

 一人暮らしである僕にとって三食コンビニ弁当は日常茶飯事である。ろくに料理もしないし、そもそもできないから当然の成り行きで僕の昼食はこれだ。朝食も夕食も、手作りなんてほとんどしない。僕の生命線はコンビニによって守られているのだ。

 


 「なあ、そういや、来週の土曜って進学模試だったよな?」

 


 横で同じように弁当を食べていた雄吾が思い出したように箸を向けて訊いている。箸で指したのは僕ではなく、僕に対面するように座っているクラスメイト―――草山丈瑠だった。

 眼鏡がトレードマークである彼はくいっとブリッジを押し上げ得意げに答えた。

 


 「その通りだよ雄吾君、しっかり対策はしておいたほうがいいよ。ちなみに、僕は二カ月前から始めてるんだけどね」

 

 「ほえー、そんなに前からやってたのかよ。自信はー……いつも通りあるな」

 

 「まだ二学年の夏と思うか、もう夏と捉えるか。そこの違いだと思うよ。あと自信があるんじゃないよ。やるべきことはやってきたからね。人事を尽くして天命を待つの通り、あとは神からの祝福を待つだけだよ」

 

 「つまり自信しかないってことだよね」

 


 今度は草山丈瑠の隣で雄吾と相対するように座っている小柄の生徒―――郡山三樹弥こおりやまみきやが雑誌を穴が空くほどに凝視しながら言った。

 雑誌のタイトルは“狙え!ゴールデンタイム!目指せ!憧れの高身長!”。去年から数ミリしか伸びていない身長はクラスの中でもダントツで低かった。前習えをした女子の真ん中あたりの高さだ。

 


 本人はそれがコンプレックスなのだそうだが、彼以外の男女問わずの評価は全くの逆だった。

 男としてコンプレックスにしかならない低身長だが、郡山三樹弥だけは違った。

 彼の低身長からなんと“萌え”を見出したのだ。

 けれど、別に驚くほどのことじゃなかった。

 


 「むー、筋トレはほどよくするのがいいのかー。とすれば、一日置きに腕立て、腹筋を二十回―――」

 


 眉間に皴を寄せて高い声で唸りながら雑誌に目を通している。その後もずっと声を上げたり、唸ったりを繰り替えしていた。そして、ひとしきり読み終えた三樹弥は落胆を隠さず、大きく嘆息した。本を閉じて、机に置いた。その時、初めて顔が露わになる。

 ちらりと本人には気づかれないように注意して三樹弥へ視線を送った。

 


 「――――――――」

 


 そう。別に驚くほどのことじゃない。

 だって。

 


 「―――三樹弥きゅん、可愛い」

 


 三人の内誰かが言った。自分も含まれているのは、もしかすると無意識の内に声に出してしまったかもしれないから。 

 


 「ん?誰か何か言った?」

 


 三樹弥は三人を見た。僕たちは目を逸らした。 

 あまりに不自然だったようで三樹弥は神妙そうな面持ちで、「何?また僕をからかってるの?」と女の子みたいな高くて可愛らしい声音で三人を見回してくる。

 


 すべすべしていて柔らかそうな肌。高校生らしからぬ童顔。くっきりと開いた大きな瞳。筋が通った鼻。小振りでピンク色の唇。

 流し見してくるその瞳でさえも心を射られる。

 


 「三樹弥」

 

 「……ん、なに」

 


 雄吾はさも真剣であるかのような眼差しを三樹弥に向けている。

 


 「三樹弥、お前は身長が低いことに引け目を感じているのは俺達も分かっている。……いや、軽々しく分かっていると言ったらお前に失礼だな」

 


 三樹弥の身長は153センチ。対する雄吾は178センチとこの中の誰よりも高い。

 そんな雄吾に言われたくないと三樹弥は可愛い目で精いっぱい睨む。普通にマジなのだろうけど、正直高校生らしからぬ幼さのせいで迫力には欠けている。そして、そんな睨みを受けている雄吾は涼しそうな顔で再び口を開いた。

 


 「でもな、お前のコンプレックスはお前以外のやつらからしたら、ずっとよく思われているかもしれないぞ」

 

 「…………は?何言ってるんだよ雄吾。僕、男だぞ。いっつも何故か女の子と間違われるし、お前ら以外の男に話しかけると無視してどこかに行ってしまうし……」

 


 ……ん?それは、つまり?

 


 「俺達がいるじゃねえか。だから、見方を変えるんだ、考え方を変えるんだ。身長が低いからーなんて言葉で言い訳をするんじゃなくて、身長が低いから何ができるか、どう接したらいいかを考えるんだ」

 


 おお、なんかそれらしいことを言ってる、気がする。 身長だけじゃなくて、多種多様な用途でも当てはめることができる言葉だ。

 僕だって少しばかり感心したのだから、三樹弥だって。

 


 「………見方を、変える。考え方を、変える」

 


 呆然として雄吾の言葉を復唱していた。そして、何か考え込むかのように口元に手を当て、机に視線を落とした。

 心に響いたのか。受け止めているのか。

 


 「……な、なあ、ちょっと雨則」

 


 と、雄吾は僕に耳打ちしてきた。

 


 「なんだよ、雄吾」

 

 「俺やっちまったかなー。三樹弥、ショックだったかな」

 


 さっきあんな大口を叩いた雄吾がおどおどとした雰囲気になっている。

 雄吾には三樹弥がショックを受けてるように見えるのか。

 今にも頭を抱えそうになっている雄吾を傍目にちらりと丈瑠に目を向ける。

 丁度目が合った。丈瑠は僕の顔を見るなりこくんと頷いた。何もできない雄吾に代わって三樹弥の肩を叩いた。

 


 「…………」

 


 声を出さず、顔も上げなかったが意識だけは丈瑠に向けていると信じることにして。

 


 「雄吾も言ったよね。俺達を頼れってさ。それって、悩み事も含まれると思うけど」

 


 流石は丈瑠。普段は勉強バカであるが、友人気遣う心は持ち合わせているのか。なんてハイスペックなんだ。

 僕も丈瑠に乗っかった。

 


 「別に自分の考えや意志を曲げろって話じゃない。ただ客観的な視点で助言してやることもできなくないってことだよ」

 


 三樹弥の肩がピクッと震えた。

 とても些細な出来事だったが、僕と丈瑠は見過ごさなかった。

 


 「……雄吾、お前も自分の言葉に責任持つべきだよ」

 


 今度は丈瑠が雄吾に耳打ちした。僕は微かに聞き取れたが三樹弥はどうだろうか。聞こえたにしろそうでないにしろ、雄吾の言葉でもう一押しするしかない。

 それは雄吾も分かっている。毎日姉に作ってもらっているという弁当箱を見ているであろう雄吾は幾秒か逡巡していたようだが、ついに決心が決まったようだった。

 


 それにしても姉に作ってもらうなんて、なんて羨ましい奴なんだ。毎日手渡しで受け取るって言ってたけど、それはもう愛妻弁当と呼んでもいい領域なんじゃないか。

 雄吾は弁当に向かって頷き、顔を上げた。

 


 「三樹弥、俺達は何があろうと友達だ。雨則も丈瑠もそうだ。お前が胸張れるようになるために俺達は何でもしてやる。だから、俺達の前でだけは胸を張っとけ」

 


 三樹弥の肩が先ほどよりも更に大きく震えた。

 


 「…………っ」

 


 そして、ついに顔を上げた。

 笑顔だった。目尻には少し涙が溜まっていた。

 


 「……雄吾、雨則、丈瑠。ありがとう……僕、まだ答えは出せないけど頑張ってみるよ」

 


 自身を鼓舞するように胸を数度叩いた。

 


 「そっか……」

 


 僕はコクコクと二度頷く。どうなるかと思ったけど、安心した。 

 丈瑠も微笑を浮かべている。

 雄吾は……。

 


 「おう、三樹弥。頑張れ!何事も全力だ!」

 


 三樹弥に負けないくらいの笑みだった。

 それから数分と経たずして昼休み終了のチャイムが鳴った。夏樹とは会えなかったけど、こうして友人の支えになってあげられたんだ。微力も微力だけど……。数少ない友人だけはずっと友人で在り続けたい。時には、友人よりも大事な人よりも優先させるくらいに。

 きっと今日が雨であったのも、このイベントの為なんだろ。そうなんだろ、神様。


誤字脱字、評価、感想よろしくお願いします。

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