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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「中篇」高校二年 冬 
39/39

22 後悔と失敗の肯定

 ようやく語り終えた海里は流石に疲れたのか、はぁ、と溜息を吐いた。赤裸々に語られた過去話はまさか入学してから始まるとは思いもよらず、夏樹も止めどころを途中で失ったようで、仕方なく僕と付き合い始めるまでは無言で聴いていた。



 そこから先もとなると、日が暮れてしまいそうなほどだったようで、あと、夏から冬までの大半惚気に塗れた期間を話すとなると主に二人の所為で流血沙汰に成りかねないと悟った僕は嬉々として続きを紡ごうとしたいた海里を止めることでようやく終わりを告げた。ちなみに昔、会っていたことについては、まだ伏せている。

 

 

 「ここから先が本当に皆に伝えたいことなのに」

 

 「やめてくれ、マジで。後先を察してくれ」

 

 「んもう……まあこれで大方は分かったよね?」

 


 夏樹と知音を見やる。時間と経験の差を見せつけるように。

 


 「いろいろ言いたいことはあるけど。白雨さん、これが一応私達の全貌になるけど……何か質問ある?」

 


 進行役が全体の主導権を握る。さながら会議をしているようで、夏樹は意見を求めるように知音へと目を向けた。

 


 知音にとっては驚きの連続であったろうが、僕と夏樹、海里にとっては認識不足の点はあったにしても、共通理解はできているつもりだ。そもそも夏樹の計画云々に関しては秋ごろに海里から伝えられていたし、二人の心情的な部分は知らないことこそあったが、こうして告白をされると納得することができた。

 


 「………何かあるとは分かっていたいたけど、あんたたち結構なことやってきたのね」

 


 面々を流し見しながら呆れたように言った。呆れるどころか、軽蔑してもいいくらいのことを仕出かした自覚はある。実際、海里に対して軽口を叩けたのも、よくよく考えれば正しいこととは言い難いのに。それだけことの重大さに対しての感覚が麻痺しているのか、軽口を叩けるだけ出来事は過去と成り変わったのか。

 


 そんなこと絶対にないし、あってはならないのだが、何故。

 


 「ことの発端も原因も、誰が善で誰が悪とか、そんなことひっくるめて、全員が良心の呵責ってのを感じているのはわかったわ」

 


 皆が皆、それぞれに後悔があった。行いの正しさも、間違いも、あの夏の出来事はまとめて後悔なんだろう。結果がどうであれ、きっと、絶対、間違いなくもっといい方法があったのだから。

 


 だからと言って全部が全部赦して水の泡にするかと言われれば、それはできないのだ。

 それぞれの言動に意味があって、意味を見出したくて、そうあって欲しいという信念の下でやってきた。だから、確かに後悔と評することもできるだろうけど、その一言で切って捨てることはどうあってもできないのだ。

 


 「それで、あんたたちは、間違いに間違いを重ねた結果、間違いだらけの結末になっちゃったんだね」

 

 「………」

 


 過程があれば、必然的に結果も付いてくる。そうならなければ結果をもたらさなければ、過程として、やってきた意味がなくなる。その分、今回の場合、海里と付き合うという結果で幕を下ろしたのだが……。

 端から見れば、僕達は過程と結果、そのどちらもを間違えているのだ。

 


 夏樹の依頼も、それを海里が受けてしまったことも、僕が孤立して、そこで海里に溺れてしまったのも。結果として、夏樹を裏切り、海里と付き合うことにしたことも含めて。

 辿ってみれば、夏樹が僕に告白したのも間違いだったのかもしれない。

 


 「………」

 


 でも。

 


 「―――違う」

 


 ……。海里が口を開いた。

 


 「違うよ。……確かに、間違っていたかもしれない」

 


 珍しく。いや珍しくも何もこれも海里なのかもしれないのだろうけど、僕が映しとっているのは、そんな珍しい海里の真剣な顔だった。

 愚直に、知音だけを視界に収めて。

 


 「間違っていたかもしれないけど……その間違いがなければ私は雨則の隣で笑えていなかった」

 

 「可能性の話ってやつ?」

 


 その通り。

 


 「うん、そうだよ」

 


 同時に肯定する。いつもの、海里を救って、堕とした、可能性の話。選択をする度、最適な方を夢想して、その後の未来を描いて。そんな、他愛もない妄想。

 


 「くだらない。結局は今、この時が全てよ。というか、あんたたちの場合、どれだけ繰り返しても結局似たような結末を迎えそうだし」 

 

 「……そ、それでも、私は」

 

 「たらればの話はもういい。……過ぎ去った時間はもう戻らな、い……の」

 


 知音は何か思うところがあるかのように吐き出していた口を噤んだ。その理由が、僕には、僕だけには分かってしまうものだから、僕は逃げるように視線を逸らした。

 


 「………でも」

 


 しかし、妄想論を砕かれてもなお。

 


 「………それでも、失敗ばかりだったけど、嘘ばかりかもしれないけど……笑い合える時期は合ったよ。雨則と、私は」

 

 「―――――――――」 

 


 知音は何も言えなかった。海里と自分の共通点をその目で見てしまったからだ。……同じ、もう過ぎ去ってしまった過去を見ている、という、悲しい事実を。

 


 「………それを言うなら、私だって、当てはまるし」

 


 今度は夏樹が二人に追随するように口を開いた。たった一月ちょっとだったけど、確かに彼女の中にも僕と二人でいた時期があった。

 


 「けれど、それで足りるわけないでしょ?本当に笑い合えたわけじゃないでしょ?人の目なんか気にして、自分が築いた砂の地位を崩せるほど私は……強くなかった……から、でも、分からなかった。どうすればいいのか。どうすれば正解だったのか……わかるわけないじゃない。碌に恋なんてしたことなかったから」

 


 ……これは。

 


 「じゃあ、分かるの?そんな状況に置かれて、恋を経験したこともない、ただ少女漫画に憧れていただけの頭お姫様に、きっぱりすっぱり断言してこれが正しいなんて、迷わずにできると思ってるの?」

 


 ……そうか、そうなのか、夏樹は。

 


 「私には無理よ。失敗しかしない。そんなに頭良くないから。そんなに人の心読めないから。見栄張って、学校のアイドル面して……それでも、何もわからない。手紙を書くのも、言葉を交わすのも、相合傘して歩くのも……全部、全部、その場凌ぎで、愚考な私の気まぐれと理想から成り立っているだけよ」



 ……海里は、きっと。

 


 「そんな私が失敗しないわけある?あるわけないじゃん。余裕の顔して、本当は何もわからなかった私だから」

 


 これ以上ないくらいに。………不器用なんだ。

 


 夏樹は息を荒げながら、皮の中の本心を曝け出した。

 本当の有田夏樹の顔だった。

 


 「――――――――――――」

 


 知音は圧倒されるように目を見開き、口を開けている。大の大人になりかけのガキが熱情をたらたらと、バカみたいに真剣に自分を嘆いているのだから。そして、自分の正当性を表明しているのだから。

 ……それならば、僕も―――――とは、ならなかった。僕も、二人に圧倒されていたから。上手く言葉が出なかった。

 


 ……僕は、自分の行いに正当性を見いだせなかった。僕だけが、悲観のみを掲げ、後悔だけが全てを占めてしまっている。自分を、自分の否定を否定することも、する資格もなかった。

 その事実を隠すために、隠蔽するために、僕は。

 


 「……夏樹。……海里」

 


 二人の名を呟く。

 二人と僕には、呆れるほどに、過去への想いが異なっていた。感じている暑さが違っていた。


 








 「なあ、雨則」

 

 「ん?どした雄吾」

 


 今から一年前くらい。僕がこっちにやってきて、ようやっと都会の暮らしに慣れつつ在った頃。

 ようやくできた友人A、雄吾と二人で帰っていた。

 


 「お前、入学当初から感じ変わったよな?」

 


 突然、そんなことを言われた。 

 慌てて雄吾を見ると、何も考えなどないといった、素っ気ない感じだった。

 


 「……そうか?」 

 


 実は自覚あったけど。

 


 「うん、なんか……抱えていた重りが見えなくなったような」

 

 「重り?」

 

 「何て言えばいいか分からないけどさ。俺そんな頭よくねえし」

 

 「知ってる」

 

 「お前、覚えてろよ」

 

 「で、ほら、頑張って頭捻って」

 

 「………ちょっと、待ってろよ」

 


 秋の終わりを感じ取れる、立冬を思わせる空気が肌に感じた。けれど、空は真っ赤、茜、紅、カラスの鳴き声も相まって、まさに秋だった。欲を言うなら、その辺に紅葉でも落ちていればな。まあ、校門近くに植えられている木は赤みがかった葉を宿らせているけど。

 


 珍しく雄吾の横に三樹弥がいないけど何かあったのかな。あいつらの場合、喧嘩なんてあり得ないと思うが。

 ……まあ、雄吾も僕と二人だから、こんな話を始めたのかもしれない。

 それにしても。

 


 「………」

 

 「まだか、もう分かれ道だぞ?」

 


 無慈悲にも、二人を分かつ道が見えてきた。

 明日もあるから別に寂寥感を覚えることもなく、マンションに帰ればゲームが待ってるし。別段、早く帰りたいという気持ちもなく。

 


 ただ雄吾と足並みを合わせているから、その時が訪れるのも時間の問題だろう。

 茜空は明るく、また寂しく僕と雄吾を見つめて、人通りの少ないこの道には二人の鞄とローファーの音が規則正しく鳴っている。

 


 「また教えてくれればいいから。リネでも、電話でもしてくれれば――――」

 

 「………あっ!」

 

 「おわっ!……どした?忘れ物か?」

 


 急に叫んだ雄吾に身を反らせる僕。漫才でもしているようだ。

 


 「やっと閃いたぞ。言いたいこと」 

 

 「何だよ」

 


 ニヒヒと少年っぽく笑い、指を空に向けて立てる。

 何となく急かされるような気持ち。僕は雄吾の口元を見て。

 


 「重りに慣れたんだよ、お前」

 

 「………は?」

 


 何を言っているんだ。

 


 「お前が背負っていた何かに慣れてしまったんだよ。ほら、最初は辛いことも毎日続ければ楽になるって言うだろ?それだよそれ」


 「………何だぁそれ」



 具体性の欠ける物言いに笑ってしまった。



 「おい、笑うなって……雨則、お前ぇ」


 「あはは」



 いや、だって。



 「雄吾らしくねえな、その台詞」


 「ぐうううぅ。べ、別にいいじゃんかよ。たまには変なこと言ったって」



 秋の空に、赤い顔の雄吾。ついでに笑う僕。

 別れてもなお、一人笑い続けていた。

 










 クールダウンのため、一旦休憩の運びとなった告白会。それぞれが別の場所へ散り散りになっていく。

 皆、何かしら熱を孕んだ表情をしていて、僕だけがまだ冷えた顔のままだった。寒さは感じないのに、誰よりも寒そうに見えるのではないか。



 小汚い四角形を作って、各々頭を冷やす。例えば木に寄り添って。例えば雪を手に握って。例えば空を見て。例えば場違いな季節に思いを寄せて。



 何もない、本当に何もない広場。現代っ子ならスマホがなければ退屈さに押し殺されてしまうくらいに。けれど、そんな退屈で何の生産性もない時間が今は何よりも僕に安堵と安息を齎してくれる。

 少しずつ流れていく時間。それぞれの時間は流動し、再び集結する時へと待機する。



 「この寒さならすぐに冷えそうだな」



 三人を思いながら、僕は何ともなしに木へと地面の雪を丸めて投げた。

 ボフッと直撃した部分だけが音を立てて、それで終わり。



 「――――――」



 僕の身長の数倍もある大木を前にすれば、僕という存在の小ささも垣間見えてくる。いや、実際この木を人間が素手でどうにかできるとは思えないけど。



 「………」



 もう一回、丸めて投げてみる。



 「――――――」



 鉄の扉を殴って壊そうとすることの無意味さと同義であり、所詮、雪は雪であるのだから、当然、無駄なことぐらい誰でも理解できる。

 それでも、もう一度。

 結果は同じ。



 繰り返し、もう一投。

 無論。

 もう言葉で語ることさえも面倒になるほど投げては、鉄壁の前に無惨に崩れ散る。



 「………」



 結局、何十投の投雪の末、心地よい腕の疲労感と木の麓に小さな山を作るという成果を得て、ついに再集合の指示がかかった。

 ほんのりと汗が滲んでいた。





 皆、解散前よりは幾分か冷静さを取り戻していた。若干一名に至っては軽い運動後の様子だし。まあ、自分のことだけど。

 けど、そっちの方が血流を良くするって言うし、リフレッシュにはなったのではないだろうか。



 と、そんな僕も含め、全員を出席を取るみたく一通り見てた夏樹は「よし」と切り出した。心なしか来た時よりも声が弾んでいる。



 「よし、それじゃあ始める……の前に、ね。さっきまでのこと、振り返ってみたらさ。引っかかる部分があるのだけど」



 そう言って、海里を見た。



 「………引っかかる部分?」



海里は噛みしめるように繰り返した。



 「うん」



 わざとらしい陽気な声音で。



 「……まだ、あるよね。私と白雨さんに隠してること。瀬口さんと、雨則君しか知らないこと」


 「そんなこと、夏以降の話はしない運びになってたよね」


 「違うよ。夏より先じゃない。夏よりも……ううん、少なくとも入学式より前のこと」


 「――――――――――っ」



 息が詰まる音。信じられないといった表情で夏樹を直視する海里。そして、沈黙。彼女はそうでもないだろうけど、僕にとってすれば、軽々しく扱ってはならない話題だ。どれも同じくらいに取り扱いには注意が必要だけど、これだけは。人生を大きく揺り動かされるほどの、事実、取り返しのつかない程に滅茶苦茶になった家族の過去がある。



 「………夏樹、それは」


 「……雨則君の反応からして、やっぱり何かあるのね。だって、瀬口さんの場合、何で雨則君のことを好きになったのかっていう明確な理由がないんだもん。……というか、話の端々に臭わせる点があったからね」



 だって、それは海里の根底にあるものだから。海里はそこを起点として動いているのだから、僕に関係する行動に出る時は、必ず起点を経由しなければならない。



 「口調からしてずっと昔のことのように聞こえたけど、どうなの?」


 「………なつ、き」



 夏樹の名を呟く僕の目に映るのは、海里。

 また、少しずつ、温度が下がっていく。投球に使用した腕をもう一方の手で支えるように握りながら、じわりじわりと平温に戻っていくのがわかった。



 「瀬口さん……これは延長線なんだよ」



 延長線……。なんの。夏樹の言葉は理解できない。海里は違うのだろうか。言葉の意味を汲み取って、そして、過去を思い返して、理解しているのだろうか。



 「今日の、この集まりじゃない。あの日の屋上での続きだよ」


 「―――――――ぁ」



 海里は静かに息を漏らした。自ら止めていた息を、ようやく外へと吐き出した。どのような心情に基づいてかは知らないが、心当たりがあるみたいだ。



 「約束、したよね」


 「……狡いよ、夏樹ちゃん」


 「………」


 「……わかった。雨則、いい、よね?」



 僕へと視線を送る海里。



 「……自分のこと、だから。別に、自分がいいなら止めはしない」


 「分かった」



 頷く海里。そこには逡巡も困惑も一切なくて。そんな海里を見つめる僕は。……でも、彼女が下した決断に誰が待ったをかけられよう。



 生憎と僕にはできなかった。どれだけ意思が訴えかけてきても、ただ凛として語るべき相手へと意識を向けている海里を見たら、無理矢理にでも抑え込まなければならないと確信できる。 



 そう。僕と海里だけの記憶を。僕と海里だけが知っている運命の、雨の日を。

 ただ、黙って聞けと深層に生きる記憶が訴えていた。


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