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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「中篇」高校二年 冬 
34/39

17 逃げない

殴られます。

 その日の放課後。終礼のホームルームでは、明日のいつの分かはもう忘れてしまったが、振り替えの休日のことと、もう一件、ついに冬季連休についての話があった。課題についいてであったり、成績不振な生徒への課外の件であったり、年が明ければ僕達も受験生であるなど、いささか脅迫にも近いお話をいただいた。


 

 ただ、うちの学校はそれなりの進学校で通っているから、学校側も面子を保つためにそれなりに必死なのだろう。子供の将来を賭けないでもらいたいのだが、結果として成績の向上に貢献しているのだから、反抗のし辛いことこの上ない。

 


 終礼も終わり、教師が教室から消える。そこからはいつも通りの緩み切ったような光景になるのだが、何処か、雰囲気が異なっている。原因について、心当たりしかない。皆、それぞれに少しずつだけど将来を考え始めているのだ。誰もがいつか通る道、その一つに僕たちは差し掛かっているのだ。人生の奔流に流れ、幾億の人が辿ってきた無像の足音が付けられた道に。こうして大人になっていく。



 中身とは別に、外見はどれだけ足掻いても大人に変わっていく。

 過渡期、そんな中、僕は教室の喧騒の内で一人、全く異なる心境に苛まれていた。

 


 「………」

 


 一日中、窓の外を眺めるか、机から仄かに漂う木の香りを嗅いでいた、そんな繰り返しで終わった。一時間分の授業は、金額換算すれば、一時間毎に百万円であると言う人がいる。と、その考えに基づけば、今日で六百万円も無駄にしてしまったということになる。



 僕の年齢ではどうにも現実味の湧かない金額であるから、あまり無駄にしてしまった、という事実を受け入れられない。

 


 窓から目を反らした僕の周りには先ほどまでの賑やかさは消失していた。当然、人の存在も限りなく少なくなっていて。

 


 秋葉さん、三樹弥、そして丈瑠が主な見知った顔としてその場にいる。全員を合わせれば七人。消え去った三十三人は既に下校しているということか。

 


 未だに怠い身体を持ち上げて席を立つ。鞄を持ちながら、教室を出る。見知った顔たちは僕のことに目もくれずに彼らなりの時間を過ごしているようだった。

 


 「………はぁ」

 


 直帰することにする。ローファーに履き替えた僕が吐いた溜息は白く空へ昇っていく。部活動が活発になる時間帯になった現在、そこらかしこから駆け声やボールの音が響いてくる。校舎からは楽器のチューニングが聴こえてくる。放課後の学校らしさが身に感じた。そんな活動に消極的な僕はとぼとぼと帰路に就く。

 


 僕の進む方から運動部の集団が掛け声と共にやってくる。通り過ぎていく。時々、目を向けてきたりしてくるのが数人いたが、皆がすぐに興味を無くし正面へと目をやった。

 


 「……帰ったらなにしよ」

 


 教師から出された課題がある。それすらもやる気が起きない。ゲームすらもしたいと思えない。

 校門を出る。日が沈んでいくのが雲越しでもわかる。明日は晴れるだろうか。すっかり青空を忘れてしまっている。

 


 一人ぼっちの帰り道。何をするでもなく空を見上げマンションへの道のりを進む。

 数十分後。もう日も暮れそうになっている。黄昏時。雲が晴れれば、空は紅掛空色といったところか。

 


 そんな中、住居を置くマンションのエレベーターに乗り、四階へ向かっている。

 朝と同様に壁に凭れかかり、チーンの音が鳴るまで待つ。

 


 「………」

 


 ――――チーン。

 目的の音。開かれるドア。重い身体で潜る。

 


 「…………あれ」

 


 誰かいる。それも僕の部屋の前に。僕と同じ生命体である証拠であるように吐かれた息はいちいち空へと昇っている。

 何かの集金だろうか。荷物のお届けだろうか。しかし、部屋の主が不在であるとわかっているだろうに、その場から微動だにしない。

 


 「………」

 


 ぼやけた正体も少しずつ明瞭化してくる。……服装、同じ学生服だった。黒のネックウォーマーに黒の手袋。

 


 ……あれ。それって……。

 


 「………雄吾?」

 


 僕の呟きは突き刺さるように彼へと届く。そして、こちらへと向かれた身体。

 


 「雨則」

 


 彼は普段のように笑いながらこちらに寄ってくるわけでもなく、ただ僕を見据えてきた。

 意を決したような表情は張り詰めたものを感じる。

 なんだなんだ、と僕は歩を進める。

 


 「こんなとこに突っ立ってたら風邪引くぞ」

 

 「………」

 


 彼を退けて部屋の鍵を開ける。

 


 「入れよ」

 

 「あぁ」

 


 先に入る。続いて雄吾も。二人揃ってローファーを脱ぐ。リビングに入った二人、僕はエアコンの電源を入れ、着替えをする。

 


 「雄吾、冷たい麦茶しかないけどいいか?」

 

 「ああ、頼む」 

 


 素っ気ない返事だ。雄吾にしてはあまりにも無関心で、集中していないような。何かおかしい。異な事だった。去年までは三樹弥と一緒によく遊んでいた関係だが、それほどの交友のある彼を前にして、ここまで居心地の悪さを感じたのは初めてだった。

 


 コップを二つ取り出し、両方とも並々に注ぐ。

 


 「ほらよ」

 


 片方を手渡す。

 


 「ありがと」

 


 サンキューという言葉を期待していたのだが、「ありがと」だった。どうしたんだろう。

 揃って飲み干す。

 


 「もう一杯、いるか?」

 

 「いや、いいよ」

 

 「そうか」

 


 彼からコップを受け取り、流しに持っていく。よく考えれば流し台に食器を浸けたのは久々だ。家庭的な構図がここに完成していた。僕と雄吾、家族。……無理そうだ。

 


 そんな、どうしようもない妄想の一切を切り捨て、雄吾の座るソファーの、少し離れたところに腰を下ろした。ボフッと体重をそのまま受け止めくれるソファー。座り心地は教室の椅子とは雲泥の差がある。

 


 一息吐く。そして。

 


 「……で、何しに来たんだ?まさか遊びにぃなんて言わないよな」

 

 「……言わねえよ」

 

 「じゃあ、なんだ――――」

 


 何だよ、と言おうとして、強制的に中断された。何故か。それは。

 ダンッ!、とおよそこの部屋が出せる音としては考えられないほどの大音量が轟いた。

 思わず肩がビクッと震えた。これまでの半開きだったものがいきなり覚醒した。

 


 「なあ、雨則。お前、どうするつもりだ?」

 

 「………は、ぁ?」

 


 何をどうするつもりなのか……、いや、考えるまでもない。雄吾の言いたいことはどうしようもないくらいに理解できてしまう。

 


 「夏樹さん、ならまだしも、海里さんが悲しんでいるのは、どういうことだ?」

 


 これはキレているなと確信してしまうくらいに低く、怒気の含まれた声音だ。僕より数センチ高い身長はそれだけで強者感を醸し出してきて、たぶん、殴り合いになれば十中八句僕が負けるだろう

 


 「………っ」

 


 だから射竦められたのか、僕は何も返せなかった。数秒続き、十数秒続き……。我慢の限界に達したのか、雄吾はテーブルを叩き、僕の胸倉に掴みかかってきた。

 


 「………が、ぁ」 

 


 不意の圧迫感に息が詰まる。恐怖心と呼吸困難で喃語だけが口から洩れる。でも、僕は、これだけのことをされても仕方がないと思ってしまっていた。それだけのことをやってきたから。身に余る報いの、その一端を今、味合わされているというだけだ。

 


 本来ならどれだけ非力であろうともやり返すのだが男として正しいことなのだろうが、僕はそんな気持ちは一切なく、たぶん、やり返す返さない以前に雄吾を誇りに感じていた。

 


 こんなにも人のことを大切に考えて、こんなにも人の為に怒ることのできる彼に、友人として、知人として、誇りに感じていた。

 


 「………ごめん」

 


 だから、この謝罪の言葉は僕と雄吾の関係や僕との関係のある人物に対しての様々な重複する意味を込めたものだ。その全てを雄吾が理解しているなど在り得ないことではあるのだが、彼の取る次の行動は、自信を持って予想できた。

 


 「……バカがっ!」

 


 頬が熱くなる。痛みが走る。……ほら、正解だ。僕は頬に手を当て、薄く笑んだ。

 痛かった。彼の拳は。痛かった。彼の想いは。

 その痛みが、僕には、あまりにも嬉しかった。これ以上にないくらいに。

 


 「………ごめん」

 


 謝ることしかできない。ロボットのように、それも不良品の類の。それが最善なのか最悪の言葉選びなのかはわからなかったが、今、この場で僕が漏らすことのできる、ただ唯一の言葉だった。

 


 「……っ!!」

 


 雄吾は思いっきり歯ぎしりをして、僕を睨んできた。自身の歯を噛み砕かんとするほどの力強さがあった。

 理性が働いたのか。次の一発への準備か。

 ……それでも。

 


 「………ごめん、な」

 

 「あま、のりぃ!」

 


 答えは後者だった。再び痛みが走る。同じ場所に前のよりも激しい一撃が入る。もう感触はほとんどなくなってしまった。手で触れているが、その感覚すらない。

 


 「………ごめん」

 


 雄吾に。夏樹に。海里に。知音に。皆に。

 


 「ごめん」

 

 「………っ、っ!!」

 


 雄吾は自らの拳を握りしめ、苦悶の表情を浮かべている。これは慟哭か。叫び散らしたい思いがひしひしと伝わってくる。

 雄吾はこれ以上殴ってはこなかった。 

 


 その理由は、この頬が。感覚のなくなった頬が理解している。答えを得ている。 

 ―――お前も痛いんだよな。

 いろんなところが。

 わからないんだよな。

 


 「……お前が、さ」

 


 口を開く。雄吾が。

 


 「お前が、何を考えているのかとか、何を思って行動しているのかとか、そんなことはわからねえよ。お前のやってることは間違いなく人間として最低の行為だ。どうしようもなくらいに最低で、最悪で、青春って言葉じゃ片付けられないくらいにどん底の行為だ。

 複雑なこととか、お前の気持ちとか、わからねえけどよ、………お前は、それでも俺のダチだからよ。……放っておけるわけねえじゃねえか」

 


 滔々と紡ぐ。本心を。雄吾という人間の本心を。

 その言葉が、一文一文が、一単語が……僕の胸に突き刺さって、切り裂いて、滅茶苦茶に痛めつけて……それで、どこまでも優しく傷を癒してくれる。

 その優しさに、その厳しさに僕は。 

 


 「……ごめん」

 


 と。

 


 「……ごめん」

 


 と。

 


 何故だか止めどなく溢れてくる涙を。拭っても拭っても止まらない雨のような雫の束が、優しく、厳しく、僕の混色に染められた心を洗い流していく。

 


 「………ごめん、……あ、りがとう」

 


 融解し、または冷却し、または洗い流し、または、パレットを白で染め上げていく。 

 夏以来だった。涙を流したのは。

 夏以来だった。涙の温かさを知ったのは。

 夏以来だった。友人の優しさを感じたのは。

 


 「……ありがとう」

 


 気付けば、そう呟く自分がいた。


 





 


 「じゃあ、帰るな」

 

 「……あぁ、気をつけろよ」 

 


 目の下の跡を手で触れながら雄吾を見送る。

 


 「しっかりけじめつけろよ」

 

 「あぁ」

 


 頷く。 

 それ以上は何も言わず、雄吾は去っていった。

 玄関までは見送らなかった。きっとそれは必要じゃないから。彼としても、きっと。

 

 


 カーテンを開く。

 


 「………」

 


 空は、まだ雲が覆っている。

 その時。スマホの通知が鳴る。誰からかは予想が付く。たぶん、そろそろ来るであろうとはわかっていた。

 


 通知は……電話だった。

 相手は……非通知。たぶん、向こうは僕の電話番号を知っているのだろう。

 ゆっくりと通話に出る。

 


 「………夏樹」

 

 「明日、午前十時、約束の場所に集合ね。海里ちゃんと白雨さんにはもう伝えてるから」

 

 「………あぁ、わかった」

 

 「それじゃあ、明日」

 

 「……うん」 

 


 プツリ、と切れる。彼女の声は消える。

 


 「………」

 


 来た。ついに来た。

 途端に襲われる不安や苦痛。吐き気に頭痛に眩暈。

 


 「………」

 


 冷や汗が流れ出す。身体が異常を警報してくる。

 

 でも。

 

 それでも。

 

 逃げない。

 

 夏樹の為に。

 

 海里の為に。

 

 知音の為に。

 

 僕の為に。

 

 ……友情と愛情と過去と未来と苦しみと悲しみと辛さと。

 

 僕と、三人と、夏と、過去の為に。

 

 もう、逃げない。

 

 


ありがとうございました。

誤字脱字、ブクマ、評価をよろしくお願いします。

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