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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「中篇」高校二年 冬 
25/39

8 邂逅

ここまでは序章だと考えてください。

 休日が明けた月曜日。今日を以て12月に入った。一年の最後の月。その始まりの朝は最悪だった。 

 


 「いっつ……!」

 


 ドン、と鈍い音が朝の部屋に響き渡る。洗顔を行うべく浴室のドアを開け、入ろうとした所で開けたドアの角に足の小指をぶつけてしまった。爪が割れてしまったんじゃないかというくらいに鮮烈すぎる痛みが走る。


 

 こうして思わず声が漏れるくらいに。

 靴下を履いていなかったためみるみるうちに赤く血液が溜まっていくのを痛みが集約されていくのと同じように感じ取った。

 


 浴室から逃げ帰るようにソファーに腰を下ろした僕。今度は小指をじっくりと至近距離で観察する。

 


 「爪は……大丈夫、か」

 


 目に見える外傷の程度は小さかった。少し皮が剥けてしまったくらいの、日々生きていればこれくらいのこと茶飯事とまではいかないが、まあよくあるくらいの事故だ。



 しかし、そんな外面的な傷はないにしても、内面から滔々と溢れてくるこの灼けるような痛みに関してはまた別だ。

 


 「冷やすか……」

 


 けんけんしながら飲料物しか入っていない冷蔵庫へ向かう。開けるのは冷凍庫。冷やし続けて一年ほど経つであろう氷温パックを取り出す。冷凍庫を開けるなんて夏の頃、アイスを冷やす用途で利用していた時以来だ。



 ただの水から凝固されて固体となったそれは、つい今しがたまで完全に記憶の海にも存在しなかった代物で、取り出し、生の空気を浴びた氷温パックはようやく自身の在り方を全うできることへの喜びを感じてか、僕の握力では簡単には割れてしまわないほどの硬さがあった。

 


 小指に当てて数分。大分赤みも収まってきた。

 「もう、いいだろ」と見切りをつけ、僕は立ち上がる。パックをそのまま冷凍庫へ仕舞う。生ごみに捨てるという選択肢もあるけど、何となく勿体なかった。

 


 再び浴室のドアを開ける。今度は細心の注意を払って中へと歩み入る。一度あることは二度あるものだ。それは二度あることは三度ある、という最悪な可能性へ繋がるから、最低でも今日から一週間は生足でドアを開ける時は気を付けることにしよう。

 


 こうして、ようやく入室した浴槽の、洗面所の前に立つ。シングルレバー型の蛇口を下ろす。それに呼応して噴き出る水。軽く手を洗い、顔にたたきつける。この瞬間、最悪ではあるが、心地のよい朝を迎えることができたと実感する。

 


 気付けば痛みはとっくにどこかの空へと飛んで行っていた。まだ触れればチクリとした感覚があるのかもしれない。登校中であったり、生活に支障をきたさなければいいのだが。

 


 「行ってきます」

 


 身支度をして、海里と合流するどこかまでの間、一人静かに登校する。僕の発する声は部屋の中へ残響し、そして忘れ去られるように消えていく。

 


 擦れ違う人の格好を視ればある程度の温度や季節を知ることができる。人間観察なんて趣味ではないけれど、このような体質というかなんというか、まあそんな特異性のある体になってしまってからは、より過剰に敏感に人の営みを観察するようになった。



 夏の暑さは確かに身体にあった。しかし、秋の半ばから現在にかけてからの季節的な感覚というのを感じなくなってしまった。それに外界から感じる冷たさ、その最たる例として、さっき自室で使った氷温パックがそうだ。常人、というか、普通なら……いや、誰もが冷たいものに触れば冷たいと認識するし、熱ければ熱いと脊髄が反応して、反射するだろう。



 氷温パックだってそうだ。パックされているが中にあるのは氷だ。当然、触れば冷たい。しかし僕は、その人間の皮膚の機能としてあるべきそれを何の理由か失ってしまっている。その事実に気づいた当時は恐怖したし、パニックにもなった。病院に行けばどうも的を射ないことばかり告げられる始末。

 


まあ、結局は馴れだった。人間、適応する生き物だ。どんなに過酷な環境であろうとも、また、どれだけの楽園を提供されようとも、慣れてしまえばそれが普通になってしまう。僕の症状の場合も、考え方を変えれば、少し人よりも運がなかった、それだけなのだ。

 


 「おはよう、雨則」

 


 僕の肩に手が置かれる。心霊的な何かかなんてふと思ったが、声を聴いて、それが誰のものであるかを認識して、すぐに否定する。

 


 「おう、海里」

 


 くるりと一回転しながら僕の前に踊り出る海里。鞄も一緒に同方向へ回り海里が動きを止めるのに従って少々の反動と共に止まった。

 そして、止まった先でニコリと朝から爛漫の笑みを向けてきた。

 


 「昨日は何してたの?」

 

 「ん、えっとー、一日中家でゴロゴロしてた」

 


 頬を掻きながら昨日の自堕落さを思い出した。

 


 「私も似たようなものかな。寒いからすることなかったし、まあ、当然よね」

 

 「そ、そうだな」

 


 海里の場合、寒く無くても家にいそうだが。まじで学校がなければ引き籠り予備軍として危険視してもいいくらいに。

 


 「土曜日はありがとうな、お母さんに言っててよ、美味しかったですって」

 

 「それもう土曜日に何回も言ってるでしょ!お母さんも聞き飽きたんじゃないかしら」

 

 「そうだけど、本当に美味しかったから」

 


 本心をそのまま伝えると。

 


 「む、私というものがありながら、別の女のこと誉めちゃって」

 


 わざとらしく頬を膨らませた。腰に手をやって最もらしく怒っているというポーズを取っている。

 


 「そもそも海里の手料理って食べたことがないからな」

 

 「………あ、確かに」

 


 と、今度は虚を突かれたようにハッとなった。今度は本当に思っていることがそのまま顔の動きに現れている。

 


 「海里もお母さん譲りの味が出せるのかなぁ、楽しみだなぁ」

 


 なんて煽るように海里の顔をちらちらと見ながら言う。

 


 「………と、当然よ、当然。お母さんの味なんて娘なんだから余裕で出せるわよ。もしかしたらお母さんより美味しいかもしれないわよ」

 

 「お、大きくでたな。そりゃ楽しみだ」

 

 「……ふ、ふふっ、楽しみにしていなさい」

 


 明らかに引き攣った笑みで、高らかに宣言する海里に僕は苦笑しながらもノリに乗った。 

 それから教室に着くまでの間、隣で歩く海里の焦燥と「どうしよう……」という小言は止まらなかった。

 


 校門に足を踏み入れた僕と海里はそのまま別れるようにそれぞれの教室へ向かった。教室棟は二人とも同じなのだけど、海里は「用事があるから」と先に走って行ってしまった。

 


 取り残された僕は後を追うことはせず、一人とぼとぼとまだ生徒の少ない校内を歩く。

 ちらちらと見えるグラウンドから朝練の最中であろう生徒達の元気な笑い声なんかが聞こえてくる。体育館からはバスケットボールであったりバレーボールであったりが床にバウンドしている音が聞こえてくる。


 そんな、それら諸々をバックにして校舎へ入る。

 


 校舎の中に入ってしまえばそれほど五月蠅く感じるほどの声や音も聴こえてこなくなる。遮音しようと思ったらイヤホンでもすればいいのだけど、静かな朝は落ち着くが、騒がしいというのも嫌いではない。丁度いいBGM代わりになる。



 ただ五月蠅すぎるというのはダメだ。絶妙なバランスの取れた丁度良さが朝の喧騒には大事なのだ。

 響く階段。響く廊下。ペタペタ、とスリッパが鳴る。

 


 そして。ガララと教室のドアを開けた。

 教室に貼ってすぐに雄吾と三樹弥の存在を視界に収めた。が、無視して自分の席へ向かう。一昨日、夏樹の家から逃げ出してそのままになっている僕と二人。なるべく関わりたくない気持ちがあった。

 


 机に鞄を置き、椅子に腰かける。

 ふぅ、と一息入れた僕、それを見て雄吾と三樹弥がこちらに目を向けた。その目は僕に近づいてくる。つまりこちらに向かってきている。

 


 「よお、雨則」

 

 「おはよう、雨則」

 


 はたして顔を合わせた僕と二人だが、土曜のことなど何もなかったかのように笑顔で挨拶を投げてきた。僕は少し驚いてしまったが、気を使ってくれているのだろうと思い、素直にその優しさに甘えることにした。

 


 「おう、おはよう雄吾、三樹弥」

 


 少しだけ気分が和らいだ。逃げてしまった僕には二人に対してちょっとした罪悪感があった。それを気にしていないことはないだろうけども、敢えて気にかけない配慮に僕は嬉しさを覚えていた。

 


 だから無理に話題に出す必要はないと謝ることもせずただ雑談に花を咲かせようと決めたのだ。

 だけど。

 


 「そういえばさ、雨則。一昨日の夜にお前のこと知ってそうな子に会ったんだよ」

 

 「………ん?」

 


 一昨日、あまり話したくない日のことを何の気兼ねもなく切り出され少し焦ってしまう。二人には悟らせないようにしようと判断したが、次の「夜」という単語には思わず声が漏れた。

 


 「あ、そうそう、雨則のこと凄く知ってそうな人だったよ」

 

 「………夏樹、じゃないのか?」

 

 「うん、夏樹さんではないよ。でも、女の子、だった」

 


 三樹弥は僕の知らない場面の記憶を手繰り寄せている。

 


 「それって……名前は憶えてるか?」

 

 「あ、うん。珍しい苗字だったから、よく」

 


 珍しい苗字。と、それだけ聞いて僕の中の何かがざわっとした。鳥肌ではなくて、奥底に仕舞いこんだ何かが開け放たれたような、開いてはならない禁断の扉が開かれたような、そんな第六感を思わせるほどに明瞭な何か。

 


 そして。

 


 「確か―――白雨知音さん、だったかな」

 

 「………な、に」

 


 その苗字を、その名前を聴いて、僕は。意識がどこか遠のくようなそんな感覚を覚えた。

 自然的な呼吸は自らが意識して行わなければ酸素を吸い込めないほどに。二酸化炭素を吐き出せないほどに。

 


 今日は朝から最悪だった。しかし、反対に今日という日を最高だと誰に対しても言える誰かも、また、いた。

 

 


 Another View

 


 「今日も寒いなぁ」

 


 一段と寒さを感じられる朝。こちらに越してきて2回目の朝を迎える今日。肌に突き刺さるような寒さを感じながら、私は新しい制服に袖を通した。

 


 約1年とちょっとの間着ていた制服はもう実家に置いてきてしまった。つまり、今の私は昔のことには囚われない、新しい私なのだ。彼に対しての気持ちだけは昔から変わらないが。

 


 一人暮らし、新居、私にとって新しい生活にはまだまだ慣れないことが多い。未だに眠りから覚めると見慣れない天井にどこか現実感を持てなくなる。

 目覚ましに仕掛けていたスマホが鳴るのは数分後。目覚めの悪い私にとってすればこの寒苦しい朝に目覚ましよりも早く布団から出られたことも、素早く制服に着替えていることも奇跡に近い。

 


 癖の付いていない制服を手で擦って正すという意味のない動作をしながら、「朝ごはん食べよ」と一人呟く。

 寝起きに電源を入れた暖房のお陰で幾分か温まってきた部屋を歩き、冷蔵庫を開ける。親に告げていたとはいえ転校しての引っ越しだから家具類は中古ものばかりだ。



 この時期は特に居住場所を移すなんてことをする人は少ないからホームセンターに販売している家具の数は少なかった。無論、この冷蔵庫も中古でそれも一番安かったやつだ。

 


 冷蔵庫の中身はある程度潤っていた。昨日の内に買いだめしておいたお陰でここから先1週間は食に困ることはないだろう。

 朝ご飯用にバナナとヨーグルトを、昼ご飯用に………。

 


 「コンビニで買えばいっか」

 


 食材は潤ってはいるが、料理はしていなかった。準備不足な自分を恨みながら手にあるバナナの皮を剥く。同時にヨーグルトの蓋を開ける。お腹に堪らないかもしれないという心配はない。元より小食であるから。

 


 量は少ないながらも食べ終わるのに十分程度を要した。だからと言っても全然時間には余裕はある、が。

 


 「早めに行こうか」

 


 何事も保険はかけて置いて正解である。まだ一度もこれから通う学校の近辺を見たことがない私にとってこの時間までに登校するように、と電話越しでだが設定された刻限に間に合わせる為にもこうして約束の1時間ほど前から行動に出るのは至極当然のことである。

 


 後は出かけるだけだ、という状態になったところで中学の頃から愛用しているマフラーと買ってもらったばかりの手袋を付けた。

玄関のドアを開ける。

 


 「行ってきます……って私一人だったわ」

 


 挨拶をする必要のない新鮮味と、誰も挨拶を返してくれないほんのちょっとの寂寥感の二重の意味を持った呟きが出た。

 


 鞄を肩にかけ直す。この鞄と制服が私が学生であることの証になる。

 2階に住んでいる私にはエレベーターより階段の方が効率的だったりする。それはエレベーターまでの距離と乗り降りの時間を考えての結論だ。一昨日、なんとかこのマンションまで辿り着いた私はエレベーターに乗った。


 

 そして、昨日は、ちょっとした冒険心に従って階段を使って下りた。その結果、私がこれから活用するのは階段、ということが決定した。一人暮らし、理想通りなこともたくさんあるけど、現実を思い知る場面もたくさんあるよね。

 


 階段を降りた私は鞄からスマホを取り出す。最初から出しておいてもよかった、と少し後悔じみた感情が浮かぶ。しかし、そんなことはすぐに頭から離れ、代わりに目的地への道しるべが表示された画像に目と頭を向ける。

 


 「こっちが、こう……で、ふむふむ」

 


 ある程度の方向に足を向け歩幅を小さくしながら歩く。それは、確証のない真実へ向けて疑惑の中で葛藤している表れだった。真実にさえ辿り着くことができれば私のこの歩幅も大きく自信を持ったものになるだろう。

 


 ぶつぶつと独り言ちながら少しずつ、ほんの少しずつ真実へと近づいている。

 肌に触れただけで震えあがるほどの寒さを受けながらまるで極寒の地で微かに見える暖かそうな一軒家を目指す旅人のように、私はただ足を前へ進める。

 

 


 時刻を見れば約束の時間まであと10分もなかった。つまりはこの極寒の中を50分もの間活動していたともいえる。しかし、万全な準備をしていたこともあり今となってはもう寒さも苦ではなくなっていた。

 


 ちらほらと私と似た格好をしている生徒が見える。その全員が向かう先は同じ坂の上。

 そのまた少し先を見れば木々によって見え隠れしているが、校舎らしき建物の影がある。

 


 「あそこだ!」

 


 予想というか、もう半ば確信的にあそこが自分の目指すべき場所であると、目指していた真実であると、そう思い駆けだす。

 


 時間はない、運動神経の良い方ではない私が珍しく自らの意志で走る。

 乱れるように呼吸する。吐き出す息は汽車の汽笛のように歩いている時より多くて、継続的で温暖化を促進しているまである。地球規模の問題なんてあまりに壮大過ぎるが故に自分一人の力ではどうしようもできない。



 だから、本当に些細ではあるが、地球の環境悪化に直結すると分かっていても仕方がないと思ってしまう。今でもそうだ。今。なう。この時、この瞬間に地球上でどれほどの人が走り息を吐いているか。

 


 「地球さん、ごめんなさい」

 


 そう言いながらも走るしかなかった。坂道を駆けあがっていく。朝っぱらから息を切らして走る少女に何だ何だと奇怪な物を見る視線が刺してくるが気にしない。

 


 ただ、ゴールへ向けて、ラストラン。その先、雨則がいるのだから。

 

 

 「来たよ、雨則」

 


 校門が見えたところで私はそう口走っていた。


 


 



 朝のホームルームが始まった。先生に対して挨拶をし、出欠を取る。

 そんな当たり前の時間。だけど。

 


 「今日はこのクラスに転入生がやってきた」

 


 非日常を告げる。教室は慌ただしくなる。この時期に、そして、噂にもならなかったから生徒の身からしてみれば唐突だ。

 


 教室のドアの前。僕の方からはシルエットしか見えなかったけど。

 


 「入って」

 

 「はい」

 


 先生の指示で一歩踏み出したその生徒を見た僕は――――。

 


 「知音」

 


 一人、僕と雄吾と三樹弥と先生しか知らない名を呟いた。

 


 「初めまして、白雨知音と言います」

 


 そう言って、ニコリと微笑んだ。

 

 






ありがとうございました。

誤字脱字、ブクマ、評価をよろしくお願いします。

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