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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「中篇」高校二年 冬 
24/39

7 あの日の理由

幕間から始まります。

 それからの僕と海里は対策を練ると宣いながら、しかし、結局は二人そろって読書をしたり雑談をしたりするという何とも緊張感のない時間を過ごした。



 僕がトイレという名目で行った晴香さんとの雑談が戻ってきても彼女の視線は並べられた文字にしか向いていなかったことから、これは海里なりの「この話題にはもう触れないで」というサインかと臆見し黙っていれば本当に1ミリたりとも会話に出てこなかったため、気になっても暗黙の了解を推し量るような空気になったので、現在、瀬口宅で食卓を囲むその時になっても変わらず世間話に花を咲かせているという現状を続けている。

 


 「雨則君、たくさん食べてね」

 


 晴香さんは万人を魅了するような笑みを浮かべ僕を見てくる。無理矢理に笑顔を作っているわけではないのだろうけど、本心からの笑顔ではないように見えた。



 それでも華があるという表現が合うくらいの美しさが歪さの中に介在している。

 


 「いつもすみません、いただきます」

 

 「お母さん、私も、いただきますね」

 

 「はい、どうぞ。海里ちゃん」

 


 僕の後に続いて手を合わせた海里と晴香さんの会話と態度は互いに他人だった。電気のおかげで明るい食卓だが、目に見えない部分が暗くしている。両極端な光度は居心地の悪さという結果を以てここに影響を及ぼしていた。

 


 「美味しいですね、これ。このお肉とか高級肉かと思うくらい柔らかいですよ」

 


 3人が囲むテーブルは、僕が会話の担い手をしなければ瞬時に沈黙してしまう。だから、どうでもいいような話題でも浮かんだらすぐに口に出すようにしている。



 そして、今回も定石になりつつある、取り敢えず料理を誉めるを使う。切り札を一枚切った。

 


 「そんなことないよ。スーパーに売ってる安い冷凍肉を熱しているから食べやすくなってるだけよ」

 

 「まあ、そうかもしれないですけど、それでも……あっ、この出汁とっても味が濃いですね。美味しいです」

 

 「ふふっ、ありがとう。雨則君がいつも誉めてくれるから私の腕もグングン伸びていくわ」

 

 「それは……ありがとうございます」

 


 嬉しいけど、嬉しくない。本当に晴香さんの口から聴きたいのはもっと家族愛的な言葉だ。しかし、晴香さんの目は僕か自分の食器か、鍋しか見ていない。あと一つ、何よりも大切なものを見落としている。

 


 僕は少なくとも週に1度はこうして瀬口宅で晴香さんの手料理をごちそうになっている。初めて家にお邪魔してからというもの訪れる度に食べるようになっている。



 海里の願いなのか、晴香さんの親切心なのかはもう忘れてしまったが、海里と晴香さんの過去を知るほぼ唯一の存在としての責務であるとそう思っている。

 


 「海里も美味しいよね」

 


 僕はすっかり会話から外れてしまっている海里に目を向けた。その時だけはちらっとだが晴香さんも海里の方を目視した。一瞬だけ思い出したかのように、そして、次に彼女を見るともう海里の存在はない。

 


 「うん、美味しい」

 


 海里もそれだけ。まるで英語で「はい、そうです」と喋っているようにしか見えないくらいに、常套句のような検索欄に一文字打てば予測で打とうと思っていた全ての言葉がでてくるみたいに形骸的な音だけが部屋に響いた。

 


 「海里も美味しいって言ってますよ、晴香さん。良かったですね!」

 

 「海里ちゃん、ありがとう」

 

 「………っ」

 


 晴香さんもどこか空を見つめて、海里のいない方へ向けて、そう言い放った。僕は思わず絶句した。海里から聴いていた過去の家族とはあまりにも遠くかけ離れてしまっていた。これがあの日の海里が望んだ日常からの脱却とでも言うのか。

 


 「……すいません、お替りを貰ってもいいですか?」

 

 「うん!いいよ」

 


 僕は茶碗を晴香さんに差し出した。すると心底嬉しそうな幸せそうな表情と声音が目と耳に飛び込んできた。

 御玉で具を掬う。色とりどりで健康そうな一杯が茶碗に装られる。

 


 「はい、どうぞ」

 

 「ありがとうございます」

 


 茶碗の側面から温かさが肌に染み渡った。僕の知らない温かさだった。

 温まった身体に冷えた麦茶を流す。鍋であるから喉は潤うはずなのだけれど、飲み物とはまた別だ。

 


 「まだまだたくさんあるから、一杯食べてね」

 


 晴香さんは既に空になった茶碗と箸を持って立ち上がった。

 


 「もう、食べないんですか?」

 

 「うん、お腹いっぱいになっちゃった」

 


 僕の分は何度か注いで貰ったが晴香さん自身が食べるところをあまり見ていない。中身がなくなっているから食べはしたのだろうけど。隣接するようにあるキッチンから水の流れる音がする。流し台で弾ける水の音色。


 

 時たま混じる茶碗にかかる水の音。その音と光景はひどく一般的な家庭で、平凡な暮らしの在り方を体現していて。だからこそ、人の声の一切しないこの部屋は息が詰まるほどに窮屈だった。

 


 少しして海里が手を合わせた。そしてどこか心の抜けた声で「ごちそうさまでした」と。

 対して晴香さんも定型文で「お粗末さまでした」と。

 


 「雨則、先部屋に行ってるから」

 

 「うん、わかった」

 


 これもいつものこと。ダイニングテーブルから二人がいなくなる。こうして残った僕は一人、大量に鍋に残る具を口に入れ、腹に流しこみ続ける。とても美味しかった。 

 


 「ごちそうさまでした、ありがとうございます、晴香さん」

 

 「お粗末様、食器は私が洗っておくから雨則君はゆっくりしてて」

 

 「いや、悪いですよ」と口に出す頃にはもう茶碗もコップも晴香さんの手にあった。

 

 

 「すいません、よろしくお願いします」

 

 「うん」

 


 海里がこの光景を見たらどう思うだろうか。以前に、夕食の時の僕と晴香さんは海里にどう映っただろう。

 食器を洗浄機に入れているであろう晴香さんを尻目に僕は音を立てずに海里の部屋へと向かった。

 


 「海里入るよ」

 

 「うん」

 


 合言葉のような言葉を交わし、僕はドアのノックを捻った。部屋は暖房が入っているようで、鍋をたらふく食べた後の僕には少々暑すぎた。しかし、招いてもらっている立場として我儘は言ってられなかった。

 


 僕は海里の対面に座る。テーブル一つ跨いで、海里の体温は数十センチ先にある。

 


 「雨則、暑くない?」

 


 見ると海里は読書をしていた。気が向いた時にお風呂に入って、また、気が向いた時に眠るのだろう。そして、今、気が向いたから読書をしているようだ。

 


 そんな海里は一度本から目を離し、顔をこちらに向けて室温の高さについて訊いてきた。

 


 「少し暑いかな」

 

 「わかった」

 


 海里はテーブルに置いてあるリモコンを操作する。普段だったら、立場が逆なのだが。

 2回ほどボタンを押す動作をした。同時に2回、リモコンから音が発せられる。

 


 「海里は寒くない?」

 


 逆に問う。もう下げてしまったのだからどうしようもない問いかけなのだが。

 


 「私は別に、暖房が付いててもそうでなくてもどうでもいい」

 


 じゃあ、どうして付けたんだろう、という疑問は心の中にとどめておくとして。

 


 「……鍋、美味しかったね」

 


 少しだけ逡巡し、結局、口に出した。あまり晴香さんと関係のある話はしてほしくないのかもしれないけど、二人の関係を考えればどうしても放っておくことはできなかった。晴香さんではなく海里に話を振ったのは単に僕には晴香さんを救うだけの勇気がないからだ。



 たぶん、僕では彼女は救えない。それが成し得るのは、きっと……。

 


 「だね、お母さんの作るご飯いつも美味しいから」

 

 「そうだね」

 


 本人の前ではそっけない海里だけど、本心は違う。それは、もうずっと、僕がこの家に初めて訪れた時から分かっていたことだ。海里は晴香さんを親として想っている。一人の親の子どもとして、母から生まれてきた子供として。

 


 「……そこまで想っているのなら、なんで」

 

 

 分からなかった。

 


 「――――分からないの」

 

 「………ぇ」

 

 「あの日、私の人生が変わったのは、いえ、私とお母さん、それとお父さんの人生が変わったのは、私の所為じゃないのかなって、思う時があって」

 

 「それって、どういう……」

 

 「あの日に貴方と出会わなければ今はなかった、前にそう言ったじゃない」

 

 「……うん」

 


 それは、夏の日。海里を選んだ夏の音がしていた時期。確かに、僕は海里の本当の部分を垣間見た。

 


 「それはその通りよ。あの日がなければ貴方を話すことも、貴方の顔を見ることも、貴方を好きになることもなかった」

 

 「……」

 


 顔が赤くなっていくのを感じた。海里の想いが、心がそこにあった。

 


 「でもね」

 


 と。海里の内面が揺れる。それは動揺か、苦痛か。僕にはわからなかったけど、年相応の子どもが抱いてはならない類の痛みであることがわかる。それだけ、大きなものが伝わってきた。

 


 「もしあの日、私が家を飛び出していなければ、お父さんが死んで、お母さんが壊れてしまわなかったかもしれない」

 

 「………」

 


 それは、つまり。僕に出会わなければ晴香さんもお父さんも海里も皆が笑っていられる未来があったのかもしれないってことだ。

 


 「……まあ、可能性の話だから、それにお父さんからは嫌われていたし。家庭環境なんて改善しなかったかもしれないしね」

 

 「それでも、君と晴香さんが笑い合える未来があったのかもしれない、と」

 父の暴力、駄菓子屋の娘としての立場、きっと普通ではない道を辿るのだろうけど。

 

 「ごめんね、雨則本人の前なのに、こんなこと」

 

 「いや、大丈夫、だよ」

 


 大丈夫だった。目の前の海里の心境に比べれば、全然大丈夫だった。

 


 「もう終わった話なのにね。全部過去の話なのにね。お母さんを見てると、たまに思い出しちゃうんだよ。お父さんに叩かれて、お母さんのご飯を食べて、お風呂に入って、美容に気を使って、駄菓子屋の毎日のことを」

 


 もう、ここにはない情景。ただ頭の中にだけ存在する記憶の残滓。

 その時、やっと気付いた。

 


 海里は見ているのだろう。晴香さんを見ることで過去の記憶を。そして、僕を見ることで在ったかもしれない今の光景を。

 


 『好きよ、雨則。大好き。あなたにそれを伝える為に私は、あの日から頑張ってきたのよ』

 


 「好きよ、雨則。大好き。貴方のことがずっと前から好き」

 


 「…………」

 


 あの時の言葉の真実を。重さを。今、ようやく理解した。

 

 あの雨の理由が、ようやくわかった。



 

 それから間もなくして僕は瀬口宅を後にした。あれから海里には何も言えなかった。晴香さんにも、ただ、「お邪魔しました」としか言えなかった。

 


 空はもう闇に塗れていた。夜の闇夜すら通さない路地にはいくらかの光があった。

 


 僕の背中の光もまだ消えてはいなかった。

 


 「おやすみ、海里」

 


 彼女の家とは反対を向き、そう呟いた。土曜日の夜が更けていく。それぞれの想いが重なり合って、溶け合って。新たなる波紋を呼びながら。寒さを感じない夜が過ぎていく。

 


 白い星が降っていた。






 「幕間」

 


 少し時は遡り、雨則が雄吾と三樹弥と共にゲームセンターで遊んでいた時のこと。

 


 初めての都会。昼の飛行機でこちらにやってきてまず最初に私が感じたのは故郷とはまるで比較にもならないほどの寒さだった。

 


 この季節であるから寒くないわけがないが、私の場合、住んでいた地域が西過ぎた。こうして、直に肌で感じることで、私は、温暖で住みやすい土地で暮らしてきたものだと、そう思った。

 


 溢れかえる人混み。都会なんて来たのは中学校の修学旅行以来かもしれない。当時も似たようなことを考えて驚いたような気がする。あの時から何も変化のない自分に笑いが出る。そう、あの日から、何も、全く、これっぽっちも変わっていない。



 生活も関係も、恋も。けれど、今日この日にようやく進展することができる。あまりにも時間を費やしてしまってけど、全てはこの日の為に。ここへ来るために。また、あの人に会うために。最愛の彼に、恋慕する彼に。

 


 「そんなことよりもまずは……この空港を出ることからだね」

 


 規模が違う。計り知れないほどの広大さを誇る人工物。あっちを見てもこっちを見ても、果てのない一本道だけが続いている。どちらがどこに続いているのか。それすらも判別がつかない。これが都会。



 まだ降り立って数分しか経っていないにも関わらず既に圧倒され尽くしてしまった。

 


 「けど、ここで立ち止まってたら、また会えない時間が長くなっちゃう」

 


 そう呟く。自分に言い聞かせるように。恋焦がれるあの人へ向けて。手向けをするように外に見える厚い雲に覆われた空を見上げて。 

 


 「ようやく来たよ。待っててね――――――雨則」

 


 彼の預かりしれないところから新たな火種は舞い降りた。さながら死神のように。彼との邂逅、それだけをひたすらに願い続けた彼女が。

ありがとうございました。

誤字脱字、ブクマ、評価をよろしくお願いします。

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