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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「中篇」高校二年 冬 
23/39

6 不安を伝えに

 固まっていた時間の流れは堰を切るように再び刻みだす。電池切れの時計に命を吹き込ませることで自身の存在を認識するように、あの夏の時間から今までの静止していた分を恐ろしい速さで辿り返してくる。

 


 一度止まったものは中々動けないように、一度動き出したものは濁流に押されるように止まらないのだ。

 


 だから、今日何もなくても、明日何も起きないとは決して、必ずしも言い切ることなど不可能である。

 


 その発端が本人の預かりしれない場所からであったとしても。

 


 『海里、今、家にいる?』

 


 冬道の途中、舞う白息と共に、僕の声が辺りに響いた。どれだけ呼吸しても、どれだけ落ち着いたとしても、声から感じられる焦燥は海里に認識されてしまう。

 


 『何か、あったの?』

 


 当然、僕の声音の節々から伝わった平常ではない状況に海里は語気を強めて訊いて来る。

 緊迫していることは察しているだろうけど、それが大小どの程度であるのかまでは定かではないようだ。


  

 直接、顔を合わせているわけではないから、聴覚から取り入れられる声のみの断片的な情報でしかわからない。これが電話の短所であるが、夏樹の家から逃げ出して自宅へ帰るべきか、海里と会うべきかを振いにかけた時、即座に後者を選んだ、次の瞬間にこうして海里の電波越しの肉声を聞くことができるのだから本当に便利なものだ。

 


 次の一言を取り出す前に一息つく。スマホを遠くへ引き離して深呼吸をする。

 


 『まあ、いろいろあったよ。それも海里にも関係してるような』

 

 『………そう。分かった、私、家にいるけどそっち行こうか?』

 


 ここで最初の質問の回答が返ってきた。そういえば休日は大体家で自堕落な生活を送っているなんて聞いた記憶があった。それじゃあ、ついさっきまでは、好きな本を読んでいたのだろうか、それとも勉強としていたのだろうか。


 

 どちらにせよ、巻き込んでしまうのは悪いが、近いうちに夏樹が何らかのアクションを取ってこない確証はない。

 


 だから。

 


 『いや、僕がそっちに行くよ。すぐ行くから待ってて』

 


 と、もう足は瀬口宅へと向いているが、改めて告げた。最早、決定事項化していることに海里は動揺を見せる――こともなくすぐさま『分かった、待ってる』と了承した。 

 


 行儀的な作法などお構いなしに電話を切る。プツッと糸の切れるような音がして、同時に海里の声と呼吸が消えた。ツーツーと機械音だけが耳元で木霊する。

 


 僕は数度、機械音を聴き、使い慣れた感覚でスマホをスリープモードにする。人工的な光が消える。遮断された光、生まれた闇。そこには少しだけ安心した自分の顔があった。

 


 時刻は午後2時過ぎ。日はまだ高い、はずなのだが厚い雲に覆われていて上手くその日光を地面に当てられていなかった。まるで封鎖されているかのように、外界からの干渉を遮断している。しかし、その例外のように降る雪。



 積もる雪。何が良くて、何がダメなのか、自然が取捨選択する事象は理解できない。

 走ることはせず、しかし競歩のような早歩きで歩む。スマホをポケットにしまう。幾度か僕の太ももが微震するのを感じたが気にしない。



 それが、どのような理由であるのか、また、誰からであるのか、それらを大方察しているからだ。

 


 「雄吾と三樹弥には悪いことしたな。明後日の学校にでも謝っておこう」

 


 今後為すべきことを口に出す。けど、今口に出したそれは僕にとっての優先度はあまりにも低いものだった。口に出して脳に記憶させておかなければ忘れてしまいそうな、それくらい、僕の心は揺れていたから。

 


 車とかトラックとかバイクとか往来の激しい午後の時間。比例して、屋台や商店前などに群がる人混みも激しさに満ちていた。特に主婦や子供。あと休日であることも良いことに溢れ返るカップル。人がゴミのようにいた。


 

 世界的に有名なテーマパークなんかも四方八方どこを見渡しても人でごった返しているのに比べればなんてことないかもしれないが、急事に急かされる僕にとってこの煩雑なまでの混み具合には嘆息してしまう。



 これが、反対の立場ならば気にも留めないだろうに。

 海里と付き合い始めて何度か通ったこの商店が並ぶ道のり。夏樹の家近辺に寄った回数よりもこちらの方が多くなっている。



 冬の寒さを知らなければ夏の暑さも知らないこの道は、秋の心地よさという中途半端さだけを知っていた。

 


 「もう少しか」

 


 いつも曲がり立ち入る路地が見えてきた。欄列するように建つアパートなどに空を遮られている為、生の光は中々当たることのない、かといって街灯が丁寧に定感覚刻みで照らしてくれているかと言われるとそれも否だ。



 規則を知らないかのように点々と植え付けられている街灯はまるで思い出したかのように閃いたかと思うと、途端に消える。それを繰り返し、延々と繰り返し、終わることのない明滅を続けている。

 


 そんな、立ち入る者を選びそうな路地に海里の、いや、瀬口宅はあった。まるで、何者かから隠れ忍ぶように。

 


 僕はそんな雰囲気に慣れてしまった自分に苦笑しながら、外れかけのチャイムを押した。本当に鳴っているのかと不安になるくらい電線が飛び出ており、それが確かに内蔵する基盤と互換しているという事実を建物の中から聴こえた返事によって理解した。

 


 ガチャ、と立て付けの悪そうなドアが開く。僕は、出てくる相手に備えるように笑顔を貼り付ける。

 


 「こんにちは、雨則君」

 


 君、をつけてくる、ということは。

 


 「どうも、晴香さん」

 


 ドアから顔を出したのは、美女といっても過言ではないほどに美しい女性だった。夏樹のお母さんも十分美しい部類に入っていたけど、晴香さん――瀬口春香さんはまた別格だった。知り合って数カ月になった今でも思わず見惚れてしまいそうになるくらいに。

 


 「お邪魔してもいいですか?晴香さん」

 

 「……ええ、どうぞ、海里ちゃんなら部屋にいますよ」

 


 自分の娘であるのに、どこか他人のようだった。

 


 「はい、失礼します」

 


 確かに綺麗だ。売れっ子の女優と比べても負けず劣らずといった感想を抱ける。……でも、彼女はところどころが歪だ。

 


 外見もだけど、一番は内面が。その理由を知っている僕は、それでも何も声をかけては上げられなかった。それができるほど僕はできた人間でもないし、できるほどの勇気を意志を持ち合わせてはいなかったから。

 


 外装に比べればいくらかマシというか、一般的な綺麗な内装をしている。壁は床も天井もどこか剥がれていたり汚れていたりなんて欠点はなく、ゴミも落ちていない、定期的に掃除のされている、そんな清潔味を帯びた空間だった。

 


 「海里、開けるよ」

 


 海里の部屋の前に立った僕はドアの向こうへと発した。彼女ではあるけど、されど女の子だ。許可を出さずして入ることはいろいろアウトだ。

 


 「うん、いいよ」

 


 すぐに返ってきた。ドア越しだけど生の海里の声がそこにはあった。

 「失礼」と一言、そして、ドアを開ける。開きながら最初に目に入ったのはベッド。冬であることを意識した厚みのあるシーツや毛布が引かれている。周到なメイキングが施されておりどこかホテルを思わせる。

 


 次に、ベッドの奥から見え隠れしているのは机。小学校へと上がる頃に買ってもらうような、おばあちゃんの家によく似たものがある。

 


 ……そして。その他、家具であったりと正直およそ同学年の女子の部屋とは思えない無機質さの中央に海里がいた。薄茶色のカーペットに座って読書をする海里がいた。

 


 「そこに座って」

 


 ちらりと本から目を離して彼女と相対する形になれる、カーペットの上に置かれたテーブルを挟んだそこに座れと促された。

 テーブルには何冊か本が天井に向けて重ねられている。

 


 「それで、どうしたの?」

 


 海里は本から目を離さず訊いてきた。普段の海里と違う雰囲気。読書をしている時特有のものだ。今、彼女は、本を読むのに半分、そして僕の話を聞くのに半分のリソースを割いている。だから、別に興味がない、というわけではないのだ。このことを知ったのはまだ最近のことだ。

 


 「……ごめん、先に謝っておく」

 

 「……?どういうこと?雨則が私に謝るようなことをしたの?」

 

 「夏樹に、会ってきた」

 

 「………!」

 


 目に見えて海里は反応した。やはり夏樹関連は敏感なところなのだろう。

 


 「どういう経緯でそうなったのか、教えてもらっていい?」

 


 海里は本を閉じた。付箋を挟み忘れていたからなおのこと動揺しているようだ。

 少し鋭くなった瞳がこちらを射抜いてきた。この瞳は誰に向けてものなのか。僕か、それとも夏樹か。

 


 思わず生唾を飲み込んでしまう。ゴクッと音が鳴って。

 


 「………朝、雄吾と三樹弥と合流したんだ――――」

 


 僕は数時間前の情景を想い返す。あまりにも最新で、あまりにも鮮烈に記憶に残った、記憶を。


 

 

 



 「………そう、そんなことがあったの」

 


 数十分後。粗方語り終えた僕の下にはコップに入れられたお茶があった。夏樹の家はヒットティーだったが、瀬口宅は冷えた麦茶だった。それが嬉しかった。

 


 何口か続けて口を付け、一息ついた僕は、「ごめん」と最後に付け加えた。全ての言葉が虚空を彷徨う。でも、こうして屋根があるから、なかなか頭から離れてくれない。

 


 「雨則が悪いわけではないでしょ?」

 

 「………」

 


 ごめん、の言葉に引っ掛かりを覚えたような表情を浮かべた海里はムッとして、怒気を含めて言い返してきた。

 でも、あの夏、僕は夏樹を捨てて、海里を選んだのだ。僕と夏樹の関わりの所為でまた何かが起きたのなら、それは僕の所為になる。



 そして、今回はその最たる例だ。新たなる火種になることも大いに予見できる。

 

 

 「私の昔のことは話さなかったの?」

 

 「うん、僕だけの判断ではそれは無理だって」

 

 「別にそんなに隠すようなことでもないと思うけどね」

 

 「いや……普通に話せるようなものじゃないよ」

 


 海里はそう言って沈む僕に「優しいね」と言葉通り優しく呟いた。当然のことだろう。僕と海里の繋がりは長いスパンによってなされている。僕の人生なんて海里の体験してきたあの日からに比べればどうでもいいことなのかもしれないけど。



 僕と海里には感じ方のズレのようなものがあるのかもしれない。

 


 「それで、夏樹ちゃんはこれからなにか仕掛けてくると思う?」

 


 先までの話題は一先ず置いておくとしたようで、海里は別の問題について突っ込んできた。

 


 「どうだろう。これまでも何度かは会話というか、そんな簡単なコミュニケーションはあったけど、ここまで大胆に接近してくるなんて思ってなかったからなぁ。

 計画性のある行動だったし。雄吾と三樹弥も関わってしまってるから、あり得るとかといえばあり得るかも」

 


 雄吾と三樹弥も彼らなりの罪の意識があるらしいし、夏樹もあれで終わったとは思えない。

 


 「そうね、彼女のことについてはあまり詳しく知らないけど、雨則が警戒しているのなら可能性としてはあるわ」

 


 たった一月であれ付き合った関係だ。彼女の印象は崩れてしまっているけど、何を考えているかは理解できる、かもしれない。

 


 「…………」

 


 再び本を手に取った。もう話すことはないという表れだろうか。僕としてはまだまだ話し足りないのだけど。

 ――――いや。

 


 「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」

 

 「分かった」

 


 夏樹の家よりもずっと軽く腰を浮かることができる。精神の持ちようでこんなにも違うのか。

 部屋を出る。本当のところ、尿意なんてこれっぽっちもなかった。では何故そのような嘘を吐いたのか、と訊かれたら。

 


 ……僕の前で本を読む、ということは彼女自身何かを考えているというサインだからだ。

 これも最近知った、というより気づいた類のことなのだが、海里は読書好きではあるが、礼節といった部分は意外としっかりしている方なのだ。



 平日の朝に適当である、と思われるような挨拶をすることも最近まで結構注意されていた。それでも止めなかった僕に呆れて、結果あれで良しとされるようになったのだが。

 


 そんな海里の性格を頭に入れてみると、そもそも今日、僕が海里の部屋の入った時からおかしかった。僕が「失礼」と言って部屋に足を踏み入れた時、彼女は本を読んでいた。そして、挨拶も目を合わせてきたくらい。



 これは礼節を重んじる海里が自分自身を許さないだろう。元は駄菓子屋の娘。人前に出ることの多かった彼女だからこそ、そのような性格を持つのは頷くことができる。

 で、あればこれも。唐突に読書を始めたことからも少し違和感を覚えるし。

 


 気にしてないと彼女は言ったが、やはり考える部分もあるようだ。

 10分くらいしたら戻ろう。僕はトイレには向かわず、リビングへ通ずる廊下を歩く。

 


 テレビの音が聞こえてくる。少しくらいお邪魔しても構わないだろう。そう思った僕は晴香さんの下へと歩み寄った。


ありがとうございました。

誤字脱字、ブクマ、評価をよろしくお願いします。

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