15 僕の選択と彼女の笑顔と涙
今回で第一章は完結です。
すべて、語り終えた。自分の思いとか考えは隠して、あますことなく雨則に話した。
雨則は終始、表情を変えることなく私の話を聞いていた。とても真剣だった。
「どう、だった?」
「…………知らなかったよ。あの日、あんなことがあったなんて」
「それで、どう思った?」
雨則は少し悩む仕草をした。
「……もっと君と一緒にいればよかった。強引にでも」
「……かもね、そうすれば私は何もなかったかもしれない」
けどね、雨則。
「でもね」
「……え?」
「あの日がなかったら今日はないかもしれないんだよ」
「…………ぁ」
あの日、父が死んで、母さんが襲われて、私も襲われて……それがなかったらもう雨則には会えなかったかもしれない。
「……雨則に会えたから、入学式の日に雨則がいたから、私はあの日はただの悲劇じゃないと思う。そう信じてる」
「……海里」
「だからさ、雨則。あの日、君と別れて正解だったよ。あの日、私を男たちに襲われた……それは正解じゃないかもしれないけど、あの日の私にとっては正解だったんだよ」
「………」
「好きよ、雨則。大好き。あなたにそれを伝える為に私は、あの日から頑張ってきたのよ」
「………っ」
私は今できる最高の笑みを雨則に向けた。
それに対して。雨則は、悲しそうだけど、それでも、笑ってくれた。
ありがとう、雨則。
私を救ってくれて。私にあの日の理由をくれて。
海里はそれから少しくつろいで帰った。お母さんが待っているのだろう。
僕はそんな海里のほのかな香りが残留した部屋のソファーで一人座っていた。
あまりに衝撃的だった。まさか、あの時の少女だったなんて。そして、その日から狂っていった日常と生活を知って、海里がどれほどに強いのか理解した。
夏樹と同じだった。もしかしたらそれ以上かもしれない。けれど、二人とも僕なんかよりずっと強かった。
「…………」
海里は、自身が受けたあまりにも耐え難い痛みや苦しみを忘れることはせず、それを自身の強みにした。生きる理由にした。
その理由が僕だった。こんなちっぽけで弱っちい僕だった。
とんでもない重圧が圧し掛かってくる。海里は人生を掛けて僕を好いているのだ。
その事実が、僕に重すぎる責任となっている。
「何で、僕なんだ」
何度言ったか。何度か呟いたか。その言葉はいつも自分にだけに返ってくる。
空の下でも、雲のかかった夜でも、自分の部屋でも。
この言葉は、逃げる理由だ。何かの間違いだと、分不相応の僕にはあり得ない話だと、逃げるための理由になっている。
けど。
どれだけ逃げても二人は夏樹と海里と、そして、過去の記憶が僕を逃がしはしない。
だから、選択しなくてはならないんだ。選び取らなければならないんだ。
思考する。
僕はどうすればいいのか……。
否、どうすればいいかなんてもう分かっている。
思考する。
僕はどうあればいいのか。
否、どうあればいいかなんてわかり切っている。
思考する。
どちらを選べばいいか。
「…………」
夏樹。
付き合い初めてもうすぐ一ヵ月。学校のアイドル。誰よりも綺麗で、誰よりも輝いている。
少し抜けていて、音痴で。
僕よりも僕のことを考えていて、僕のために自ら自分の首を絞めるような行動をする。どれも破綻しているように見えて、でも、ちゃんと理由と意志があって。
夏樹は僕のために強くあるんだ。
海里。
昨日知り合ったばかりなのに、キスもして、僕の部屋に上がった。内気に見えるけど、言うべきことは言う。
あの雨の日の女の子で、あの時、勇気をくれた女の子。海里には話してはいないけど、その時の記憶を思い返してみれば、たぶん海里よりも鮮明に思い出せるだろう。
そして、どれほど辛く悲しい運命であっても、なのよりも僕のためを想って、いや、僕だけのために生きていて。
海里は僕のために強くなった。そして、海里には僕しかいないんだ。
「…………」
どちらであれ、僕には受け止め切れない想いがある。
けど。
「僕は、二人に選ばれてしまったんだ」
そう、僕を選んだのだ。
なら、僕も選ぶ義務がある。
それはどちらかが結ばれ、どちらかが破滅する。
「…………」
選択するんだ。
選択しなければならない。
僕の為に。夏樹の為に。海里の為に。
あまりに非常すぎる決断をしなくてはならないんだ。
自分が望んでいなくても、二人が望んでいるのなら。
明日から夏休みだ。
僕は昨日、選択をした。そして、夏樹に伝えた。
僕は君とは進めない、と。
夏樹はそのまま逃げるように去っていった。
涙が浮かんでいたのは見えた。そして、少し笑っているようにも見えた。
その笑みがどういう意味なのかは分からない。
けど。
僕は選択をした。
クラスの学級委員長に立候補するとか、生徒会に立候補するとかそんな勇気じゃない。
誰を選び、誰を捨てるのか。そんな究極の選択をする勇気を持って。
そして、それから一日。一学期の終業式も終わって。終礼が終わって、僕と並んでいる海里と空の下を歩いていた。
綺麗な青空と太陽を半分隠した入道雲。
空にあるのは青と白。ただそれだけで、それだけなのに不意に立ち止まって見上げてしまうほどに鮮やかだった。
青だけどただの青じゃない。白だけどただの白じゃない。
見る位置、場所、考え、心情によって幾らにでも表現できてしまう。
ふと傍を歩いていていた少女が立ち止まって、同じように空を見上げた。
この子には、どんな色に映っているのだろう。どんな空を見ているのだろう。
青い空と白い雲。太陽は見えなくなってしまっているけど、それでも何もしないだけで滔々と吹き出てくる汗。着ている服はべっとり肌に引っ付いている。ズボンの中はそれはもう酷いあり様だ。
今だって吹き出てくる汗が肌を伝うのをやめることはなく。
でも、それでも動くことなく空を見上げ続けるのは―――。
「……夏樹」
汗とは違うなにかが熱に灼けたアスファルトに零れるのを見たくはなかったからだ。
地面にできたシミを見たくはなかったからだ。
もし誰かがこうして空を見上げる僕を見たのなら。
教えて欲しい。今の僕が見ている空は何色なのかを。
両の目が濡れて視界が霞んでいる僕に代わって。
そして、言って欲しい。
嗚咽をもらしてろくに言葉を発せない僕に代わって。
「ごめん」
と。
選択は重かった。
僕は夏樹の想いを否定したのだ。
それがどれだけ辛かったか、過去の僕には予想もつかないだろう。
そして、まだ誰にも話していない罪と罰にこれからも苦しんでいくのだろう。
けど。
僕は選択をした。
あの時と同じだけど、違う選択をした。
選択して辿り着いた答えが今だった。
僕は隣にいる海里を見た。
歩きながら、汗をびっしょりかきながら。
「ねえ、雨則」
「ん?」
「この辺りでいいよ。もう、あとは一人で大丈夫だから」
「そう?………」
「うん」
「………」
「じゃあ、また、ね。また明日」
「……いや」
「え?」
「一緒に行こう。一緒にいたいんだ」
「………うん、分かった」
夏の音がする。
「雨則」
「なに?」
「ありがとう」
海里は、満面の笑みだった。
太陽が顔を出した。
眩しくて、僕は目をつむってしまった。
けれど。
僕も笑うことができた。
取り敢えず第一章は終わりました。
ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
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