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僕と、三人と、夏と、  作者: 齋藤夢斗
「前篇」高校二年 夏
11/39

10 昼食と光

雨則君毎日屋上行くんですけど、私自身学校の屋上とか一度たりとも立ち入ったことがないですね。そもそも解放されてないです。

 ふと顔を上げれば明るくなっていた。雲に完全に隠れてしまった青空と太陽の所為で昨日よりは暗い夜明けだ。

 僕はベッドに座っていた。意識は既に覚醒している。というか、一睡もできなかったから、昨日の僕のままだ。

 


 「……学校、行かなきゃ」

 


 半ば義務感のようなものに駆られていた。学生の本業は勉強だ。日中は大人が汗水垂らして働いているんだから、学生も重い身体に鞭打って学校に行かなくてはならないのだ、と。学生にとって学校が職場だから、仕事をしないわけにはいかない。

 


 もしこの部屋におばさん、おじさんがいたとしたらどうなっていたのだろう。僕の顔を見て今日は休めと言ってくれるだろうか。洗面所の鏡の自分を見てそんなことを想像してみた。

 まあ、想像は想像なわけで。当然ここにはおばさんもおじさんもいない。僕だけしかいない。

 


 蛇口を捻って、出てきた元自然水を顔にぶつける。僕の肌から飛び散った水は床に落ちる。

 それを気にもせず横にあるタオルで顔を拭く。

 少しはマシになっただろうか。対比する術などない。 

 


 浴室から出る。クローゼットからYシャツを取り出す。少々皴が入っているがまあ気にしなくてもいいだろう。学校では特にうちの学年では有名人な僕が身だしなみに欠けるのはどうかと思うが。いい意味で有名人だったらいいのにな。ちなみにアイロンは一応自分でかけている。まあ皴を見てみればどれだけ丁寧にやっているか分かるだろう。

 


 袖を通し、ボタンを留めながら、次にハンガーに掛けられたスラックスを手に取る。Yシャツもそうだが、冷房の空気に触れた生地が肌に触れるとひんやりとした感触を味わえる。

 昨夜財布を取って以来一度も中身を見ていない鞄をそのまま持ち上げ、最後に冷房を止める。

 


 「……行ってきます」

 


 ローファーを履こうとしたところで。靴下を履いていないことに気づいた。

 いけないいけない。急ぎクローゼットに開けて、中から靴下を取り出した。

 


 今度こそ、僕は玄関を開けた。

 行かなくちゃいけないけど、本当は行きたくなかった。教室の空気とか、夏樹の目とか、嫌で嫌でたまらなかった。海里さんのことは……。まあ、会ったら会っただな。

 


 登校途中に朝ごはんと昼ごはんをコンビニで購入した。朝ご飯であるホットドックは店で温めて貰い、こうして現在、学校を目指しながら食しているところだ。まあ、味はしないが。

 


 食べきったころにはもうすぐそこに学校が見えていた。自転車で通学する生徒達を睨みつけ、蝉の鳴き声にイライラし、猛暑とパッとしない天気に溜息も漏らしながら学校の敷地内に入る。

 


 「おはよー!」「今日も元気だねー後半君」「わかりますー?先輩。実はですね―――」「はーい、朝練終わるよー」「整列!」「はい!」「今日の占いさー」

 


 生徒達の声が耳に入ってくる。クラスで孤立するようになってから人の会話に神経質になってしまっているようだ。いつどこで自分の悪口を言われているか、なんて、そんなことを考えて、耳を澄ましている自分がいた。やっぱ精神的にも追い込まれてんのかな、僕。

 


 風で聴いた噂だが、僕と夏樹の件は学年でのみの話題になっているようだった。そこは良心的というか、まあ、全校にまで広められたらどうしようかと心配していたから、そこはよかった。ただ、いつ誰から広まってもおかしくはない状況だからまだ安心ってわけじゃないな。

 


 そんなことを考えつつ、今や世界で一番居心地の悪い部屋堂々のナンバー1を誇る2年C組の部屋のドアを開ける。

 ガララ、という音は、意外と響くようで。

 


 「…………」

 


 やっぱり僕を見た途端、静まり返った。

 そろそろ慣れてくる頃かと思っていたが、まだまだみたいだ。たぶん、慣れるってことは今後ないのだろう。

 


 心の中で溜息を吐きつつ、いつもの席に座った。そうやってまたいつもの様に窓の外を眺める。雲が空を覆っていた。誰かが言っていた気がする。『明日から雨だってねー』と。

 


 から、という部分に少し疑問を覚えたが、明日になってみれば分かるってことだ。梅雨は先週明けたばかりだ。こんなにも早く雨マークを見ることができるなんて思わなんだ。

 


 それから昼休みが始まるまでの間、ずっと窓の外に視線を送っていた。どの授業も来週からの夏休みに向けて一学期の反省と二学期の目標を記入するようなものばかりだった。どの教科もまだ最低一度は授業があるから、夏休みの課題はその時に配られるのであろう。 

 


 まあ、これも「逃げ」になるのだが、夏休みに入れば、僕と夏樹の話題性もかなり薄れるだろう。というかもう忘れてしまうかもしれない。それなら好都合だ。「退く」ことになるけど、それが僕の答えになる。

 


 今考えたがそれなりに妙案じゃないか。これなら、夏樹をこれ以上傷付けなくて済むし、話題性も消えて行く。一石二鳥だ。

 


 だから許してくれよな、夏樹。あと、分かってくれると嬉しい。それが僕の雨則の答えであると。臆病で情けない僕の答えであると。

 


 四限目終了のチャイムが鳴ると、ビニールに入ったコンビニ弁当を手に、急ぎ屋上へと向かう。今日まで三年生いないんだ。たぶん、僕が占領できるだろう。あ、いや……そうでもないか。

 三階への階段を上がる。無人の三年生の授業棟を走る。更に、階段を上がり、その先に。

 


 扉を開けた。キーン、と甲高い音を上げる。

 生暖かい風が制服に触れ、髪を揺らす。

 昨日と同じ場所へ行こうとその方に身体を向けた。

 


 「……やっぱり、来た。雨則君」

 

 「…‥‥………」

 


 その場所には既に先客がいた。

 


 「予想はしてたけど、やっぱりここに来てたんだな。海里さん」

 

 「うん、こんにちは。……はやく、一緒に、食べよう?」 

 

 「…………」

 


 海里さんの下へ近づく度に蘇る昨夜の記憶。口内に含まれた海里さんの唾液の味を思い出してしまった。

 


 「…………っ」

 


 忘れられない、忘れられるはずのない快感を思い出した。

 


 「…………」

 


 癖になって、虜になった、あの十五秒を思い出した。

 


 「じゃ、じゃあ、座って、ね?」

 


 海里さんは自分の横の地面をパンパンと叩いて、こっちにおいでと僕に促した。昨晩のことを思い出して、海里の顔を、特に口元を直視できないでいる僕は、うつむき加減に応じた。

 このまま回れ右して出ていきたい衝動に駆られるが、逃げた先にも僕の安息の地なんかない。

 


 結局、唯一の心のよりどころであった屋上までも僕を逃がさない地獄と化してしまった。

 つまるところ、この学校に僕の居場所は一切なくなってしまった。 

 僕は海里さんを目の前にして困惑の念を捨てることができぬまま腰を下ろした。

 


 「雨則君、今日の、お昼……はなにかな?」 

 

 「…………コンビニ弁当ですよ」

 

 「うん、それは知ってるよ。聞きたいのは、中身についてだけど……」

 


 まあ、僕の手に持つビニール袋を見れば一目瞭然か。僕は、観念したように中にある弁当を取り出して見せた。

 


 「唐揚げ弁当です」

 

 「へー、美味しそう、だねー」

 

 「ええ、まあ」

 


 どもりながらも何故か砕けた話し方をしてくるものだから、僕はどう接したらいいかわからなくなってしまった。

 


 「でも、毎日、そんなもの、ばかり食べてたら、身体壊すよ」

 

 「はい、もう、それは重々理解しています」

 

 「でも、やめ、ないんでしょ?」

 

 「ええ、何度も自炊しようと思ったんですけど、すぐ諦めてしまって」

 

 「男の子、だしね」

 

 「それを言い訳にしてもいいかと聞かれたら、どうかと思いますけどね」

 

 「確かに、ね」

 


 あれ。意外と普通に話せてる。

 


 「……早く、食べよう、か」

 

 「ですね」

 


 弁当を開ける。海里さんも今ふろしきの紐を解こうとしているところだった。先に来て僕を待っていたのか。僕がここに来ると事前に読んでいたのか。居場所がない僕が逃避先がここだとわかっていたのか。そんな意味合いが今ありのままの姿を現した弁当にある気がした。

 


 この人は僕のことを理解しているんだなと思った。夏樹もだけど。海里さんも同じくらいが、またはそれ以上に僕のことを見ていてくれたようだ。 

 


 「…………」

 


 海里さんはご飯を口に運んでいる。あからさまな僕の視線にもきっと気づいているようだけど言及も反応もしない。

 僕も唐揚げを一つ食べた。

 


 「――――――――あ」

 


 声が出てしまった。海里さんはちらっとだけ僕を見てきたが、すぐに顔を戻した。

 美味しい、そう思ってしまった。それは、そのことは、本当なら極々当たり前のことだけど。

 


 今の僕にとって、その事実はこれ以上にないくらいに感動的だった。涙でも出てきそうなくらい嬉しかった。

 味が感じられたのだ。今朝まで感じられなかった味覚が。

 


 「ははは……」

 

 「どうしたの?雨則、君」

 


 突然笑い出した僕を見て、不審そうな顔色など一切浮かべずに、ただただ笑顔で僕に訊いてきた。演技をしているようには思えない、純粋な笑顔だった。

 


 「あ、いや、ごめんなさい。ちょっと、思い出し笑いです」

 

 「へー、でも、それにして、はなんだか、嬉しそう、だね」

 

 「そう見えますか?」

 

 「うん、とっても。昨日の君とは全然違ってて、不安かな?そんなものが、和らいでる、ように、見えるよ」

 


 言われて気付いた。僕、安心しているのか。ここに座って、海里さんと並んでお昼を食べて、暑いけど、でも眩しくない空の下にいることに、僕は安心しているのだ。心の奥底に巣くっている沸々としたものが少しだけ取り除かれて、そのおかげで味覚が戻ったのか。奇抜な考えだけど、そう思えば頷ける。

 


 「そうですかね……そうですね。確かに楽になったかも……しれないですね」

 

 「そう。なら、よかったよ」

 


 海里さんは静かに微笑んだ。卵焼きを箸で摘みながら。卵焼きが僕にキスをした唇へ向かっていく。そう思うと海里さんがものを食べる姿がひどく魅力的に見えた。

 


 「…………っ」

 


 そう見えたのと同時に夏樹のことを考えてしまった。滝のように溢れる罪悪感が僕に押し寄せる。

 


 「…………」

 


 そんな僕の横顔を見やる海里の視線にはその時は気づけなかった。

 


 その後、昼休みの間、夏樹のことをどうにかして忘れようと海里さんと話に話した。

 世間話とか互いのこととか、夏樹の話はわざと避けながら。

 


 海里さん、いや海里は僕と同じ学年だった。クラスはG組。クラス内では一人でいるようで、友達と呼べる人はあまりいないらしい。そして、驚いたことに出身は九州の方であることだった。僕もそうだよーって言うと、海里はどこか含みのある表情をして「へー」と言った。

 


 どこかで会ったことあるかもね、なんて運命染みた話をした僕に海里は本当にそうかもね、と乗っかってくれた。そんな下らない会話をして下らないことで笑い合った時間と距離感は絶妙なくらい僕にマッチしていた。

 


 昨日彼女よりも進んだ行為をしたのにも関わらず、打ち解けて親しげに話せる仲になっていることが不思議なくらいに。 

 楽しい時間というのはあっという間に終わってしまう。あっという間だったけど、楽しかった。

 


 「それじゃあ、海里、またな」

 

 「うん、また、ね。……雨則」

 


 敬称を抜いて名前を呼び合う間柄になっていた。別に付き合っているというわけじゃないけど。

 先に屋上を出て行ったのは海里だ。時間を空けて僕も後にした。そして、屋上には誰もいなくなった。

 


午後の授業も外を眺めていたら終わった。終礼も終わってことだし、さっさと帰るとするか。

 


 「…………雨則」

 

 「…………」

 


 けど、席を立とうとしたところでそれは阻まれた。友人の声が横からした。

 


 「雄吾」

 


 友人の名。呼び慣れた名前。夏樹と同じく口から出た響きはとても懐かしかった。

 


 「何の用だよ、雄吾」

 

 「………いや、お前の声、聴いてないなと思って」

 

 「お前らが出せなくしたんだがな。さながら人魚姫の気分だよこの数日」

 

 「久しぶりの会話でよくもまあ、そんな洒落がでてくるもんだ」

 

 「…………なあ、雄吾」

 

 「………ん?」

 

 「悪かったな、たぶん、心配かけて」

 

 「…………別に。というか悪いのは俺、いや俺らの方だよ。寄ってたかって、すまなかったな。お前も居心地が悪かっただろ」

 

 「お陰様でな。……まあ、今は無理だけど、さ。いつか、絶対話すから。お前は友達だから」

 

 「……俺からしたら知人だけどな。でも、わかったよ。それまで待っといてやる。知人のよしみで」

 

 「助かるよ。知人の雄吾君」

 


 ありがとな雄吾。お前はどこまで行っても友人だよ。

 一人だけの空間に一人加わった。それだけで世界が、この教室が光に満ち溢れた。


誤字脱字、ブクマ、評価よろしくお願いします。

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