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ハナコさん、暴れすぎッ!  作者: 鷲空 燈
【第Ⅰ部】 第1章 『別宮刃那子』
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第5話 【刃那子社長の憂鬱】 ※挿絵『謎の少女』

「お嬢ちゃん、降りないの?」


 地下三階へ降りた刃那子が、エレベーターに残る少女へ声をかけた。


「…………」


 やはり、無言であった。

 無理に降ろす理由も、義理もないので、それ以上なにも言わなかった。

 背を向け歩き出し、背後のエレベーターの扉が、閉まる音……その時。


〈あの子を探すのは、止めなさい〉


 透き通るような声が、聞こえた。


「えっ!? ちょっ……!」


 刃那子が振り返ると、エレベーターの扉は閉じていた。

 慌てて、カードキーを取り出しスキャンさせた。

 間一髪間に合い、扉が開く。


「お嬢ちゃん、今の言葉って……え?」


 四角い空間の中には……誰もいなかった。



 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



「別宮さま、どうかされましたか?」


「エレベーター内の映像を、出してちょうだい!」


 一階の警備室へ入るなり、刃那子はそう言った。

 三〇代の男性警備員は、いぶかしみながらも、言われるまま録画データを再生した。


「そんな……そんははずないわ!」


 3つの角度で録画した映像には、刃那子しか映っていなかった。



 ★



 地下三階の駐車場に、再び降り、三台ある車から国産のセダンを選んだ。

 車に乗り込み、なんとなく、後ろを確認した。


(なんだったの……? 幽……霊? そんなバカな)


 刃那子は、超常的なものを信じなかった。

 これだけメディアが発展しているにも関わらず、目撃証言、証拠が圧倒的に少なすぎるからだ。

 なにより、刃那子自身が体験したことのない――というのが、大きかった。

 しかし、先ほどの現象は……。

 刃那子はもう一度、後部座席を確認してから、車を発進させた。

挿絵(By みてみん)



 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



 ――都内、△※区


 会社の地下駐車場に車を停め、いつものように、車内で二分ほど待機する。

 今頃守衛から連絡が入って、社内が大わらわになっているだろう。

 その時間を使って、刃那子は集中した。


(ここでサッちゃんのことを考えても仕方ないわ。連絡があるまで、やるべきことをやるのよ! ……よし!)


 刃那子は、仕事モードへ気持ちを切り替え、エレベーターへ向かった。

 いつも通り、一番手前のエレベーターが、この階で待機している。

 刃那子は、最上階――32階のボタンを押した。

 R2……R1……1F…………5F……。

 エレベーターは、止まることなく上昇していく。

()()がいらっしゃる! エレベーターのボタンを押すんじゃない!』と全フロアで、戒厳令が敷かれているのだ。


(はぁ……別に、いっしょに乗ってもいいのに……)


 刃那子も最初は、このやり方に異議を唱えた。

 しかし、日本ではこれが普通――だれも社長――つまり刃那子と、狭い空間で気まずい時間を過ごしたくないのだ。

 今では、なるべく混み合わない時間に出社することで、少しでも社員の迷惑にならないようにしている。


(どうして、社長がこんなに気を遣わなきゃいけないのよ。おかしな国ね)


 海外だと、むしろ、社長とエレベーターに乗るのを喜ぶ社員が、大勢いる。

 通称”エレベーターピッチ”と呼ばれる時間で、自分を売り込むのだ。


(そんなハングリー精神を持った社員は、いないのかしら?)


 この状況で、エレベーターのボタンを押し、乗り込んでくる者がいたら、刃那子は感心し、好意的に評価するだろう。


(でも、いないんだよね……ん?)


 ポーン。エレベーターが止まった。

 表示を見ると……30F。

 刃那子は、半ば、この勇者の正体を予想しながら、その予想が外れることを期待した。


「はぁはぁ……間に合ったぁ!」


 期待は外れ、乗り込んできたのは、予想通りの人物――二〇代後半の女性だった。

 女性の後ろでは、大勢の社員が、お辞儀をしたまま微動だにしない。

 

「おはよう、(あか)()ちゃん。寝癖がついてるわよ?」


「え!? さっき直したと思ったのに! ……そんなことより、はなさん! わたしより先に挨拶しないでください! わたしが怒られちゃうんですからね!」


「あら、ごめんなさいね。さぁ、お乗りなさい」


「おじゃましまーす! あ、社長、おはようございます!」


「フフ、今日は、30階まで走ったのね」


「本当は、28階の総務まで行きたかったんですよ! あそこのハゲ課長の慌てる顔が、見たかったなぁ」


 ――社長秘書、(かど)(うち)(あか)()だ。

 彼女は、わたしが出社したと情報が入ると、たまにこのいたずらをする。

 エレベーターを止めた階の社員が、慌ててかしこまるのを見るのが楽しいらしい。

 彼女は、エレベーターが閉まるまで、顎を突き出しつつ、社員達の頭頂部を見下ろした。

 

「あぁ気持ちよかった! 今日も社長気分が味わえました!」


「明里ちゃんは、社長になりたいの?」


「え? イヤですよ! 面倒くさいじゃないですか!」


 他の社員が聞いたら即卒倒するようなセリフが、次から次へと飛び出す。

 刃那子は、ゆるんだ顔でそれを聞いていた。

 この娘は、刃那子が拾い上げた社員だ。


(拾い上げた……フフ、まさに、それね)


 門内明里との出会いは、フランスのパリだった。

 

(あのときは、驚いたわね)


 

 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 


 その日、商談がうまくいった刃那子は、ご機嫌で、黄昏時のパリを散策していた。


(あら、なにかしら?)


 美しいパリの町並みを、大きなぼろ布が台無しにしていた。

 よく見ると、その布はもぞもぞと動いている。


(浮浪者……かしら?)


 さらによく見ると、なにやら英語で書かれた紙と空き缶が置いてある。

 

 ”ユーラシア大陸横断中――カンパお願いします”


 どうやら、ゴール直前で資金が尽きたらしい。

 機嫌のよかった刃那子は、近づいて、持っている小銭をすべて空き缶へ入れた。


 ガバッ! ぼろ布が跳ね上がった!

 刃那子は驚いて、反射的に殴りそうになった。


『わわわ! こんなに、いっぱい!?』


 小銭の入った缶を手に取り、ぼろ布がしゃべった。

 なんと、ぼろ布から出たその声は、女性――しかも、その言葉は日本語だった!


『あなた、日本人なのね?』


『に、日本人です! わたし、日本人です! お姉さんも日本人ですか!?』


 薄汚れているが、愛嬌のある、可愛らしい顔をした女性だった。

 異国の地で、同じ日本人に会えたのが、よほどうれしかったのだろう、刃那子のことを、潤んだ瞳で見つめ続けている。


『えぇ、そうよ。まさか、こんな若い娘さんがバックパッカーだなんてね』


『若いって、同じくらいじゃないですか! あぁ、日本語だぁ! わたし、日本語で会話してるよ!』


『あら、うれしいこと言ってくれるわね。お嬢さん、フランスじゃ、英語で話してもダメなのよ。通じても、わざとわからない振りをされちゃうわよ?』


『え? なんで、そんな意地悪するんですか!?』


『意地悪っていうか、国民性や、プライドの問題じゃないかしら。そんなわけで、あなたのこの文章は、残念ながら、パリっ子の心に届かないわね。貸してごらんなさい』


 刃那子は、紙とペンを受け取り、フランス語でサラサラと文字を書いた。


 ”ユーラシア大陸横断中! 憧れのパリに到着したのに、おいしい料理を食べる資金がありません! パリっ子の心意気と、パリのおいしい料理の味を、祖国へ伝えるために、どうか、愛のカンパ、お願いします、”


『はい。これで大丈夫よ』


『え? え? こ、これ、なんて書いてあるんですかぁ!?』


『フフ、内緒よ。さぁ、実験しましょ。どれだけお金が集まるかしら』


『お、お姉さん!』


 刃那子は、向かいにあるカフェへと入った。

 ぼろ布娘は、不安な顔をしつつも、座って待った。


 すると……今まで素通りしていたパリ市民達が、次から次に、空き缶へお金を入れ始めた! 

 粋なものには、粋な計らいを与える……それが、パリという街だ。

 刃那子は、ニコニコとコーヒーを飲みながら、メルシーメルシーと、歓喜の声で叫ぶ日本娘を眺めた。



 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



(今思えば、放っておけなかったのは、明里が、サッちゃんに似ていたから……かしら)


 目の前の秘書と同じ、人なつっこい笑顔の友人を思い浮かべながら、刃那子は思った。


(でも、サッちゃんは……)


 引っ込み思案で、恥ずかしがり屋の友人が、明里のようにできるだろうか?


(知らない誰かを頼るなんて、できないでしょうね……)

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