第2話 【どうして今まで……】 ※挿絵『別宮刃那子』
【6月12日 午前6:13】
「サッちゃん!」
刃那子は、自分の叫びで目を覚ました。
ドクドクドク……。
心臓が、早鐘を打っている。
(夢……なの?)
いや、違う。
夢ならば、目覚めた瞬間から、記憶の劣化が、始まるはずだ。
今の刃那子は、先ほどの光景、質感、声の質まで、リアルに思い起こせる。
(あれが、夢ですって?)
夢であるなら、説明がつかないことがある。
先ほどまで見ていた、少女のことだ。
刃那子は、忘れるはずのない人物を、忘れていた。
そして、先の光景で、それを思い出したのだ。
ただの夢で、こんなことが起こりえるはずがない。
(でも、どうして当時のままの姿で? それに、あの服装と部屋は? あの綺麗な金髪の女性はだれなの?)
それ以上に、気になるのは……。
(なぜ……泣いていたの? なぜ、わたし達の名前を叫んだの?)
枕元の時計を確認すると、午前6時15分。
起床時間まで、あと一時間ある。
刃那子は、ベッドを飛び出した。
眠気など、吹き飛んでいる。
仕事用の携帯を、充電器から取り出した。
メールが、何件か入っていたが、無視する。
電話帳から、一軒の番号を呼びだし、迷わず通話ボタンを押す。
トゥルルルルル、トゥルルルルル、ピッ。
二回コールを確認してから、通話を切った。
そして、待つ。
5秒……10秒……20秒……ピリリリリッ!
着信音が鳴り、通話ボタンを押した。
『どうした、こんな朝っぱらから』
電話の向こうから、不機嫌な声が聞こえた。
「仕事の依頼よ」
『おいおい、普通は、”おはようございます”だろうがよ!』
「その言葉、そっくりお返しするわ」
『いやいやいや、電話かけてきたのは、お前だろうがよ!? なら、お前が最初に挨拶するのが筋だろ!』
「あら、わたしは、かかった電話に出た、と思ったのだけど勘違いかしら?」
『お前がかけてきたから、かけ直したんだろうがよ!』
「あなたが決めたルールでしょ? なにを怒ってるのよ」
『いや……だから、電話をかけてきたのは、そっちであって……』
「細かい男ね。だから、彼女ができないのよ」
『で、できないんじゃねぇし! 作らないだけだし!』
「あなたの恋愛事情なんて、類猿人と、類人猿の見分け方以上に興味がないわ」
『な、なんだ、それは!? 尻尾があるかどうかじゃないのか? いかん! めちゃくちゃ、気になってきた! はぁ……相変わらずだな、刃那子。元気にしてるのか?』
「名前で呼ばないでって、何度言えばわかるのかしら? まぁ……元気よ」
『そうか、元気ならいい。で、仕事の内容は?』
「今から言う人物を、調べてちょうだい。なしろゆうこ、ぐんゆきな、さんかのりこ、ばでんみふゆ、そして、こだまさちこ……この五人よ」
『名前の他に情報は?』
「全員、わたしと同じ学年で、同じ中学校に通っていたわ。わたしは、2年で転校しちゃったけど……。漢字も言いましょうか?」
『必要ない。それだけわかれば、十分だ。それで……どこまで調べる? ”スペシャルコース”なら、以前と同じ特別料金になるが?』
「いえ、最初の四人は、現住所と連絡先、それと、簡単な家族構成くらいでいいわ」
『ふむ、残りの一人……”こだまさちこ”は、どうする?』
「わたしが転校してから、今までどうしていたのか、調べてちょうだい。デリケートな部分は、触れちゃだめよ?」
『……最初の四人は、ざっと三時間だな。最後の一人は、随時連絡する。――おい……訊いてもいいか?』
「プロらしからぬ発言ね。でもいいわ。教えてあげる。最初の四人は、ただの旧友よ」
『”こだまさちこ”は?』
「大事な……友人よ」
『……わかった。昼前には連絡を入れる』
「待ってるわ」
携帯を、テーブルの上に置き、刃那子は考えた。
”大事な友人”
刃那子は、そう言った。
本当は”親友”、と言いたかった。
(今まで、ずっと忘れておいて、親友ですって? ハッ!)
そんな、厚かましいことを言う資格はなかった。
(サッちゃん……)
早く会って、話がしたかった。
”今まで連絡しなくて、ごめんね……”そう、謝りたかった。
刃那子の脳裏に、コロコロと笑う美少女の顔が、くっきりと思い浮かんだ。
今まで思い出さなかったのが、嘘みたいだ。
幸せな子と書いて、サチコ。
あの子にぴったりの名前だ。
サチコは、周りを幸せにする子だった。
(フフ、でも、あの子はわたしと同じで、自分の名前が大っ嫌いだったわね)
中学時代に、刃那子とサチコ、それに鬼瓦さんと御手洗さん、そして、男子の乙女坂くんの五人で『名前に屈しない同盟』を結成していたものだ。
(みんな、今はどうしてるのだろう。
鬼瓦さんと御手洗さんは、結婚して名字を変えているだろうか?
乙女坂くんは、変な方向にいっていなければいいけど)
でも、一番心配なのは……。
(サッちゃん……あなたは、無事なの?)
夢のこともあり、刃那子は、イヤな予感が頭から離れなかった。




