第33話 【別宮刃那子の決意】 ~第Ⅰ部・完~
「おいこら……」
探偵が、助手席に飛び込んできた女に声をかけた。
「こっちを見ないで!」
「いや、見るなと言われたら、見ないけどな……。何があったかくらい教えろよ……」
探偵は、助手席で嗚咽を上げる刃那子を見ないように、外を向いて言った。
「あの店は……」
刃那子はしゃくり上げながら、店内での出来事を説明した。
探偵は、そちらを見ないようにして、ハンカチを渡した。
「ありが……とう、ヒック……ビーッ!」
くそっ…… 。鼻をかみやがった。
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「3000万を笑顔で蹴ったのか……すごいな……。それで、コーヒーの味は?」
話を聞き終えた探偵は、外を見ながら訊いた。
「最高よ。最高の味だったわ。スンッ」
刃那子の涙は止まったが、まだ鼻をすすっていた。
探偵の渡したハンカチが、大活躍しているらしい。
「そうか、俺も飲みに行くかな」
「ダメよ! あそこは日の当たる場所よ。血の臭いのする人間が立ち入っていい所じゃないわ」
「血の臭い……か。俺はともかく……おまえが直接手を下す必要があるのか?」
「……許せないのよ」
「あのガキがか?」
「違うわ。許せないのはわたし自身よ。わたしがあと一月でも早く、サッちゃんを思い出していたら……」
「それは、おまえのせいじゃないだろ」
「”あまつかまりあ”が現れなければ、あの温かい人達が、他の人と同じように殺されてたのよ?」
「すまん……それについては申し開きできん。さんざん手を尽くして探したのだが、戸籍も携帯もない人物は……」
「別に、あなたを責めてるわけじゃないわ。なんというか、これはわたしなりのケジメよ」
「……フランスにいるフィアンセは、どうするんだ? 美藤尚士だったか? ずっと隠し通すつもりか?」
「……それは、状況しだいね」
「いっそ、別れちまえ。あのお上品なエリートさんは、おまえ向ききじゃねぇよ。秀馬は、今でもおまえを……」
「……ねぇ、もしかして、わたしの人生に指図する気なの?」
「すまん……出過ぎた真似だったな。なぁ……ところで、あのガキに喰わせてるって肉は……」
「いくらわたしでも、必要以上に死者を冒涜しないわ」
「それを聞いて安心したよ。しかし、死者は冒涜しない……か……。きついぞ……? それが、どんな悪党でもな。特に子供は……」
「覚悟の上よ」
「そうか……。だが、少しでも迷いが生じたら……」
「そうね……そのときは、素直に止めるわ」
「そうしろ。だが、もしやるとなったら、絶対、最後に目を合わせるんじゃないぞ?」
「どういう意味?」
「言葉のまんまだ。絶対に相手の目を見るな。おかしくなっちまう奴は、大抵、最後の瞬間、目を合わせてるんだ。その症状はバラバラだがな」
「……わかったわ」
探偵は、さらになにか言おうと口を開きかけた。
しかし、刃那子の性格から、これ以上の説得は逆効果だと判断し、口をつぐんだ。
「あの店……あの温かいお店は、絶対に潰しちゃダメよ。仕込み客は今の調子で絶やさないでちょうだい」
しばしの沈黙を破り、刃那子は強引に話題を変えた。
「それがな、刃那子」
「名前を呼ぶなと、何度言ったら……」
「開店三日目以降、客は仕込んでないんだ」
「……え?」
「あの大盛況ぶりは、仕込みなし、掛け値なしの本物なんだよ。仕込みに雇ってた人間まで、本当の常連になる始末だ」
「そんな……。わたしの計算じゃ……」
「計算じゃはかりきれない魅力があるんだろ。あの店……いや、あの二人には」
「確かに、あのコーヒーは他で味わったことのないほど、温かい味だった……。てっきり、わたしの思い入れ込みの味だと……」
「おまえでも間違うことがあるんだな」
「それでも、この先はわからないわ。田中さんに依頼の継続をお願いし……」
「いや、それも必要ない」
「……どういうこと?」
「田中さんが、個人的にあの店を守ってくれるそうだ。気に入っちまったんだよ。あの冷徹な機械みたいなおっさんが、あの二人をな。――おい、刃那子、まさかまた……」
「こっちを見ないで!」
探偵は、ポケットから禁煙たばこを取り出して口にくわえた。
車内はしばし、刃那子のしゃくり上げる声だけになった。
――やがて、頭の後ろから聞こえる嗚咽が小さくなった頃、口を開いた。
「樹神幸子の消息は、依然不明だ。今一番有力な情報が……」
「”あまつかまりあ”ね。スンッ……。ビーッ!」
刃那子は、鼻をかみながら答えた。
「裏家業に長くいると、たまに、この手の話が飛び込んでくる」
探偵は、お気に入りだったハンカチを捨てることを決意しつつ、言った。
「この手の?」
「あぁ、化け物とか、悪魔とかいった類いの話だ。もちろん、頭から信じてるわけじゃない。でも、あるんだよ。絶対に触れちゃいけない話や、場所ってやつが」
「”あまつかまりあ”が、その触れちゃいけない化け物だって言うの?」
「俺の勘に頼るまでもなく、その答えは……”イエス”だ。そいつは、神か悪魔の類いだよ。田中さんの”製品倉庫”に届けられた”荷物”は、すべて、綺麗に“摘出”“保存”してあったそうだ。四人分だぞ?」
「それに、あの二人の身体も治したそうね」
「あぁ、それどころか、あの二人は20歳以上も若返ったんだ。そんなの、人間業じゃねぇよ。以前聞いた、自宅でおまえに警告した幽霊ってのが、その”あまつかまりあ”だろう。つまり俺たちは、そいつの味方じゃないわけだ」
「でも、手がかりはその化け物だけ」
「おい、まさか……」
「”あまつかまりあ”は、返り血を嫌って、服を脱いだそうよ」
「あぁ、そうらしい。誰かさんみたいだな」
「つまり、実体があるってこと」
「そりゃそうだが……」
「実体があるなら……戦えるわ」
「『戦えるわ、ニヤリ』じゃねぇよ! お、おまえ、ワクワクしてねぇか? どこかの戦闘民族かよ!」
「そんなには、胸躍ってないわよ。素直に情報をくれるなら、いじめないわ」
「やる気満々じゃねぇか! はぁ……くれぐれも、無茶はするなよ。あと、”あまつかまりあ”に関してもう一つ」
「なに?」
「これを見てくれ」
探偵が、透明な袋に入ったなにかを差し出した。
「これは……バッジかしら?」
刃那子が、袋ごと手に取って見る。
ドクロが刻印してある、不気味なバッヂだった。
「ホームレス狩りの6人がつけていたバッジだ。直接手を触れない方がいいらしい。田中さんの会社に、”あまつかまりあ”からの手紙が置いてあったのは、聞いたな?」
「えぇ、それで、あの二人の場所がわかったのよね。わたしが依頼したのに、あなたが見つけられなかった二人の……ね」
「ぐっ……。つ、つい先日、二枚目の手紙を見つけたらしい。バッジと、その二枚目の手紙が、隠すように置いてあったそうだ。これが手紙のコピーだ」
刃那子は、二枚の紙を受け取り、目を通した。
一枚目は、大川光恵と永渕早苗のことが書いてある、刃那子が以前読んだ手紙。
そして、二枚目は……。
【このバッジは、”商品達”が身につけていた、とても禍々しいものです。取り扱いには注意するように。直接触れない方がいいでしょう。あなたの依頼主に、このバッジを調べさせなさい。 ――あまつかマリア】
「……どういうこと? なぜわたしがこれを調べなきゃならないのかしら?」
「”あまつかまりあ”は俺たちが”樹神幸子”を探しているのを知っている。そして、やつの目的は“樹神幸子”の身に起きた“困ったこと”に対処することだ」
「……それが?」
「つまり、このバッジが、“樹神幸子”のなにかにつながってるから、調べろってことだろう。もしくは……」
「えぇ……ただ、わたし達を顎で使ってるだけかもね」
「……あぁ、その可能性もあるだろうな」
「……気にくわないわね」
「どうする?」
「気にくわないけど、ほかに選択肢がないんじゃ仕方ないわ。バッジについて、調べてちょうだい。”坊や”には、わたしから聞いてみるわ」
「了解した」
「あと、“スペシャルコース”は、どうなってるの?」
「とりあえず一人目は完了だ。――ほれ、これが、そいつの”アキレス腱”だよ」
探偵がリクライニングを倒して後部座席のバッグを掴むと、刃那子に渡した。
刃那子はバッグから書類を取り出し、ものすごいスピードで目を通した。
「まずは”三箇典子”……ね」
刃那子は、先ほどまで人を想って泣いていた人物だとは信じられないほど、冷酷な笑みを浮かべていた。
それを見た探偵は、車内の温度が一気に下がったように感じた。
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『大富豪・別宮刃那子の覚悟 ~復讐代理人~』
【第Ⅰ部 ~完~】
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おまけのもう2話が次にあります。
(二部の冒頭シーン)




