第31話 【交渉代理人・田中】
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【一月後】
「ねぇ、光恵さん……もしかして、今までのこと……夢じゃなかったのかな?」
「さ、サッちゃん、まだ夢だと思ってたの!?」
まさか、ここに来てその発言が出るとは思わず、光恵は驚いた。
「いや、やっぱり夢だよね。だって、わたし達がこんな立派な……」
サッちゃんが、恍惚とした表情で周囲を見渡した。
「フフフ、そうね。これは夢かも……。でもね、サッちゃん」
「なに? 光恵さん」
「夢でも、いいじゃない。どうせ夢なら、楽しまなきゃ損――そうでしょ?」
「夢でも……。うん、そうだよね! 夢でもいっか! そうと決まったら、急いで準備しなきゃ!」
「そうよ。なんたって、あと二日しかないんだから!」
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刻は三週間、遡る。
拉致されて一週間――ホテル暮らしも板に付いてきた頃、光恵のポケットの中で、例のスマホが初めて着信音を奏でた。
「さ、光恵さん! な、鳴ってる! 電話鳴ってるよ!」
「う、うん。じゃあ出るよ――ピッ……も、もしもし……」
『大川光恵さん……で、間違いありませんか?』
「は、はい。あの……そちらは……」
『失礼、申し遅れました。わたしは、このたび交渉代理人を請け負った、田中と申します』
「こ、交渉ですか?」
『はい、今、あなた方がいるホテルにいます。少しお会いできませんか?』
「あの……少年のこと……ですよね?」
『そうですね。でもそれは、一番重要度の低い案件です』
「え? あの少年の関係者じゃ……ないんですか?」
『違います。わたくし共は、あの少年の被害者の立場と言えるでしょう。当方が一番訊きたいのは、あなた方がサッちゃんと呼ぶ人物――樹神幸子さんについてです』
「サッちゃんの? あの……サッちゃんとは、どういう……」
『そのことについても、直接お話しできたらと思っています』
「わかりました……。会ってお話しします」
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「あの……田中さん……ですか?」
ホテルのカフェテリア、その一番奥に目的の人物がいた。
白いあごひげを蓄えた、整った身だしなみの紳士だ。
その40代男性が光恵の姿を確認すると、立ち上がり驚いた表情をした。
「これは……わたくし共の調べでは……いえ、失礼。初めまして、先ほど電話致しました田中です。大川さんですね? 永渕さんはご一緒では?」
「はじめまして。サッちゃん……えっと、早苗には、訊かせたくない話をすることになると思いますので、部屋に残してきました。説得が大変でしたけど……」
「なるほど、どうぞおかけ下さい」
光恵は促されるまま、男性の対面に腰掛けた。
「それで……どんな話を?」
「まずは、これをご覧下さい。少々、刺激の強い写真ですが……」
田中の差し出したのは、1枚の写真だった。田中は続けて言った。
「この人物が誰か、おわかりですか?」
その写真の人物は、下着姿で手錠をはめられた、全身アザだらけの少年だった。
「はい。この子は”かどやまたくや”……ホームレス狩りをしていた少年です」
「ふむ、あなたは、この少年に殺されそうになった――間違いありませんか?」
「……はい。ある人が助けてくれなければ……そうなっていたと思います」
「そうですか……。その”ある人”とは――あまつかまりあ……ですね」
「っ!? 田中さん、マリアちゃんの知り合いなんですか!?」
「いえ、お会いしたことはありません。その人物から荷物と手紙を受け取っただけです」
「荷物と……手紙……?」
「はい、一週間前の真夜中に、我が社の商品貯蔵庫に、突然出現しました。これが、その手紙です。どうぞ、お読みになって下さい」
光恵は、手紙を受け取り、視線を落とした。
【はじめまして、この加工済みの荷物は、あなた方へのプレゼントです。ご自由にお使い下さい。そして、この加工前の荷物は、あなた方の探している人物――永渕早苗と、大川光恵を殺害しようとした、巷で噂の”ホームレス狩り”のリーダーです。これは、あなた方の雇い主に渡すと、小躍りして喜ぶでしょう。永渕早苗と、大川光恵の両名は、×▽区の、○△×公園に居を構えています。即刻、容赦なく捕獲、手厚く保護しなさい。すごく小綺麗になってるけど、気にしないことです。――○月◇日、通りすがりの美少女、あまつかマリアより】
たしかに、光恵の受け取ったマリアの手紙と、同じ筆跡で書かれていた。
光恵の警戒心が一気にゆるむ。
この手紙で、目の前のいる人物が、マリアの信頼を得ているとわかったからだ。
「”まりあ”なる人物について、教えていただけますか?」
「はい……」
光恵はマリアについて、知っていることを、すべて話した。
マリアからもらったお軽い手紙も見せた。
マリアも、それを望んでいる気がした。
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「だから、そのように美しい……コホン。不思議なこともあるものです」
すべてを聞き終えた田中が、口を開いた。
不思議なこと――その一言で、光恵の話を受け入れたこの人物は、一体何者なのだろうか?
でもそれは、触れてはいけない領域であると、光恵は直感した。
加工前の商品、と称された少年――その行く末を、尋ねてはならないのと同様に……。
「田中さん達は、この手紙でわたし達の所へ来たんですね……。でも、そもそもどうして、わたし達を探して?」
「その話をするには、ある人物についてお尋ねしなければなりません」
「サッちゃん――樹神幸子ちゃんのことですね」
「はい。教えていただけますか?」
「どこにいるかは、わからないんです……。わかっているのは、サチコちゃんが、今、幸せに生きていること……。そして、マリアちゃんがその行方を知っていること……。わたしがサチコちゃんについて知っているのは、それだけです」
「あまつかマリアが……なるほど……」
「わたしの知っていることは、これで全部です。あの、田中さんの依頼主って……誰なんですか?」
「樹神幸子さんを、とても大事に思っている人物――当方に開示できる情報は、これで全てです。その依頼主から、あなた方二人にお願いしたいことがあるそうです。どうぞ、永渕さんもおかけ下さい」
田中が唐突に、もう一人のサッちゃんの名前を出した。
「えぇ、わたしも話を訊かせてもらうわ」
「えっ?」
光恵が声の下方向へ振り返ると、いつの間にか光恵の後ろに、サッちゃんが立っていた。
「さ、サッちゃん!」
「部屋で待つって約束……破ってごめんなさい。でも、光恵さん。わたし、もう、病気じゃないんだよ?」
「それは、わかってるけど、でも……」
「わたし、もう……もう、お荷物じゃ……ないんだよ?」
サッちゃんの声は震え、目には涙がにじんでいた。
(あぁ、そうか……)
光恵は、そのサッちゃんを見て、改めて理解した。
(サッちゃんは、ずっと苦しんでたんだ……)
光恵に負担をかける自分に……そして、なにもできない自分に、ずっと苦しんでいたんだ。
「そうだよね……。さぁ、二人で話を訊きましょう。こっちにおいで」
「うん!」
サッちゃんは、泣きそうな顔で笑った。
「……依頼主の、あなた方を気にかける理由が、わかった気がします。さて、おふた方にお願いしたいことは…………」
表情と声にやわらかさを増した田中は、ずいぶんと長く、その”お願い”について、説明をした。
「え? そんな……でも……」
田中の言った”お願い”に、光恵は戸惑いを隠せなかった。
「いい! それ、すっごくいいですよ! やろう! やろうよ、光恵さん!」
サッちゃんが、興奮して立ち上がった。
光恵は、夢を見ているような気分で、目の前の男性を見た。
男性は、孫を見るような――眩しいものをみるような目で、光恵とサッちゃんをやさしく見つめていた。




