第30話 【拉致】
「光恵さん、見てみてぇ! 部屋の中にプールがあるよ! アハハハハッ! バッカみたい! アハハハハッ!」
サッちゃんは、光恵の買った服を着て、走り回っている。
シンプルな黄色い七分丈のシャツに、デニムのレギンスだ。
もう、誰が見ても、ホームレスだなんて気付かないだろう。
光恵は、子供のようにはしゃぎ回るサッちゃんを見ながら、考えていた。
つい30分前、光恵とサッちゃんの二人は、屈強な男達に囲まれ、公園から拉致されたのだ。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
半ば無理矢理連れ込まれた大きな黒塗りのワンボックスカーの中で、一番年配の男が、口を開いた。
『あなた達に聞きたいことが、三つあります』
男の口調は丁寧だったが、そこには、有無も言わせぬ圧を込めてあった。
光恵とサッちゃんに、選択権はなかった。
『わたし達はなにも知りません! 降ろして下さい!』
光恵のとなりでは、サッちゃんがブルブルと震えている。
光恵は、その細い肩を強く抱きしめた。
『ひとつは、”角山卓也”について』
光恵の言葉など聞こえなかったかのように、男が言った。
その名前を聞いた瞬間、光恵の動きが止まった。
角山卓也――ホームレス狩りのリーダーだった少年の名前だ。
(この男達が、少年の関係者なら……)
光恵の顔から、血の気が引いた。
(わたしとサッちゃんの命は……)
なんのために、光恵が助かったのか……。
どうして、サッちゃんが元気になった瞬間、こんなことになるのか……。
『もう一つは、”あまつかまりあ”について』
(え……?)
まさか、その名前がでるとは、予想していなかった。
てっきり、少年達の名前が続くものと思っていたからだ。
(もしかして、少年の関係者じゃ……ないの?)
意外な展開に、光恵は怯えるのも忘れ、驚いていた。
しかし、本当に驚いたのは、男が告げた最後の名前を聞いたときだった。
『そして、最後は……”樹神幸子さん”についてです』
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「光恵さん! 見てみてぇ! なんでベッドがこんなに大きいの!? アハハハハッ! バッカみたい! アハハハハッ!」
サッちゃんは、まるで体力が無尽蔵に湧き出ているかのように、はしゃぎ回っている。
結局、車の中では、それ以上追求されることはなかった。
30分ほど移動して到着したのが、今、光恵達がいる場所……超高級ホテルである。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
『これがカードキーと、大川様名義のクレジットカードになります。カードの限度はありませんので、安心してお使い下さい。では、この電話に連絡があるまで、ゆっくりおくつろぎ下さいませ』
『げ、限度がない!? あ、あの……外に出たりは……』
光恵は、男に質問した。
当然、外出など認められないだろうと思った上での質問だった。
『ご自由に外出してもらって結構ですよ。わたし達の仕事は、あなた方を、ここにお連れすることです。あとは、自由にしてもらってかまわないと、言づかっております。では、失礼します』
男は深く頭を下げてから、立ち去った。
光恵とサッちゃんは、ポカンとした顔で、取り残された。
この超高級ホテルの、最上階ロイヤルスイートに……。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
とんでもなく巨大でふかふかな、ソファーに腰掛ける光恵の手には、一台のスマートフォンと、黒いクレジットカードが握られている。
「ねぇ、光恵さん、お腹空いたね。うわぁ! なに、このソファー! ふわっふわだぁぁ! バッカみたい! アハハハハハッ!」
まだまだ元気いっぱいのサッちゃんが、光恵のとなりに腰掛けた。
「うん、そう言えば、朝食べたきりだったわね」
「ご飯って、どこで食べるんだろう? メニューはあったけど、ちんぷんかんぷんだったよ」
サッちゃんがそう言うのを見計らったように、ビー! インターフォンがなり、コンコンッ、ノックの音が続いた。
「……はい?」
光恵が、おっかなびっくりドアを開けると、礼服を着た女性が立っていた。
「はじめまして、永渕様、大川様。わたしは、このたび、おふた方を担当させていただくことになりました、コンシェルジュの宮田里沙と申します」
「こ、こんしぇるじゅ? あの……」
「要するに、あなた方専属の召し使いです。なんなりとご用命ください」
20代後半の美しい女性が、うやうやしく頭を下げた。
「ねぇ、宮田さん! お腹空いちゃったんだけど、食堂ってどこにあるんですか?」
サッちゃんが、光恵の腕を掴んで堂々と言った。
「ロイヤルスイートのお客様には、室内に食事をお運び致しますので、メニューから、お好きなモノをご注文下さい」
「うーん、メニュー、一応見たんだけど、全然知らない料理ばかりなんです。ねぇ、宮田さんのお勧め料理を選んでくれませんか?」
「さ、サッちゃん!」
普段引っ込み思案なサッちゃんが、なぜか物怖じせずに、どんどん発言をした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「うわぁぁぁぁ! なにこれぇぇっ!」
サッちゃんが、目をまん丸にしている。
そのとなりに立つ光恵も、同じくらい目を見開いた。
「フフ、わたしのお勧め料理を運ばせました。こう見えて、料理には少しうるさいんですよ!」
コンシェルジュの宮田里沙が、得意げに胸を反らせた。
次々に運び込まれる、とんでもなくおいしそうな料理は、どれも見たともないものばかりだった。
「おいしそうぅ! ねぇ、光恵さん、早く食べようよぉ!」
大きなテーブルに、隣同士腰掛けた二人へ、何人もの給仕が、テキパキと世話を焼いてくれる。
光恵は落ち着かなかったが、隣に座るサッちゃんは、苦しゅうない、と冗談を言う余裕すらあった。
「ねぇ、サッちゃん……」
落ち着かない食事をしながら、光恵は声を掛けた。
「なぁに? 光恵さん? モグモグモグモグ」
「どうして、そんなに堂々としてるの? わたし、どうにも落ち着かなくって……」
「ゴックン! もう、光恵さん! そんなに怯えなくて大丈夫だよ! 夢なんだから!」
「へ? ゆ、夢?」
「そ! 多分、わたし、死んじゃってるのよ、あんなに苦しかったのが、綺麗さっぱり消えちゃったんだよ? きっと、最後に神様がこんなご褒美をくれたんだわ! せっかくだから、楽しまなきゃ損じゃない! モグモグモグモグ おいしいぃぃ! 宮田さん、ワイン、もっとちょうだいな!」
「さ、サッちゃん……」
なんと、サッちゃんは、これが夢であると確信していた。
なるほど、どうりで物怖じしないわけである。
光恵は、無邪気にはしゃぐサッちゃんを見て、少し楽しい気分になった。
(確かに……サッちゃんの言うとおりかもね)
もちろん、サッちゃんは死んでなんかいない。
しかし、この状況が夢のようだというのは間違いない。
この先どうなるのか、まったく見当もつかないが、どうせなら楽しんでやろう。
光恵はそう考え直し……。
「宮田さん! わたしにもワインおかわり!」
空のグラスを手に、叫んだのだった。




